第30話 謎の少女

 なんて心地の良い朝なのだろう!


 晴れた空!


 ーーザーザーザー……。


 透き通った雲一つ存在しない青空!


 ーーゴロゴロ……ピッシャーーン!


 ん?なんだ、文句あんのか?

 え?お前の目は節穴かって?気持ちの問題だバカヤロー。


 俺とアルファが結ばれてから一夜明け、いつもより少しだけ早く目覚めた俺は生まれてから最も気分良く朝を迎えていた。


 その気分の良さは言葉では表せないほどのもので、今まで俺を我が子として扱わなかった両親には恨みこそすれ感謝などしなかったが、今日だけは感謝してもいいと思えた。


 拝啓、お父様クソジジイお母様クソババア俺を元気に産んでくれてありがとう!


 因みに今隣にはアルファが寝ている。帰ってきた俺たちの雰囲気から察した『森の木漏れ日亭』の亭主が部屋をツインからダブルに変えてくれたのだ。


 ……いい仕事をしてくれる。もちろんチップをはずんでおいた。


 だが、もちろん事は致していない。ダブルベッドの部屋と言っても部屋の中にはツヴァイやモア達がいるし、何より俺達が恋人となったのはまだ昨日なのだ。幸い時間はたっぷりとあるし、関係を進めるのを急ぐ必要もない。


 そういうことは、自分達のペースで一つ一つやっていけばいいと俺は思っている。まあ間違いなく宿屋の亭主からは勘違いされているだろうが……。


 そして、そんなことをのたまってしまった手前非常に言い辛いのだが、俺は今かつてないほどの葛藤に襲われている。



 寝ているアルファが俺の左腕に抱きついているのだ……。それはもうムニュンと……。



 未だかつてこれほど理性と本能の間でせめぎ合いになったことがあっただろうか?いや、ない!


 俺は生まれて初めて、女の子の身体がこれほどまでに柔らかいことを知ってしまった。


 この感覚、何と言い表したものか……。極楽、愉悦……。うーむ、形容し難い!


 はっ!?まずい……。本能側に寄りかけてしまった……。


 いけないいけない。感情を無にするのだ!


 煩悩退散!煩悩退散!


 ふぅ……。何とか凌いだぜ……。


「……ん、んぅ…………」


 俺がそんな馬鹿な事を思考している間に、どうやらアルファが目覚めたようだ。


「……おはようございます。ディロ」

「ああ、おはよう」


 寝ぼけ眼でそう言う今までよりも更に愛しく思えるアルファの姿を見て、彼女を命に代えても守っていきたいなんてくさいことを思った。


 アルファが目覚める頃には雨は上がっていて、俺達が宿屋を出るころには晴れて雨上がりの虹がかかっていた。その様は、まるで俺とアルファの新たな門出を祝福してくれているかのようだった。



 ◆◇◆◇◆



 人間種族の街でやりたかったことはあらかた終えたので、俺達は今日ダンジョンへと帰る予定でいる。


 買っておきたかった物も昨日のデートでほとんど買えている。現代の地図に関しても、割との値段は高かったものの買うことができた。ただの地図だけではなく、判明しているダンジョンの位置が記されているものも初日に行った冒険者ギルドで買うことができたのは僥倖だった。その他にも色々と面白い物が買えたし、俺達のダンジョンの人間種族側の認識も知ることができたので、収穫は大きかったと言えよう。


 そして今はこのルクハレを出るために街の出入り口である門へと向かっているのだ。


「虹、綺麗ですね!」


 横にいるアルファがそう言って笑う。


 生まれて初めて自然な虹が見れたからか、ルンルンと鼻歌が聞こえてきそうなほどのご機嫌具合だ。軽くスキップまでしている。


 俺の服の中にいるモアは、「もー……アルファ様ったら子どもみたい!」と呆れたような様子を見せている。しかし、モアの表情が柔らく、虹を見て目をキラキラとさせていることから推察するに、彼女もまたテンションが上がっているのだろう。仮に、アルファに「お前に言われたくない」という風な言葉で返答されたとしても、文句を言えない有様である。


「ディロ。あれは一体何でしょうか?」

「ん?」


 アルファが指差した先には、昨日は見なかった屋台があった。

 人がかなり並んでいるので、どうやらそこそこ人気の屋台のようだ。


「くろ……ようか……ん……?」

「どうやら大和之国の食べ物みたいですね!折角なので買ってきます。ディロとモアちゃんはその辺で待っていてください!」


 スタタタタタとアルファは行ってしまった。恐らく、何かあった時のためにと渡している金で三人分買ってくるつもりなのだろう。


 慌ただしいが、扇子の一件以来アルファはどうやら大和之国という人間種族の国の独特な文化が大層気に入ってしまったらしいのだ。それを踏まえて考えると、あの反応はとても可愛らしく思えてしまう。


 因みに、例の扇子は相変わらず肌身離さず持っているものの、未だにまともに扇子として使っているところは見たことがない。……帰ったら本当にちゃんと扇子として使うんだよな?


