第1話:結局、緑は言う事を聞く


 出されたたくさんのファイル。

 1ページ1ページをゆっくりと捲って目を通していく。

 今、見ているのは瑞希が主張していた主に2LDKの部屋が載っていて、尚且つ築浅の物件情報だ。


 だがしかし、どこもかしこも似たような部屋ばかりで代わり映えがない。リビングの隣は間仕切りで仕切られて二部屋目として使うことができ、そこを常に開放してリビングを広くも出来る。みたいなそんな部屋ばかり。キッチンはもちろん対面式で。


 さらに言ってしまえば、都心部、まさに名古屋駅周辺の場所、浅間町せんげんちょうらへんで探しているのもあって、家賃がお高めな所ばかりだった。


「あっ、ここ良くない? めっちゃお洒落! 床が大理石みたいになってて、そこら辺の家とは違った感じする!」


 めくるページの手が止まり、写真を指した。

 そこは確かに他とは違って、白と黒を基調としたモノクロの家でお洒落に見える。

 ただ、どう見ても高そう。


「大理石……高そうだな。どれどれ、内容は……築2年、エアコン付き、オートロックで、家賃は——45万!?」


 馬鹿なの? この子馬鹿なの? 住めるわけないでしょうが。いくらお金を持っていてもこれは無理でしょ……。


「え、高っ!?」


 目を見開き、いち、じゅう、ひゃく、せん……と数えてはまた目を大きくさせた。

 気付いてなかったことに俺は驚きを隠せないけどな。ちゃんと見ような、家賃を。一番大事な所だからな。写真見て気付こうな、どう見ても高そうだろ? これ。

 謳い文句というか、キャッチコピーがもうやっちゃってるだろ。


『名古屋駅が一望できる、最高の部屋』って、もう高いじゃん。何階建てだよ……へぇ、15階建ての15階ね……そりゃそうですよね。


「あははは……流石に無理だね……あはははは……こんなの社長だけだね……」

「確かに広くてキレイだから良いかもしれんが、この値段の家賃とか無理だし、予算オーバー過ぎきる」

「とりあえず、無難なところを見て回ってみて、考えてみたらどう? 予算に見合う値段で——そうだな、この家賃10万くらいのこの部屋とか」


 そう言いながら、ページを捲って見せてきた。


「10万とかそれでも俺は高いと思うんだけど」

「え、お前が一人で払う訳? そうなの、瑞希ちゃん?」


 問いかけに反応した瑞希は顔を横に振って、無言の否定。そして口を開いた。


「もちろん、私も払うよ。私達が暮らすんだし、私も仕事をしているわけだし。緑一人に負担を押し付けるわけないじゃん」

「……そうだったのか。てっきり俺はそうではないと思っていた」


 当たり前の様にあっけらかんと言い切った瑞希の言葉に驚いた。だって、過去の付き合った人は当たり前の様に俺が払う前提で話を進めて来ていたから。


「瑞希、好きだ」

「い、いいいいいきなりっ、何言ってんのよっ!」

「頭おかしいなこいつ。大丈夫か?」

「私に聞かれても知らないわよっ!」


 顔を赤くした瑞希を見やると、目が合う。


「もういいから、分かったからそれ以上の言葉は出さないで!?」

「まだ何も言ってないんだが?」

「話を戻すぞ」


 ごほんと咳ばらいをして話を遮り、話を続けた。


「今日中に3軒くらい回ってみて考えればいい。別に今日の今日で決める必要なんてないんだし、ゆっくり考えて、話し合えばいいと思うんですけど、どうでしょうかね?」


 確かに写真じゃ分からないことは沢山ある。

 実際に見ると違って見えることもあるしな。

 写真を見て、広そうだと思っていたとしても、実際目にしたら『あれ? 思っていたより狭い。なんか違う』ってなり得る可能性も少なからずあるわけで。

 そもそも一階とか嫌だし、ベランダに虫が死んでいたりしようもんなら、その時点で無理。


 それに周りの環境はどんな感じかとか、近くにコンビニやスーパーはあるのかとか、駅までは徒歩何分だとか、大通りが近いけれどうるさくないのか、などと実際に行ってみて目で見るものもあれば、耳で聞く必要もある。


 上に住んで居るのが家族でドタバタと足音が聞こえてきたりしないのか、とかな。ご近所づきあいは特に気を遣う所だと思うし、その辺も深く考慮すべき問題点だ。

 百聞は一見に如かず。などということわざがあるくらいだから実際に見た方が想像しやすく、早いだろう。


「そうしようかな。とりあえず二階以上の部屋で頼む。瑞希はどう思う?」

「私も実際に見てみたい!」


 ノリノリで答えた瑞希は早く行きたそうにそわそわしだした。


「二階以上ね。まあそのファイルに載ってるのは二階以上だから安心してくれ」


 さっすがぁ! 分かってるぅ!


