第4話 花も盛りの夏の日に……

「夏といったら、向日葵でしょう」

 と言って、千代さんは笑う。

 縁談が嫌だと言いながら、千代さんはその婚約者のお金を使って贅沢をしていた。相手は、知っているのだろうか? 僕の所に、毎日のように遊びに来ている事を。

 今日も、僕の家に氷屋さんを呼んで、贅沢にもタライに水と……その氷を入れ素足を浸している。

 この夏は、七月にしては確かに暑かったけれど。

 僕の前でそんなに素足をさらさないで欲しい。


 ジュースに氷を入れてストローで飲んでる。

 グラスの氷がコロンと鳴った。


「秋にね。結納をして、正式に婚約することになったの。

 来年の春には挙式だって……女学校も辞めるの」

「……それは、おめでとう」

 僕が、向日葵を見たままそう言うと千代さんはバッと僕の方に振り向き

「本当に。本当に、そう思うの? 本当に、めでたいと」

 振り向いた勢いで、膝までからげてた袴が氷水に浸かる。

「濡れているよ。千代さん」

「伸也さん」

 そんな泣きそうな顔で、僕の名を叫ばれてもね。


 僕は確かに君の事が好きだけど、その氷もストローも……婚約者の物だろう?

 できれば、僕の所に持って来て欲しくは無かったよ。

 だから僕は、意地悪を言う。どうせ、千代さんはもうここに来られない。

「君が今、足を浸している氷水の氷も、持って来たストローも、そのご婚約者のお金で買った物だろう? 贅沢が出来るよ、お金があると」


 千代さんを僕の苦労に巻き込めない……そういう、綺麗な思いと……なんだろう、なんだかドロッとした嫌な感情が沸き上がってくる。

 ある意味、無垢で無邪気な千代さん。だけど、とても無神経だ。


 僕らは、少し言い合いをした後、千代さんの濡れた足を拭くために、室内にタオルを取りに入ろうとしたら、後ろから抱きついてきた。

「おねがい……。ここに置いて下さい。わたし、伸也さんの事が好きなの。ずっと……。苦労したとしても、ずっと伸也さんと一緒じゃないと、私」


 僕のズボンの裾が濡れていくのが分かる。千代さんの汗と練香の淡い香り、僕の汗のにおいと混ざって……。

「お互い、夏の暑さにあてられてるな」

 僕の冷静な部分が警告を発している。千代さんをこのまま婚約者の元に帰してやるべきだと。

 千代さんが、僕の背中で泣いていた。

 僕は、最低な男なんだろう。正解は、分かっている……なのに、僕は……。


「千代さん。二階の僕の部屋に来る?」

 そう訊いた僕の声は少し掠れていた。僕は千代さんに手を差し出す。

 千代さんは、僕の手を取り黙って付いて来た。


「千代さん、賭けをしようか」

 僕は、最低だ。千代さんを抱く口実に、妊娠を賭けに使った。

 千代さんは、それでも小さく頷く。


 たった一度の行為。

 僕は夜、千代さんが家族に連れられて帰った後、もう二度と会えないと思っていた。

 庭を見ると一面の向日葵。千代さんの笑顔を壊してしまった今、とても直視出来なかった。






注)番外編 ある夏の一日(大正時代の僕ら)と合わせてお読み下さい。

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