第14話

     ◆


 僕は本来、あのまま死に取りこまれたのか、訊ねていた。

「龍の力を使えば」アルカラッドが答える。「死を遠ざけることはできる」

「寿命を支配できる、という意味ですか? それとも、人間の時間を止める?」

「巨大な魔術だし、神の御技だが一部の龍は時間を完全に支配する。自分の時間も、他者の時間も、世界の時間もだ」

「あなたにはそれができる。そういうことですね」

 そうなるな、と龍は平然と応じた。

「悠久の座を拝命した時、時間というものを失った。死ぬことがなくなり、しかし生きているとも言えなくなった。それは龍である身としても、不覚だった。生きるとはつまり、死ぬことなのだな。例えばそれは、手に入れるということが、やがては失うという結果を生むのに似ている」

「全てを手に入れ、失うことがなくなった。それが、苦痛だと?」

「苦痛ではない。痛みさえも失ったのだよ」

 痛みを失う。痛覚を、ということではないだろう。今の言葉は、いつか彼が僕とアンナに教えた、憎悪を持つな、という言葉の究極の形だろうか。

 自分が優れていて有利なら、他人を憎むことはないかもしれない。怒りを抱くこともないだろう。恨む必要もなくなる。

 ではそれで常に平穏な心でいられるかは、別の話なのではないか。

「オリフ、きみにはまだ力がない。だから死に囚われるし、そこへ流れてしまう」

 静かな調子でそう言われると、染み入るように感じる。僕には確かに、力がない。全てにおいて未熟なんだ。龍と比べるどころか、人間、アンナと比べてさえ、大きな差がある。

「人間はいつまで経っても、死を克服することはない。死後に干渉することもできない。しかしそれが普通なんだ。龍が異質に過ぎるだけのこと。なぜ神は、龍を作ったのだろう? そんな疑問をよく検討する。答えは少しも出ないが」

 意外な話だった。龍も自分というものを疑うときがあるのだ。

「あなたは、なんで僕たちを育てたのですか?」

 理解者を求めたのですか? と続けたかった。続けたかったけど、言えなかった。

 僕は今、少し恐怖している。自分が途方もなく巨大な存在、人間よりもはるかに多くを知り、はるかに深くを考え、次元の違う存在を、僕が理解できるのだろうか。

 理解できない、と判断されたら、そこで何が終わるのだろう。

「人間に興味があった」

 アルカラッドが寝転がったまま、こちらを向く。人間的な、嬉しそうな顔をしている。

「きみたちは刺激的だよ。龍が気づかないこと、人間しか気付けないことを、見せてくれる」

「それを続けるために、その、僕を助けたわけですか? 死んでいた僕を?」

 それは少し違う、とアルカラッドは答える。

「アンナの様子を見たのが一つ。あの子に何かを教えることができると思った。もう一つは、私自身の考えだ。そのまま死なせるべきか、それとも生き返らせるべきか、考えた。死なせれば、きみは闇の中に沈んだだろう。生き返らせることは、世界の原則に反する。この二つを検討しても、答えは出ない。だから直感に従った」

「龍が直感ですか?」

 笑いそうになってしまった。そうか、僕は龍の気まぐれで、息を吹き返したんだ。笑うしかないじゃないか。

「そう、直感だよ。助けるべきだと思った。これからのことよりも、今までのことを考えたようだ。きみと過ごした時間は充実していて、楽しかったんだ。それがなくなってしまう、終わってしまうのを、私は拒絶した。いけないかな?」

「いけないことはないと思います。人間だって、もしあなたと同じ力が使えれば、親しい人を死から救うでしょう」

「嬉しいことを言うね、オリフ」

「しかし、一つだけはっきりさせるべきことがあります」

 うん? とアルカラッドが少し目を見開く。

「人間には寿命があります。命はいずれ失われるのが、人間の原則です。龍とは違います。いつかどこかで、絶対に死なないといけないんですよ。若くても、年を取っていても、人間は死ぬものです」

「きみはアンナが死にかかっても、そう言えるかい?」

 まったく、この龍は遠慮がないな。

 アンナは僕の命の恩人で、何より、数少ない家族だ。血は繋がっていなくても、本当の家族よりも強い絆が彼女との間にはある。

「言えないですね、残念ながら。でも彼女が満足していると思えば、彼女の死を受け入れます」

「満足? 人間は満足と無縁と思っているが?」

「僕の感覚ですが、人には何かを達成したという感覚があるのです。何かを達成した人が死を迎えると、周りの人は、その遺体を前にして死者の思い出を語ります。その時に、死者の一生は好意的に評価されます。だからこれは、生きている人間の願望と妄想ですが、死者は満足していたんだろうと、考えるのです」

 答えになっていないな、とアルカラッドがくつくつと笑う。

「それは生きているものの満足だろう。死者は喋れないし、動けない」

「逆転するんです」僕も喋りながら笑うしかない。「死に瀕した時、周りからの評価を考え、それを頼りに自分の命の価値を評価できる。不思議な儀式です。誰かが光を当ててくれるから、闇を恐れない。本当に、不思議」

「人間の考えることはわからんよ」

 アルカラッドがそう言って、堪えきれなかったようで一通りの笑い声をあげた。

 いつの間にか料理の匂いが漂ってくる。魚の骨を使って釣り針を作ったのは数日前だ。もうアンナも海に潜る必要はない。それと、草原の中に食用の植物が何種類か紛れているのも知っている。

 行こう、とアルカラッドが起き上がった。

 僕も体を起こして、繰り返し見ている水平線を、改めて見た。

 眩しい光が、どこまでも続いている。

 アルカラッドに続いて建物に入り、アンナがちょうど魚の煮物を用意したところだった。彼女が不機嫌そうに、アルカラッドに対して、調味料くらいはどこかの街で買いたいし、野菜があまりにも不足すると訴え始める。

「この島は狭すぎるからね。良いだろう、買い出しに定期的にいこうか」

「お金はどこにあるのです?」

 僕が反射的に訊ねると、アンナもじっとアルアラッドを見据える。龍は平然と答えた。

「少しの蓄えがある。最初はそれで買うとして、こちらからも何かを売るようにしないと立ちいかないと思う」

「商売をしろって? 何を売ればいいの?」

 そう訊ねるアンナに、人間のことは人間がわかるだろう? とアルカラッドが言い返す。アンナが呆れたという身振りで天井を仰ぐ。

 結局、食事をしながら僕とアンナで、この島にあるもので何が売れるのか、必死に議論した。僕もアンナも島のことを完全には知り尽くしていないので、食後に二人でより詳しく島を探索することになった。

 アルカラッドは僕たちのやり取りを嬉しそうに見ていたが、アンナに睨み付けられると、さっと視線を外した。

 意外に人間らしい龍である。



(続く)

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