 まあアルファが一人で行動することに不安がないわけではないが、影の中にはフィーアがいるから大丈夫だろう。そして何よりアルファ自身が強い。今の頭ホワンホワン状態からは想像つかないが、アルファは一応この中で最も強いのだ。


 俺はまあ大丈夫だろうと思い、その場で道の端によけて待つことにした。


 だが、なんだろう……。


『黒羊羹』


 そう書かれた旗の立つあの屋台からは、どうにも嫌な雰囲気がするのだ……。



 ◆◇◆◇◆



 アルファが列に並び始めて少し経ったとき、俺の元へ思わぬ来客があった。


「ふーん。キミが噂の……」


 目の周りにキラキラするものを付けた牡丹色のセミロングの髪を持つ少女。ローブのような服を身にまとっていることからよくは見えないが、顔立ちはかなり整っている。ジャンルは違うものの、アルファに匹敵するほど美しい容姿を持っている。背丈はアルファより少し小さいくらいだ。そして何より特徴的なのは、


 突然の美少女の来客。聞くものが聞けば羨ましがりそうな響きだが、俺はその来客の存在に思わず目を見開いていた。なぜならーー。



 からだ。



 道の端に立っている俺。当然、近づいてくる者がいれば間違いなく視界に入る。


 しかし、彼女は突然現れた。もっと言えばーー。



 のだ。



 服の中のモアも動揺を隠せないようで目を見開いている。影の中のツヴァイからは今すぐ戦闘に移ってしまいそうな危うさを感じる。


 ……一体、彼女は何者なんだ?


「ああ!ダイジョーブ!ダイジョーブ!今別にキミらに危害加えるつもりねーし?安心してくんね?☆」


 思わず身構えてた俺達に、謎の少女は何とも毒気の抜かれる声をウインクしながらかけた。


「それにしてもチョーレアじゃん!ナニコレ!?見たことねーんだけど!?この"マナ"の質!あの方そっくり!キミ!名前なんていうんだし?☆」


 少女は急にテンションが高くなったかと思うと、そうまくしたてた。俺は少女のテンションに押されながらも、口を開いた。


「突然一体何なんだ……。俺はディロ。ディロ・ミアガンだ」


 ん?あれ?フルネームを伝える必要あったんだっけか……?……まあいいか。


「ふーん。ディロっちっていうんだ!ヨロシクじゃん!☆」

「ああ、よろしく……」


 何だ。少女の言葉に逆らおうと思えない。寧ろ気分が高揚さえする。


「それにしてもディロっちさあ、スッゴイじゃん!?面白い魔族の噂を聞きつけて来てみればこの適正……。えーっと、【光】と【闇】!ウチ今までこの適正、あの方以外見たことねーし?チョーテンション上がるんだけど!?☆」

「ああ……ありがとう」


 何なんだ、この少女は……。不気味というかおどろおどろしいというか……。何とも濃密な"魔"の気配。自分が魔族だからこそ分かる魔族独特の雰囲気がある。少女の雰囲気はそれに近い。少女も魔族なのだろうか?いや、微妙に違うか。それよりももっと濃い。何というか、『異質』。その言葉がよく似合うのだ。


