第7話(5/5)

「お待たせ。……起きれるか?」


 しかし姫宮は起き上がろうとせず、視線だけこちらに向けて、小さく言った。


「…………甘えていいんですよね?」

「……何を要求するつもりだ」

 俺が少し身構えると、さらに小さな声で姫宮は言った。


「……食べさせて……ほしい、です」

「なんだ。そんなことか」

 俺は姫宮の隣に座ると、半液状になった苺を掬い上げ、マスクをずらして露わになった口元へ持っていく。


「ほれ」

 小さく開かれた口に苺を滑り落とす。


「美味しいです……」

 そう言って紅く染まった頬を緩めると、目をつむって続きを待つ。


 よほどお腹が空いていたのだろう。そこから俺は休むことなく皿と姫宮の口を往復し、ものの数分で一パック分の苺が空になった。最後に薬を飲ませて、一息つく。


「ごちそうさまでした……」

「次はどうしたい?」

「あ、えっと……きが…………。……あ、これ、氷枕替えて欲しいです。冷凍庫にもう一個あるので……」

「あいよ」


 俺は冷凍庫から氷枕を取って来て、ぬるくなったものと交換する。ついでに姫宮の額の冷却シートも剥がし、新しいのと取り換えた。


「他にはあるか?」

「もう大丈夫です……ありがとうございます……」

「そうだな。あとは寝といたがいいな」

「はい……そうします……」

 それじゃあ、苺の皿だけ片付けて退散するとするか。


「あっ、でも……」

 そう思って立ち上がろうとした俺を呼び止めると、


「まだ……行かないで、欲しい……です……」


 消え入りそうな声でそう言った。


「……あー、まぁ、病気の時ってやたら心細くなるもんな」

「はい……♪」

 姫宮はマスクと冷却シートの間から覗くその目を細める。


 少し気恥ずかしくなった俺は、姫宮に背を向けるようにしてベッドの縁にもたれた。


「……センパイって、看病慣れてますね」

「まぁ由優でな」

「なるほど……」

 そこから話が広がることはなく無言の時間が続く。サイドボードに置かれた時計の音だけが聞こえた。俺の鼓動よりもやや遅いテンポだ。


 俺は何をするわけでもなく、部屋の中を眺める。LINEでやり取りしている時に思ったが、やっぱり姫宮は羊が好きらしい。

 ぬいぐるみや小物に羊が見受けられた。写真立ても胴体部分がくり抜かれた羊だ。飾られているのは中学の卒業式の時の写真のようで、友達と思しき数人で写っている。肝心の姫宮がどれかまではここからでは分からなかったが、その制服はなんとなく見覚えがある気がした。


 そういえば、結局昼飯を食べていなかったな、なんてことを考えた時――


「ッ!」


 ――ふいに背中に感触があった。


 どうやら姫宮が服を握ったみたいだ。背中の筋肉がわずかに強張る。

 しかし姫宮は何を言うわけでもなく、ただ俺の背中と繋がっていた。


 彼女は今、眠りにつこうと瞳を閉じているのだろうか。それとも俺の背中をじっと見つめているのだろうか。

 しかしその手を振り解かずしてそれを知ることは出来ない。


 いや、知ったからといって何があるわけでもない。そもそも俺は、たまたまこういう役回りになっただけなんだから。


 ……そう。出来ることなら姫宮だって両親や、藤和や吉澤先輩とかの方が良かったはずだ。


 だから、きっと、姫宮が握る背中は、頼りとする存在は、必ずしも俺だとは限らない。今回はそうだっただけだ。


 言い聞かせるようにそう考える中、時計は相変わらず一定のリズムを刻んでいた。


 俺の鼓動より、遙かにゆっくりと。

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