夢見る幼馴染み -5-

「晴礼ちゃん、大丈夫ですか?」


 私の分の布団を敷いてくれながら、渚ちゃんが心配そうに尋ねてきた。

 部屋の隅で伸びていた私は、生まれたばかりの子鹿のように体を震わせながらゆっくりと体を起こす。


「だ、だいぶ、よくなってきたよ」


 帰ってきた直後は、バーベキューで食べたものがおなかの中でぐるぐる回っていた。すべて吐き出してしまうんじゃないかというくらい、ぐちゃぐちゃに。

 沸いたばかりのお風呂に一番に入れさせてもらい、ようやく一息吐いたところだ。薄手のルームウェアからのぞく手足が、エアコンの風に当たって心地よい。


 落ち着いたところで、改めて部屋を見渡す。

 二階にある渚ちゃんの部屋。

 よくある学習机にピンク色のノートパソコン。本棚には、女の子らしく少女漫画や小説がたくさん詰め込まれていた。大地さんの言うとおり、参考書や赤本なども多くあった。壁に掛けられたコルクボードには友だちと撮った写真やプリクラなどが貼られたり、戸棚には雑貨が置かれていたりと、いかにも女の子の部屋という感じ。


 パジャマも淡い水色のよくある女の子ものだ。ちょっと抜けたところがあるものの、しっかりもののお姉さんという印象が強い渚ちゃんだが、中身は相応の女の子に思えた。


「晴礼ちゃんも変わってますよね。あの渉瑠君と一緒に、旅をするなんて」


「あ、あはは……まあ、渉瑠センパイと付き合っているくらいだからね」


 渚ちゃんが布団の上に手を滑らせ、くすりと笑った。


「それ、嘘なんでしょう?」


「……え?」


 驚いて思わず聞き返してしまう。それがいけない反応だと気がついたときには、渚ちゃんは優しげな笑みを浮かべていた。


「最初からおかしいと思っていたんですよね。あの渉瑠君が彼女を作るなんて。ああ、誤解がないように言っておきますと、渉瑠君は結構モテますよ。中学時代は、渉瑠君を好きな子がかなりいて、私はお兄ちゃんと一緒によく遊ぶことも多かったので、羨ましがられました」


 遠い日の思い出を振り返るように、懐かしげに渚ちゃんは笑う。


「……ちょっと前に会った女の子にもバレちゃったんだけど、そんなにわかりやすい?」


「うーん、そうですね。その子がなんで気がついたかはわかりませんが、私の場合は、特別ななにかがあったから気がついた、というわけではないです。ただ、私が渉瑠君のことを知っているからですね」


 敷き終えた布団に視線を落としたまま、一瞬渚ちゃんの目の暗いものが過ぎる。


「今の渉瑠君にはまだ、彼女さんを作る余裕はないと思いますから」


「……それは、さっき大地さんと渉瑠センパイが話してた、その、体の調子とかって話とかが、関係があるの?」


 渚ちゃんは私を見返すと、穏やかで、それでいて悲しげな笑みを作った。


「渉瑠君と晴礼ちゃんが本当の恋人じゃないって気がついたのも、それが決め手でした。渉瑠君が本気で誰かとお付き合いするつもりなら、話さないわけにもいかないことですから」


 胸がどくりと脈打った。

 渚ちゃんにはそんなつもりはないのだろうけど、その言葉はたしかに私に響いた。

 渉瑠センパイが誰かとお付き合いする上で、知らなければいけないこと。つまり渉瑠センパイは、私を本気で見てくれてはいない。


 当たり前だ。この関係は、渉瑠センパイが私に言ったことだけど、それは私の願いを叶えるためのもの。優しい優しい渉瑠センパイの、限りなく本当に近い場所に作った、大きな嘘なのだから。

 私も渉瑠センパイも、絶対に私たちの関係を嘘だとは、偽りだとは言わない。でもそれは、口に出してしまったら確定してしまうだけで、私たちの関係は、誰の目から見ても真実か虚偽かはわかること。


