第9話 いろいろとめっちゃ流されてる

 遊香ゆかの両親が共働きなのは知っていた。けれども、ワンルームマンションでひとり暮らしをしているだなんて初耳だった。

 おまけに、家に着いてから傷薬や消毒液を持ってないとか言い出すし、それならもっと早く教えてくれていれば、駅前にあったドラッグストアで買ってきてたのにさ。

 本人にも隠さずにおなじことを愚痴ったんだけど、ひとり買い物中のいまも、さっきの出来事の余韻もあってか、心の内ではモヤモヤが消えてはいなかった。

 ついでだし、お菓子や飲み物も適当に買い足してから戻ることにする。夕焼け空はすっかりと暗くなり、飲食店の電飾が星よりも明るくかがやいて見えた。


 マンションエントランスの自動扉を難なく抜けて、風除室内にある集合玄関機オートロックで部屋番号の数字とインターフォンを白いビニール袋の持ち手から伸ばした中指一本で押す。

 何度目かの呼び出し音のあと、


「合い言葉は?」


 と、いつもより低調子ひくぢょうしの声色でたずねられた。


「は? 知らねぇーよそんなモン!」

「…………」

「えっ、ウソでしょ? 入れるでしょフツー? ねぇ、開けてったら! こっちは両手が塞がってるし、鍵持ってないんですけど!?」


 ピッピッピッピッ──電子音とともに、二枚目の自動扉が静かに開く。

 疲れた。

 本当に疲れた。

 お風呂に入って、きょうはもうお布団で横になりたい。スマホで少年マンガを読み倒したい。

 いや、まだダメだ。ここは遊香のうち。傷の手当てとか様子をしばらく見てから、電車に乗って自分の家に帰らなくっちゃ。


 エレベーターを降りて、左に曲がる。

 部屋の玄関前では、なんと遊香が待っていてくれていた。


「おっ、やっさしぃー。でも大丈夫だから、いいよ」

「血は止まってるし、もう平気……いたッ!」

「なんで怪我してるほうで持つのよ?!」


 三年生に襲われたあのとき、咄嗟の判断で遊香は先のことも考え、利き手ではバタフライナイフを掴まなかったそうだ。

 それなのにいまは、ガッツリと負傷中の手でペットボトルの入った重いほうの買い物袋を握っていた。

 そういえば、こっちの手で箸を握っていたような……ううん、間違いない。こっちが利き手じゃん!

 わたしがツッコミを入れるよりも速く、買い物袋を持ち直して遊香は部屋へ戻っていった。



     *



 いつもより水圧が強いシャワーを浴びながら、ふと、想いが過る。


(結局、泊まることになっちゃったし)


 夕食は宅配ピザを注文してくれたんだけど、支払いはまさかのわたし持ちで、さっきの買い出しと合わせて帰りの電車賃が無くなってしまったのだ。

 学校を出てすぐ、お母さんがいろいろと心配しないよう、遊香の怪我や家へ行くことは伏せて、別の友だちの家へ寄ってから帰るって通話アプリで連絡はしていたけど、追加のメッセージでやっぱ泊まるって送信をした。

 だけど、明日あしたは学校もあるし、その友だちの親御さんにも挨拶ぐらいはしたいって、まあ、至極当然な言葉が返ってきて──。


「アイちゃん、ここにバスタオルと持ってきた下着置いておくわね」

「あ、うん……」


 結局すべてが露呈してしまい、お母さんも遊香のうちへ泊まりに来てしまっていた。


「……なんでこうなるねん」



     *



 わたしと入れ替って、裸になった遊香が裸のお母さんと一緒に浴室へと入る。遊香は怪我をしているから仕方がないことなんだって、何度も呪文のように自分にいいきかせながら、いつもの数倍以上の握力が加わったタオルドライのあとに、わが家のよりも超軽量で小型なドライヤーのスイッチを入れた。

 けれども、いくら高性能とはいえ使い慣れてないし、気が気じゃないから生乾きのままだけどスイッチをすぐに切った。


 ワンルームの居住スペースは、壁際にシングルベッドや机があってもうちの六畳間より広く感じられたから、きっと十畳近くあるに違いないだろう。

 パイン材の卓上には液晶モニターが二台もあって、その裏や机下にも、いろんなゲーム機本体やコントローラがいくつかある。真っ黒なキーボードも七色に光っちゃってるし、椅子も健康器具みたいなデザインをしていて、なんだか近未来的な玉座のようだ。

 うちの親も離婚しないで共働きの夫婦だったら、わたしもこんな暮らしができていたのかな? ちょっぴり胸がせつなくなる。

 それ以外の調度品は、そもそもの生活感が薄いし殺風景で別段目を惹かなかったけれど、右側のモニターそばにあるクレーンゲームで取った小さなぬいぐるみだけがひとつ、女の子の部屋らしさを辛うじて演出していた。


「へー、ちゃんと飾ってんじゃん」


 それは、わたしが生まれて初めてゲットした景品でもあって、海外でも非常に人気が高いゲームのマスコットキャラクターを模した、黄色いモンスターのぬいぐるみだ。

 ゲットしたのはいいけれど、持って帰って飾る気にはなれなくって。遊香が、「要らないなら、わたしが貰うけど」っていってくれて。

 そんな思い出を懐かしみつつ、ぬいぐるみを肩に乗せて遊びながら、ふと我思う。


「……シャワーの音、めっちゃ長くね?」


 一応ふたりは恋人だから、浴室でなにをしようと──ここは遊香ゆかのうちなんだし──同意であれば自由なはずだ。

 それでもまさか、わたしがすぐ近くにいるのに、久し振りに会ったからって、エッチして………………ないよね?


 異常に長いシャワーの使用時間。


 微かに漏れきこえてくる母の声。


 すべては、わたしの勘違いの可能性もゼロじゃない。

 が、しかし、状況証拠が真実を教えてくれているような気がしてならなかった。

 それに、これは憶測でしかない。その現場を見てもいない。

 でも……だけどさ……確認するわけにもいかないし、もしそうで真っ最中だったら、その光景は一生モノのトラウマになるだろう。


『んんッ♡♡♡♡♡♡』

(うっわ、きっつ! やっぱ無理!)


 押し殺しきれなかった嬌声が、耳孔をすり抜け我慢の限界点を難なく吹き飛ばす。

 部屋の片隅にちょこんと置かれたグレージュカラーのトートバッグを漁り、猫のプリントがところどころ剥げ落ちた長財布を見つける。それは、わたしが最愛の母に贈った一昨年の誕生日プレゼント。ハイブランドではないけれど、手描き風の猫たちの姿が超可愛いヤツ。


「……」


 お財布を開かずに、そっと戻す。

 いくら自分の親でも、帰りの電車賃だけ拝借しても、やってることは泥棒だ。

 お母さんを傷つけたくないし、わかってくれたとしても、また険悪な雰囲気で日常生活を過ごすのは嫌だ。ここは逃げずに、わたしひとりが我慢すればいい。

 シャワーの音が止まった。

 今度は、ふたりの話し声が少しだけきこえた。

 立ち上ってから、大きなため息をひとつ漏らす。

 そのときになぜか、ぬいぐるみの視線を感じたような気がした。


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