墓荒らしジョーンズの事件墓――大英帝国屍体騒乱記――

チクチクネズミ

ゾンビと墓荒らし

第1話 墓荒らしのジョーンズ

 石畳が続くロンドンと郊外をつなぐ一本道を煤煙と水蒸気が混じり淀んだ夜霧が包み込む。普通の人なら警戒して歩くのを、先導を行くユーリは頬を赤らめながらピクニック気分でランタンを揺らして歌っている。


「男の骸はシリング銀貨で~♪女の骸はポンド《金貨》と重たいぜ~♪、若けりゃ若いほど大儲け♪子供は量り売りだぞ、ほれほれ~♪されど首輪にゃ触るな、縛り首♪」

「不吉な歌を歌うな」

「えー、私たちにぴったりの歌だとぉ思って昨日寝ないで考えた歌なのに。そんなに下手ぁ?」


 酔いながら歌ったユーリがケチつけられたと先を尖らせる。だが語尾が伸びるアイルランド訛りの独特の口調がのんびりした感じにしか聞こえない。


「縛り首の部分が縁起悪い。つかそれ、昨日同業のビリーがへまこいた原因のまんまだ。うっかり装飾品の首輪を外し忘れて足がついたって」

「うん、そうだよぉ。こっそり聞いてました。だからぁ注意喚起を込めての作詞したんだ。これパブの前で歌ったら儲かるかなぁ」

「よせ、俺たちが墓場から盗品しているやつだと疑われる。俺たちゃ死体だけを盗って医学の進歩に貢献する善良な仕事人なんだからさ」

「毎日葬儀屋や遺族と死体を巡って喧嘩するのが立派な仕事ですかぁ? 墓荒らしギャングの首魁しゅかいのジョーンズさぁん」


 ごもっとも。

 俺たちが扱うものは死体。それも死にたてほやほやの埋められたを掘り起こすのが生業とくる。だが同じ物を扱う葬送業者と比べ俺たち墓荒らしは一般市民の嫌われ者。昨日も死刑になった亡骸を強奪もとい回収に行ったら、遺族から悲しみを憎しみに変えるパンチをお見舞されて痛みが引かねえ。


 墓守からも遺族からも同業者からも睨まれる嫌われ者。


 しかし俺もユーリも足を洗うことはできない。ジェントル・ブルジョア階級出身ではない俺たちが売れる唯一の肉体を工場で売っても大した金はもらえず、割に合わない。

 ユーリは十八と肌と胸の張りと肉づきが乗っている年で、くすんだ亜麻色の髪と化粧をちゃんとすれば美少女に見えるからそれなりに価値はある。だが、あくまでだ。底辺の女は体を売って金にするほかないから同業の女が引く手あまたの状態なのでもらえる金が安くなる。処女も体裁も売ってまでしても割に合わない。おまけにユーリの故郷であるアイルランドはジャガイモ飢饉と反乱で逃げてきた身だ。

 帰る場所もなく、頭もなく、そして金もないとなると這い上がれないのが底辺層の宿命だ。

 だからこの仕事が俺たちにとって一番割に合うからやっているのだ。


 霊園に入ると英国特有の煤煙と霧が混じった夜霧の暗さがより際立ち、ランタンから出る光の筋が薄くなる。墓守と真夜中の決闘しないよう俺が見張りをしている間に、夜目が利くユーリが一つ一つ墓石に光を当てて、刻まれた名前と年代で目当ての死体を探す。

 今日の獲物は女性、それも健康的に一度子供を産んだことがあるもの。人を産んだ後の子宮がどうなっているのか知りたいらしいが、依頼人の熟女趣味ではないかと疑ったものだ。

 だがポンド金貨三枚と近頃値段が下がりがちな女の骸としては破格の値段を出されて受諾した俺も、物好きかもしれない。


 するとユーリが手招きした。墓石には『ルーナー・トワイライト』と刻まれている。年は四十二、名前は女、墓石の色はまだ新しく最近埋められたものに違いない。


「ジョーンズやりましたね。これで来月はネズミの出ないベッドで喰っちゃ寝できますねぇ」

「慌てるな。もしかしたら先にやられているかもしれない」


 ホーステールが揺れるほど目を輝かせるユーリを押さえつけるが、内心俺も興奮して手が震えている。今月の蓄えが少なくなりつつある今、金貨三枚もあれば今月はぐうたら過ごせるのだから無理もない。