 私が黙っていることに気がついた渚ちゃんが、申し訳なさそうに眉を下げた。


「でも、それは私の口から告げていいことではないので、ここで話すのを止めておきますね」


「……うん、ごめん」


「なにを謝ってるんですか?」


 渚ちゃんはからかうような笑みを浮かべ、私の方にずいっと近づいてきた。


「ずばり、晴礼ちゃんはどう思っているんですか? 渉瑠君のこと」


「え、ええ!? どどどど、どうとは!?」


 隠すこともできないほどの動揺が、弾けた風船のように湧き出してしまった。

 友だちをいじるようないたずらっ子の笑みに、さらに体が熱を帯びていく。


「だって、付き合っているということが嘘だとしても、二つ年上とは言え、クラスメイトの男の人と一つの車で一緒に旅って、そうそうできることじゃないと思うんです」


「え? そ、そうかなそうかな。そこまでおかしいこと、してるかな?」


 そんなこと言われずともわかっているに、テンパる私は聞き返してしまった。


「いやー相手が渉瑠君といっても、さすがに私もできませんね。男の人と一つの車で旅なんて、間違いが起きないわけないじゃないですか」


 ま、間違い……?


 それがなにか理解すると同時に、いやわかってはいることなんだけど、改めて指摘されることで一気に頭がゆで上がる。


「ななななな! ないよないよ! まだそうことは全然ない!」


「まだ、ということは、実はなにかを期待していたり?」


 さらなる追求に、私の頭は一気にオーバーヒート。

 座ったまま、バタンと前に倒れ、畳に額を押し当てて悶絶する。


「あはははっ、晴礼ちゃん、意外にウブなんですね」


 渚ちゃんは楽しげに笑いながら窓の方へと歩き、ちょいちょいと手招きをする。


 カーテンが少しだけ引き開けられる。二階の窓からは、先ほどまでバーベキューをしていた庭を見下ろすことができた。

 庭ではまだ、渉瑠センパイと大地さんが飲み物を手に楽しげに話していた。


 初めて見る、表情だった。

 センパイは、高校ではほとんど誰とも会話をすることがない。ただ一人ぼんやりとしていることが多い。話を聞くに、いつも次はどこに行こうかだとか、ああいうものがあったら旅が快適になるとか、旅のことしか考えていないそうだ。たまに誰かと話しても、取り繕ったことが一目でわかる笑みを浮かべて、当たり障りなく話しているだけ。

 もうじき二十歳になる二個上の男の人。それでも、自分たちとなにもわからない、子どものような表情がそこにはあった。ふざけて殴りかかってくる大地さんとじゃれたり、飲みかけのファンタメロンをかき氷だと言って渡すと笑ってみたり、危ない運転に焦っているところだったり。

 どれもこの旅に出ることがなければ知らなかった、クラスメイトの誰も知らない、渉瑠センパイの、いろんな表情。


 思わずと渚ちゃんと一緒になって笑ってしまった。


「渉瑠君、いいですよね。晴礼ちゃんが慕うのもわかります。残念ながら、本人が気づいているかどうかは、微妙なところですけど」


「あ、あはは……」


「いつもなら泊まらずに帰っていくんですけどね。きっと今回は、晴礼ちゃんがいるからですね」


「……え? どうして?」


「渉瑠君、ほとんど宿泊施設を使わずに旅をしているでしょう? 車で寝泊まりなんて普通の人はやらないので、他の人がやれば相当なストレスになるって、以前言ったんですよ。だからきっと、晴礼ちゃんの体の調子を気にして、泊まっていくことにしたんだと思います」


 言われて、ひどく申し訳ない気持ちになった。


 私は渉瑠センパイに気を遣わせてしまっている。一緒に旅に出た時点で、付き合っているのだから遠慮なんていらないとセンパイは言う。

 だけど、一番遠慮をしているのは渉瑠センパイだ。一人でならもっと多くの場所を回ることができて、気を遣うこともなく旅をできるはず。気兼ねなく自分の行きたい場所に、そのとき見たい景色を見るために。

