旅の始まり -3-

 念のためにと口答で荷物を確認すると、晴礼は俺がおおむね必要と考える最低限の準備をしてきていた。俺の手帳を見て、本当に用意してきたらしい。

 晴礼の荷物は、一眼レフカメラ、手荷物を入れている青いボストンバッグ。それ以外に必要な旅支度は、キャスター付きの白いトラベルバッグにすべて詰め込んできていた。一度、晴礼の家に荷物を取りに帰らなければと思っていたが、その必要はないようだった。

 完全に押しかけて、そのまま俺の旅に同行するつもりだったのだ。まともに話したことなど数える程度しかないくせに、とんでもなく肝っ玉の据わったやつである。


 【大平山展望台】を降りたあと、車内の荷物を整理するために吉備中央町にある道の駅に向かった。


「い、今更で今更で恐縮なんですけど、渉瑠センパイってどうやって旅をするんですか?」


 気合いタイムで切れたのか、晴礼は少しびくびくした様子で尋ねてきた。

 本当に今更が過ぎる。


「岡山にいる間にいろいろ伝えとく。帰りたくなったら、無駄になるからすぐに言ってくれ」


「それはないので大丈夫です」


 助手席で晴礼が自信ありげに笑みをこぼす。

 俺は一瞥だけくれて、鼻を鳴らしながら視線を前に戻す。


「基本的に、俺は有料道路を使わない。お金のかからない無料道路だけを走るんだ」


 有料道路は基本的に、決められた遠方の目的地に行く際に使用、もしくは時間的余裕がないときに使用するものだ。目的地となる場所がそこら中にあり、明確に目的地も決まっておらず、ましてや気ままに旅する俺に時間的余裕がないわけもない。だから俺の旅は有料道路を使わない。


「それからさっきも言ったけど、俺の旅はほとんど車中泊だ。適当な道の駅とか、無料駐車場を探して適当に寝る。まあ運転は俺がするんだから、晴礼は眠たくなったら助手席で寝てればいい」


「な、なるべく寝ないように頑張りますっ。いろんな景色を見たいので」


 それが簡単に思えて実際非常に難しい。

 車での長旅の間、助手席では基本的にやることがない。さらにエアコンでほどよく管理された温度や車体から伝えられる些細な揺れは、否応なしに眠気を誘う。これまでもたびたび長時間助手席に人を乗せることはあったが、眠らなかった人などほとんどいない。別に気にすることでもないので、遠慮なく寝てくれていいのだが。


「今回の行き先は岡山から東。春休みに九州、ゴールデンウィークに四国を巡ったからな。大体一ヶ月かけて行けるところまで行って、夏休み終盤になったら帰るって感じだ」


「い、行く場所とかって本当に決めてないんですね」


「ざっくりは決めてる。手帳のリスト見ただろ? あれが行きたい場所とか、もう行ったことがあるけどもう一度行きたい場所とかな。実際東にも何度も行ってるんだ。長距離走るのは得意だからな。行ったところ巡りながら、新しく行きたいところも回っていく。そんな感じ」


「ほ、本当にざっくりだー……」


 元々、誰に迷惑をかけるでもない一人旅。自分さえよければそれでいい旅だ。俺自身、別に行かなければいけない場所があるわけではなく、行かなかったところで明確な問題があるわけでもない。


 山道を下っていきながら、隣に座る晴礼にちらりと視線を向ける。


「これでも付き合ってるんだ。晴礼もなにかあったら言えよ。変な気を遣うな。腹が減った喉が渇いたトイレに行きたい岡山に帰りたい。なにかあれば遠慮せずすぐに言ってくれ」


 晴礼は一瞬きょとんと目を瞬いたが、すぐに口元に手を当ててくすりと笑った。


「わかりました。最後の一つ以外は、思ったらすぐに言わせてもらいますね。渉瑠センパイ」


 やはり改めて、意志は固いと感じさせる目だ。

 俺も小さく笑みをこぼした。


 実際、晴礼が行きたいという〈まほろば〉を、この旅で見つけられる可能性なんてほぼ皆無だ。夏休みといっても日本全国を巡るには到底時間も資金も足りない。

 それでもここまで準備を終えて、クラスメイトでおまけに年上の異性の旅に同行したいなんて、相応の覚悟がなければできない話だ。


 だけど、晴礼は俺のことなど知らないだろうが、俺は晴礼のことを少しばかり知っている。


 かなり変わった優しいやつで、強いところがあるやつ。その程度のことだがそれを知っているからこそ、この旅に晴礼を連れていくことを決めた。

 晴礼にとって大事なことであるのは間違いないのだ。


 だから、そうそう問題を持ってくることはないだろう。


 そして――


 太陽が山々の向こう側に消えてしばらくたったころ、荷物整理に訪れた道の駅。

 晴礼は、『神戸まで連れていってください』と書いた紙を首から提げた女の子みたいな犬、いや違う、犬みたいな女の子を連れてきた。


「セ、センパイ、この子、一緒に連れていってあげられないですか?」


「……」


 目が点になるわ。

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