 木鍬でゆっくり音を立てないように柔らかい黒土を取り去る。僅かに穴を掘る音だけ鳴らして墓を掘り進めていく。他に人間に見つからないための静寂であるが、この下にいる二度と目覚めない物を起こさないためかもしれない。

 固いものが鍬の先で当たった。土をどけると十字が刻まれた石棺がでてきた。貧民のは木棺でできているからこれは高確率で金持ちジョンブルのだ。


「立派な棺ですねぇ。これはかなりの金持っているジョンブルのやつですよぉ」


 獲物を見てにっししと浮ついた顔をするユーリに、カンテラの明かりが当たって気味の悪い笑みが映っている。だが俺は同じ顔ができなかった。その立派な石棺には何十巻きに銀のチェーンが巻かれ、直線上にはハートの形を模した真鍮の錠がついていた。まるで死体が石棺から出てこれなく施しているかのように。


 なんだこりゃ。なんでわざわざこんなものを棺に?


 俺が思案しているのを尻目に、ガツンとユーリが錠を鍬で叩き壊した。「静かに壊せ」と叱ると、壊れた錠を取り除くとチェーンも緩んだ。ここまで来たら俺も仕事モードに戻り、迷いを捨てて棺をバールでひっかけて梃子で蓋をこじ開ける。そこには真っ青な顔して寝ている骸の顔が見える……はずだったが。


「空っぽぉ。先にやられちゃいましたかぁ」

「やられたにしちゃ棺に何もなさすぎる。服や供え物もない。それに……鍵がかかっていたのだから誰も骸を取り出すことはできない」

「ま、まさか骸がひとりでにぃ」

「バカ。そんなわけないだろ大方骸がない墓だったんだろ。海難事故とかな」

「そ、そーですね。そうでしょう」


 骸のない棺だと飲み込もうとしているが、つっかえているのは見えている。当然だろう。そもそも骸がない棺なら、わざわざチェーンでグルグル巻きにする必要すらない……

 このまま居座ると教会の巡回に見つかる恐れがあるので、墓を埋め直して引き上げるため地面に上がる。


 そこに人影があった。教会の人間かと思い墓石の後ろで体を潜ませた。人影は女性であったが様子がおかしい。墓の周りをぐるぐる移動するだけでこっちに来る気配がみじんもなく、おまけに服がジョンブルが着るであろうパープルブルーのナイトドレスとこの場に全く似つかわしくない。


 ユーリがカンテラを上げると、そこにはべったりと赤黒い血が頬に張り付いた女の顔があった。「うぅ」とうめき声を上げながらポトリポトリと頬の血が滴り落ちていくと、女はそのまま暗闇の中に消えていった。

 一部始終の出来事にしばらく硬直していると、ユーリが情けなく震える声を上げた。


「ジョ、ジョーンズ。もももしかしてぇ、あ、あれは……ゾンビィですかぁあ」

「声が大きい。骸が起きることなんてありえねえだろーが」

「で、でも現にぃ」


 子猫のように爪を立てて俺の腕に捕まって震えるユーリを引きはがそうとすると、光線が俺たちを照らした。警官だった。


「そこの墓荒らしの二人。逃げようとするならそこの棺の中に一緒に入ってもらうか、ちょっと署まで来るかどっちを選ぶ?」


 闇の中、営業スマイルで警官は銃を俺たちに向けており、従う以外の選択を与えなかった。


                 *


 警察にお縄になった俺たちは警察署ヤードの取調室に手錠をかけられて座らせられた。

 しかし法と医者は俺たちの味方。なぜなら医者たちは死体を教科書にしているため、常に教科書死体を墓荒らしから求めてくる。法律家たちも医学の発展のためならと死体のみの盗掘は見逃すか牢屋にしばらく入れるぐらいしかしない。ただし、墓の中のものを盗ったとき以外は。

 死体の服飾や供え物を盗ると公衆の前で縛り首という法があり、ビリーはそのせいで逝っちまった。だが俺たちは物品は盗んでいない(そもそも盗める物もない)から縛り首という事態はない。しかし朝までこのまま冷たく固い椅子に座らせ続けるのは拷問に近い。特にユーリが「怖いよぉ。腹減ったぁ。眠いぃ」と常に唸る声を隣で延々と聞き続ける拷問は一番ひどい。