 私がやりたい旅を、渉瑠センパイに手伝ってもらっている。

 その今更ながら当たり前の事実に、申し訳なくなってしまう。


 心の内の思いが漏れてしまったのか、渚ちゃんが優しく私の肩を叩いた。


「気を落とさなくていいと思いますよ。渉瑠君、あまり社交的ではないですし、感情も他の人より表に出さないですけど、晴礼ちゃんと話しているときは、すごく楽しそうにしてますから」


 カーテンをそっと戻して、渚ちゃんは敷いた二枚の布団の片方にぺたりと座り込む。

 そして、もう一方の布団をぽすぽすと叩いて私を促した。

 お邪魔しますと、布団の上で足を崩して座った。


「ここで一つ、晴礼ちゃんに素の渉瑠君を引っ張り出す、とっても簡単な方法をお伝えします」


「え……急になに?」


 ふふーんと、渚ちゃんがこれからおもしろいいたずらをするような笑みを浮かべる。


「さっき渉瑠君にからかわれてしまったので、その仕返しです」


 ……渚ちゃん、意外に子どもっぽいところがあるんだね。


 渚ちゃんは嬉々として、そのやり方を語ってくれる。

 しかし、その方法は本当に驚くほど普通なことだった。


「そ、そんなことでいいの?」


 うんうんと、渚ちゃんは頷く。


「はい、やってみてください。おもしろいですよ」


 お、おもしろいって……。


 とはいえ、今のところそんなことをやるタイミング、ないわけではないけど、あまりやろうとしたことないかも。当然と言えば、当然だけど。

 乾いた笑いを浮かべる私に、渚ちゃんはさらに布団の上に体を這わせて近づいてきた。


「さあ、次は晴礼ちゃんに仕返しをする番です」


「え、ええっ!? 私も!?」


「もちろんです。私をからかった分、しっかり渉瑠君のことをどう思っているかを説明していただきます」


「なんでなんで! も、黙秘権を行使します!」


「ダメです」


 ぴしゃりと封殺される。


「心配しなくても、あとで私の相談も聞いていただきますので」


「渚ちゃんの相談って、好きになったっていう教育実習生の?」


「そ、そうです」


 少し恥ずかしげではあるがきっぱり言い切る渚ちゃん。


 ほ、本当だったんだぁ……。冗談かと思っていたのに。


「ですから安心してください」


「な、なにも安心できないよぉ……」


 頭を抱える私に、構わず渚ちゃんは口を開く。


「とりあえず、高校のことから聞かせてもらいましょうか。お二人は高校でもよく話すんですか?」


「え、う、ううん。数えるくらい、かな。ただちょっと前に、渉瑠センパイを見かけることがあって」


「ふむふむ、それはどんなことですか?」


 知りたくて知りたくて興味津々といった様子で、渚ちゃんが体を乗り出して聞いてくる。やっぱり見た目は大人びて見えても、年相応に恋バナとかにも興味があるようだった。



 渉瑠センパイは私を休ませるために、わざわざここまでやってきた泊まることにしたはず。だけど、夜が更けても渚ちゃんとのお話は終わらなかった。遅くまでいろんな話で盛り上がり、午前二時を回ったところでお開きとなった。


 久しぶりの布団は本当に気持ちがよくて、泥のように眠ってしまった。目が覚めたときには、既にお昼の三時を回っていた。

 絶叫悲鳴を上げながら大慌て布団から飛び出し身支度を調えながらもぼさぼさの髪のままリビングに転がり込む。


 すごく、迷惑をかけてしまっている。たくさん、たくさん、数え切れないほど。


 それなのに、リビングでいつものように本を読んでいた渉瑠センパイは――


「おはよう、寝ぼすけさん」


 本当にいつも通りに、嫌な顔一つ浮かべず、笑顔で私にそう言ってくれた。

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