「じゃあ俺は車回してくるから、少しだけ待ってて」


 立ち上がって会社の裏口から出て行く新を見届けると、瑞希が俺の肩を揺すって口を開いた。


「ねえねえ! なんか楽しいね! 私、今までずっと実家だったからこういうの楽しみだよ!」

「そっか、そりゃよかったな」


 俺のプレゼントしたワンピースを身に纏った瑞希は本当に嬉しそうに、楽しそうに満面の笑顔を見せた。

 ……可愛い。


 序盤の怒りという感情はいつの間にか消え去っていてホッとした。


「あのさ、写真撮らない?」

「脈絡もくそもないな。どうした急に」

「これも一つの思い出。振り返った時に、この時期は部屋を探してたなーって思い出すじゃん!」


 ガサゴソと鞄の中を漁って、スマホを取り出してインカメラにした。


「はい、はい! ピースピース!」


 と、忙しなく肩を叩いてくる。

 もうこうなってしまったら最後。撮るまでずっとこうだろう。撮らざるを得ないので仕方なくピースをしてパシャリと一枚。

 それを確認するべく、瑞希の方に顔を寄せた。


「ちょ、ちょっと、近い……」

「こうしないと見えないだろ。俺にも見せてよ」

「分かったから、ちょっと離れて。……はい、こんな感じ」


 ぎこちない笑顔で写っている自分。瑞希は満面の笑みだった。

 ……ん? よく見ると、何やら脚らしきもの(スーツ)が俺と瑞希の間に写っている。

 誰の脚? もしかして心霊……と考えながらも、ゆっくりと視線を後ろに向けた。


「どわぁっ!? なんだ……新かよ……」

「あのなぁ……それはこっちのセリフだよ」


 瑞希も同様に後ろに振り返って、スマホ画面と新を交互に見始めた。


「どした?」


 そう問いかけると、瑞希はあわあわと慌てて両手を大袈裟に振った。


「べ、別にっ! イチャイチャなんてしてないよっ!? ただ緑と写真を撮っていただけであって、その、あの、イチャイチャなんてこれっぽちもしてないよっ!?」


「俺は何も言ってないんだけど……」


 瑞希よ、それをいわゆるイチャイチャと言うんだと思うよ。否定して、自爆するのはやめようね。ここは敢えて平静を装っていた方が逆に良い。特にこいつの場合は。


「してないからっ!」

「あーはいはい。そういうのは家でやってくださいねー行きますよー」


 そんな瑞希の慌ただしい弁解も見ごろ空振りし、新は煙たそうに手を振って会社から出て行った。


「……っ? ……っ? ……あの、痛いんですけど?」


 ぽむっ、ぽむっ、と肩をグーで弱めに殴ってくる。

 ふむふむ、これが俗に言われる『肩パン』というやつか。……地味に痛いからやめて。


「……恥ずかしい。穴があったら入りたい……」

「勝手に入ってどうぞ」

「もうっ、こんなところ見られるなら撮らなければよかった……」


 喜怒哀楽の激しい奴だな、本当に。

 自業自得って言葉を君に捧げよう。

 心の中だけで語り、席を立ちあがって俺も新に続いて店を出て行く。


「あっ、ちょっと待ってよぉー」


 後ろからぱたぱたと駆け寄って、腕を組んでくる瑞希は——きっと反省していない。


「そういうところだぞ。うん、まじでそういうところ」

「何よ?」

「何でもありません。行きましょうか、お嬢さん」


 後部座席に乗り込み、新の運転する車は発進した。







 走り始めた車。

 ここから浅間町までは左程時間は掛からない。

 だけど、そんな間でも私は緑と触れ合っていたくて、前の座席からは見えないように緑の手を握っていた。


 最初こそ、「ちょ、待てよ」とモノマネ込みでドラマのセリフをここぞとばかりに使って拒否してきたが、執拗に手を握ろうとしていたら、諦めて繋いでくれた。

 でも、本当は繋ぎたかったんだと思う。うん、間違いない。

 だって、満更でもない顔をしているもの。ツンデレかしら、緑ちゃん。


「まずはどこの家を見に行くんだ?」

「そうだねぇ、先ずは築10年の2Lの所かな」

「築10年!?」


 私は築浅でお願いしたはずなんだけど? 新君、貴方はどうしてそういう風なのかしら?


