晴礼のこと -1-

 その女の子は、なんというか、いまいちよくわからないやつだった。


 一学期丸々使ってもクラスメイトの顔と名前をほとんど覚えていない俺だが、それでも彼女の顔と名前は覚えていた。それは整った容姿が目を引いたとか、なにをするにも楽しげで明るく目立っていたからとか、そんな理由からではない。年上のクラスメイトという俺に対して、普通のクラスメイトと同じように、気軽に接してきたから数少ない人間だったからだ。


 だからかはわからないが、あいつの姿はなぜか目に付いた。


 新緑で山々の木々が綺麗に色づき始めた晩春のころ、俺は岡山のとある神社を訪れていた。

 留年する前の高校の同級生が巫女見習いとして籍を置いている神社で、新緑が綺麗になったから見に来ないかと誘われたのだ。


 本殿までやってくると、見事な緑色に囲まれた神社が煌々と神聖な光を放っていた。

 感嘆して吐息を漏らしていると、本殿の前で見覚えのある女の子と出くわした。


「……あれあれ? 広瀬センパイ?」


「……ああ、誰かと思えば」


 今年同じクラスになったばかりの、年下のクラスメイトの姿がそこにあった。初めて見る私服姿で、高校でも持ち歩いているカメラを首から提げていた。


 そしてその手には、今し方書いていたのか真新しい絵馬が握られている。


「意外なところで会いますね。もしかして神社とか巡るのが趣味なんですか?」


 ごくごく当たり前の知人のように、言葉をかけてくる少女。


「まあそんなところだ。そっちは、なにか願い事をしに参拝か?」


 真新しい絵馬に視線を向けながら尋ねると、年下のクラスメイトはさっと絵馬を背中に隠す。


「はい。でも見せてあげませんよ。乙女の秘密の願い事なんですから」


 年下のクラスメイトはいたずらっぽく笑みを浮かべ、軽快な足取りで俺から離れた。


「それじゃあ私は用事があるので失礼しますね。また学校で」


 ぺこりと頭を下げ、年下のクラスメイトは手にしていた絵馬を絵馬所にかけて、足早に神社を降りていった。


 その背中をしばらく見送っていると、元同級生の巫女が脇にあった社務所から出てきた。日常ではまず目にすることがない巫女服を着ているが、この元同級生はここ最近ずっと巫女服なので特に驚いたりはしない。

 にやにやとからかうような笑みを浮かべながら、巫女同級生は言う。


「こらこら、神聖な場所でナンパはダメ。かわいいからって狙うんじゃないよ。あの子は私が狙ってるの」


「お前はなにを言ってるんだよ。マジで、いろんな意味でなにを言ってるんだよ」


 ボケをかましてくる巫女同級生に、思わずげんなりさせられる。


「久しぶり。調子はどう?」


 巫女同級生は、やや心配そうに眉を下げながら尋ねてきた。


「もうすっかり大丈夫だ。いろいろ心配かけて悪いな」


「いや、元気ならなにより。そのうち同窓会する予定だから、そのときは来るよね?」


「はは、せめて高校卒業してから声をかけてほしいけどな」


 懐かしの友人とそんな会話をしながらも、俺はもう姿が見えない年下のクラスメイトが気になっていた。


「さっきの子は、知り合いか?」


 冗談とはいえ、知っている風な口ぶりだった巫女同級生に尋ねる。


「委員会の後輩。私の祖父が入院しているんだけど、同じ病院にあの子のお父さんが入院してるの。その縁で、この神社にもよく参ってくれるようになった。熱心に願いを捧げている。そっちこそ、知り合い? まさか本当にナンパするつもりじゃないよね?」


「お前は俺をなんだと思ってるんだ……。今年同じクラスになった子なんだよ」


 巫女同級生は少しばつが悪そうに表情は歪めた。

 俺としては今更気にすることでもない。もうある程度、心の中で整理はついている。


「おじいさんはこの神社の宮司だったか。体調はどうなんだ?」


「最近は元気にやってる。でも、あの子の方はね……」


 巫女同級生の表情から、その父の様態があまりよくないことは容易に想像がついた。

 話を切り替えるように、持っていたショルダーバッグから包みを取り出す。


「ああ、そうだ。これお土産。みんなで食べてくれ」


「……もみじまんじゅう? 広島に行ってたの?」


「連絡もらったとき、広島の宮島で鹿と戯れててな。せっかくだから買ってきた」


「……そういえば、あちこち車で走り回っているんだったね。いろんなところで話を聞く。まだ高校生なのにずいぶんぶっ飛んだことをしていると」


「普通の人生なんておもしろくないだろ。ぶっ飛んでこそ人生だ。車が必要なときはいつでも言ってくれ。車出すぞ」


 冗談めかしてそう言うと、巫女同級生はけらけらと笑いをこぼした。


「そんなことはそうそう起きないと思うけど、切羽詰まれば頼むかもしれないね」


 しばらく、久しぶりに会った巫女同級生となつかし昔話に花を咲かせた。こんな風に昔の同級生と普通に話ができる程度には、心も落ち着いてきたと実感する。


 やがて神社に少しずつ人が増えてきて、仕事があるからと別れることになった。

 帰り際、ふと目にとまった絵馬所にかけられていた数え切れない思いが、初夏を感じさせる風に吹かれてからからと舞った。


 思わず、真新しい絵馬に目がとまる。

 絵馬にはかわいらしい綺麗な字で、こう書かれていた。



『お父さんとまた、〈まほろば〉を探す旅に出られますように。花守晴礼』

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