「つーかさ?なんなんだし?キミらは所詮"量産品"。そう思ってたんだけど!?ディロっちみたいなのが実際に現れちゃうと、考え改めないといけないかもだし!?☆」


 だが、どうも憎めない。親しみすら感じている。


「んー!なんなんだし!?チョー気になるじゃん!?もしかして、"あの方の要素"が多いのかな!?☆」


 ずっと少女は一人でしゃべり続けている。心底興味深い、面白いといったように。


 そんな少女に、怖いもの見たさというわけではないが、俺は最も聞きたかった事を聞いてみることにした。



「なあ、君は一体何なんだ?」



 俺がそう聞いた途端、少女は独り言を止めた。


 そして、嗤った。



 ーーハハッと。



 眩しいくらいの満面の笑みで。



「ハハハハハハハハハッ!!☆」



 大きな声で、このまま笑い転げてしまうのではないかというほどに笑った。


 しかし、そんな彼女の異常な姿に、通行人は目を向けない。


 まるでそこに少女がいることを認識すらしていない様子で通り過ぎていく。それがとても気味悪かった。


「ディロっちさあ、本当に面白いね!ウチ、キミのことが本当に気に入っちゃったし!☆」


 漸く笑い終えた後、少女は相変わらず独特な口調でそう言った。


「人ってさ、自分の理解の範疇を超えたものと出会うと、それが何か理解しようとするのを止める人がほとんどなんだよね☆それが自分の考えの及ばないものだと判断してしまうと、考えることを放棄してしまうんだ……」


 少女は続ける。笑みを浮かべて。


「でもディロっちはさ、理解しようとするんだね☆本当に、本当に面白いじゃん!"イレギュラー"……。ウチはディロっちに、心の底から興味が湧いたし!☆」


 俺には少女の言っていることがほとんど理解できなかった。ただ、楽しそうなその少女から悪意は全く感じなかった。


「でもー、ウチが何か、それを知るのはまだ早いじゃん?今のディロっちじゃあ、知って、それで何かを変えたいと思っても何も変えられない。ハハッ!☆」


 軽く笑った後、少女は目を大きく見開いて力強く俺と目を合わせた。



「だからね?『五大王』……。彼らと肩を並べるくらいになったら教えてあげるし☆」



 そしてそのままそう言った。俺はその言葉に、その異常事態に、驚くほど動揺しなかった。


 ああ、俺が魔族だというのはバレていたのか。その程度にしか思えなかった。


「ハハッ☆本当はウチももーっといっぱい話したかったんだけどね?ちょっともう時間切れみたいだし☆」


 少女は本当に名残惜しそうにそう言った。


 ああ、行ってしまうんだろうなと察した俺は、これだけは聞いておかねばと少女に問いかけた。


「名前は!?君の名前は何というんだ?それくらい、教えてくれてもいいだろう?」


 俺の問いを聞いた少女は、笑顔でその問いに答えた。


「そうだし!ディロっちの名前は聞いておいて、ウチだけ言わないのも失礼じゃん!うーん……ウチの名前はね、"パーモ"!そう覚えておいて欲しいし!☆」


 パーモ……。その名を決して忘れないようにしなければ。


「ああ、そうだし!仲良くなった記念に一つだけ忠告しておくじゃん?もしディロっちが、一時的に"大魔王"の庇護を受けることになるならば、ウチのオススメは『武神』か『厄災』だし☆もちろん忘れてもいいんだけどさ、あれらは皆、チョー癖が強いからね!覚えておいて損はないと思うし!まあ最終的には自分で決めればいいんだけどね?☆」

「んなっ!?待て!それは一体どういう意味だ!」

「ハハッ!☆じゃあね、ディロっち!また会える日を楽しみにしているし!☆」


 パーモは明らかに重要そうなことをまるでありふれたことのように言いながら、両手を振ってみせた。


 俺はパーモの言葉の意味を詳しく聞くため、手を伸ばした。



「ディロ!ただいまもどりまし……た……」



 だが、そんな俺の耳に、己の愛しい人の声が聞こえて我に返った。


 無事に黒羊羹を買い終え、俺の元へ戻ってきたアルファの方を振り向くと、アルファは心底驚いた表情を浮かべ、動揺していた。


「ディロ……。どうしたんですか……?その……汗……」


 そこで俺は漸く、自分が全身から滝のような汗を流していることに気づいたのだ。



 その後、アルファに介抱してもらって水分を取り、息を整えた俺は、アルファに事の顛末を話した。


 だが、アルファにはそんな少女認識すらできなかったという。


 加えて、服の中のモアと影の中のツヴァイは俺の気づかぬうちに失神していたのだ。


 パーモの事を、まともに覚えているのは俺しかいない。現れた時と同じように、瞬く間に消え去った少女は本当に実在する存在だったのか。そのことすら分からない。


 謎の少女"パーモ"。


 牡丹色の髪を持つその少女は、この外出の最後の最後に俺達に多くの謎を残したのだった。

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