「静かにしろ。眠れやしねぇじゃねぇか」

「でもぉ、この前読んだ小説みたいにゾンビィがまた来るかと思ってぇ」

「あほぅ。お前何度死体漁ってきたんだ。骸が今まで起き上がってきたことなんざあったか。物語がそのまま現実に現れるものか」

「でも、でもぉ」


 薄暗い中でユーリの目の中に浮かんだ涙がおろおろしている。まったく本の読み過ぎだ。ユーリは墓荒らしを生業にしている人間の中で文字の読み書きができる。宿で泊まっている間、途中で捨てられていた新聞や本をテーブルの上に山ができるほど積み上げては、宿を出るころには読破するほどの本の虫だ。しかしがありえないことをそのまま想像の中と同一視するほどの純粋だとは。文盲であることよりも、読み過ぎの方がよっぽど毒になるみたいだ。

 いまだにわめくユーリを押さえつけていると、扉の奥から厚手のトレンチコートに目が隠れるほど深く帽子を被った男が入った。男は帽子の隙間から狐のように吊り上がった目を俺たちに向ける。


「若いな」


 と呟いた。男はホイッグ警部と名乗った。


「警部殿俺たちゃ法に触れることはしてないぜ。墓を調べても仏様のものは何も手は付けちゃいない。もしも盗掘の罪で牢に入れられるのなら、俺たちゃ甘んじて入るからさぁ」

「そーだそーだ。刑務所暮らしぐらいメシ以外我慢できるからぁ」


 俺たちが謝罪と懇願を繰り返して必死に頭を下げると、ホイッグ警部はふんと鼻息を鳴らした。警部が椅子に座り、帽子で視えなかった警部殿には眉間の皺が傷跡のように刻まれていた。


「刑務所には入れん、釈放してやる。その代わり俺たちの首輪を少しばかり付けろ」

「……どういう理屈ですか警部殿」

「さっきお前たちもあれを見ただろ。最近新聞をにぎわせているさまよえる女ゾンビの目撃。知ってるだろ」

「あいにくぅ新聞は古新聞しか拾わないですぅ。金がないのでぇ」

「たくっ、だから貧乏人は始末に困る。情報は新鮮なうちに仕入れないとクズ金しか入らないのだ。その時の新聞を持ってこさせる」


 エリートが集う傲慢な警察官ボビーらしい毒を吐きつつも見かけによらずお人好しなようだ。

 持ってきた新聞を広げると、そのゾンビ事件は大見出しではなく小さい隅にある三面記事だった。世間をにぎわせるにしては小規模すぎる。


「ここ数日町中で死体が徘徊する目撃情報が起きていてな。直接的な被害はないが毎夜ゾンビが出るとこうして新聞にも載るほどになっている」

「ほらぁ、やっぱりゾンビィじゃないですか」

「黙ってろ。そんなもの別に無視すりゃいいじゃないすか。一々市井の迷い事を捜査したら手が足らないのは警部殿が一番知っているでしょ」

「……その目撃されたゾンビというのが、お前たちが掘った墓の主ルーナー・トワイライト夫人らしい。ご夫人は、普段は飲まない大量の睡眠薬を飲んで亡くなったそうだ」


 警部殿の考えがピンときた。警部の感として何か事件の匂いがするが、上はその程度の些末なことで動く許可を出してくれないから、代わりの人間で探りを入れるということか。


「それで俺たちはただの墓荒らしですぜ。そんな大したことは」

「それ以上はぐらかすと縛り首の刑にさせるぞ。墓荒らしギャング『スカルヒューム』の前の首魁ジョーンズを殺し、組織を乗っ取ったことは調べがついている」


 ギラリと帽子の隙間から鋭い眼光が飛んできた。なるほど、俺が前のジョーンズことジョン・ドゥ名無しの権兵衛を襲名したこと知っているのか。わざわざ墓荒らしごときに警部を呼んでくるはずだ。俺がいることを聞きつけてわざわざすっ飛んできたというわけか。まったくこれじゃあ俺は体よく警部の出世に利用されるってわけか。

 俺は返答せずしばらく沈黙したまま不貞腐れていると、ユーリが相変わらずゆったりした口調で顔を覗き込んだ。


「それで、どうするんですかぁ。私はぁこのままお帰りになると思うのだけど、早く答えないと残りの金私の酒代に使っちゃいますよ」

「からかうにしてもやめてくれ。それに俺はまだ縛り首になりたくない。それで、いくら出してくれる? 俺たちゃ今月の宿代も払えなくて飢餓しにかけなんだ。はやく金出せ。そうすりゃ動いてやる」


 警部はしかめた面で俺を睨むと、小切手一枚を投げて渡した。まだ乾ききっていないインクには満足のできる数字が書かれ、にやけた。


「こりゃ、同じ死体探しにしちゃ立派で割のいい仕事だぜ」

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