「分かってないね。まずは希望じゃないところを見せて行くんだよ。そうしたらその次に行く部屋がよく見えるから。これ常識だから」

「そういうことね。まあ私はそんなことにはまんまと。私は全てを平等にみるもの」

「はいはい、勝手に言ってろ」

「ねぇ、何この人! ねぇ、緑! この人、何?」

「新はこういうやつなの。諦めて慣れて?」


 最初に会った時と、今では大分印象変わってきているんですけど。


「まあいいわ。またあとで覚えておきなさい」

「……すいませんでした」

「あら、素直でよろしいこと。口の利き方には気を付けなさい」

「……気を付けます」


 って、私の方が年下なんだけどね。まあでも? 私はお客さんなんだからそこら辺はしっかりするべきだから、よって私のが正しいのだ。


 暫くして、一軒目のアパートに辿り着いた。

 築10年と言うけれど、見た目は年数が経っているようには見えなかった。外観でしか判断していないけど、綺麗なアパートだ。


「ここはさっきも言ったように築10年の2階建て。4部屋しかないアパートで、もちろん緑のお要望の二階が空き部屋だ」

「結構綺麗だな。まあスズキ荘に比べれば何でも綺麗なんだけど」

「比べる基準じゃないわよ。あそこはあそこで風情があっていいもの。今から見るこのアパートが基準になると思って見ればいいのよ」


「それもそうだな」

「じゃあ行こうか」


 新君の後ろを歩き、アパート内へ入っていく。

 駐車場側にベランダがあり、奥に玄関がある感じ作られているアパート。洗濯物を干したら道路に面しているので丸見えだ。

 そんなことを考えつつ、家に上がっていく。


「ここはオートロックがないのね」

「オートロックがあった方がいいの? 今住んでる所は防犯面最悪なくせに?」


 今住んでる所は流れで住んでしまったから文句は言えない。だけど今回は自分たちで探すのだからそれなりのセキュリティは気にしたい。あんなことがあったから余計に。


「防犯面はしっかりしていた方が安心じゃない? 今は仕方がないけれど、次は合った方がいいかなって思って」

「了解です」


 玄関は広くなく、至って普通。

 廊下の左手には扉が2つ。

 多分、トイレと脱衣所で、右手側には扉が1つ。これは部屋だろう。

 私はとりあえず部屋の扉を開けて確認。緑は脱衣所の方を開け、感嘆の声を漏らしていた。


「ここは何畳?」

「えっと、資料によると6畳だね」

「大体どこもこんなもんかしら?」

「まあそうだね。狭いところもあるけど、ベースは6畳が多いかも」

「瑞希ー」


 説明を聞いていると、遠くから呼ぶ声が聞こえてくる。

 脱衣所ではなく、リビングの方からだった。

 扉を開けて、リビングに入ると、なにに興奮しているのか分からないけれど、感動? しているようだった。


「広いな! 広い!」


 両手を大きく広げて嬉しそうな顔で。


「え、それだけのために呼んだの?」

「悪いか?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど、なにか物珍しいものがあったのかと思った」

「繋がってるから広く感じるんだな。ありきたりだけど、実際に見てみると悪くないな」


 いわゆるこれが間仕切りというやつだ。扉は二枚の扉をスライドして開けたり締めたりできる。

 扉に手をかけ、閉めてみると広くは感じられないが、開けると広い。当たり前なんだけども。


 使い方としては部屋として使うのも良し、リビングとして使うのも良し的な感じで作られている。

 大体賃貸物件ではありがちな部屋の作りで、さっき会社の方で見ていた中でもこの作りが圧倒的に多かったくらいだった。


「広いけど、なんかなー」

「ありきたりで面白味がない、と言いたいんだろ? 同感だ。広いけどなんかなってのはよくわかる」

「2LDKの築浅物件はどこもこんな感じだよ。使い勝手がいいから。それこそこういうのが嫌ならマンションとか、デザイナーズみたいなところにしないと、中々ないよ」


「「デザイナーズ!」」


 緑とハモってしまった……というかあなたは築30年じゃないの?


「二人して何? 特に緑。お前は築30年とかほざいてただろ。何だこの手の平返しは」

「ん? まああれだ。うん、綺麗なのも悪くないなって思いまして……」

「ふっ、洗脳完了ね」

「おい、今この人怖いこと言ったぞ。聞こえたか!? 緑っ? おいっ、目を覚ませ!」

「キレイナヘヤサイコウ……」


 ぼーっと、遠くを見つめるように緑は言う。

 新君は緑の肩を揺らしては「目を覚ませ! 緑! お前は洗脳されている!」と、必死に目覚めさせようとしている。


「……冗談だ。瑞希の意見を汲んでやらんとな。やっぱりちゃんとした話し合いをすべきだった。反省だ」

「んだよっ!」


 乱暴に肩から手を離し、押された感じに緑はよろけたが、笑いながら新君の肩をポンポンと叩き、宥めた。


「すまんすまん。まあ色々見て、瑞希と話し合って決めるよ」


 嬉しいこと言ってくれるじゃない。というか、当たり前の事なんだけど。


「じゃあここはもういい? 次行く?」

「そうね。次行きましょ」



 家を出て、再び車に乗り込むと、次は緑の方から手を繋いできた。


 やっぱり、ツンデレね。


 車は動き始め、運転しながらもふと何を思ったのか、バックミラー越しに新君が一つの疑問を投げかけてきたのだ。


「そういえばお前らさ、ちゃんとした訳だし子供はどうすんの?」


 その質問は考えていなかったわけじゃないけれど、今の私達には何とも言いにくい問いかけだった。

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