嘘つきな彼女との青春

第1話 嘘の始まり

 5年経った今でも忘れない。あのとき彼女と交わした約束を。


「泣くなよ」


「またじゅんくんに勝てなかった!」


里美りみだって2位じゃん」


「私のドビュッシーは世界一なのっ!」


「そういったら俺のラヴェルだって世界一だよ」


 それは満月の日のこと。

 夏のコンクールで優勝、準優勝を勝ち取った俺らは成績に一喜一憂しながら帰っていた。


「でもよく考えたら、私たちが一緒に弾けば最強じゃない?」


「まあラヴェルとドビュッシーだし」


「じゃあ約束! 私たちのピアノで世界を変えようよ!」


 君は花がパッと咲いたような顔で笑った。   

 波江里美なみえりみ。日本人とフランス人のハーフ。

 茶色で長いその髪は夜風に吹かれ、その度に少女の白いうなじが姿を現す。


 小学生にしては整いすぎているその顔はまるで天使を見ているかのようだった。


「いいよ。俺と里美で世界を驚かせてやろう」


「もし叶ったら私と……」



 あのとき俺たちは11才だったけど、心の1番深い部分が幸せな音で満たされていた。

 でも……。



「純くんあぶないっ‼︎」


 横断歩道を渡っていた俺の前に白いトラック。赤信号なのに減速する気配はない。


 俺は走馬灯のようなものを見た。これまで里美と過ごしてきた日々、ピアノの練習に明け暮れた日々、それが滝のように頭を流れる。


 こうして人は死んでいく。そう、俺は悟ったんだ。

 次の瞬間、俺の体は突き飛ばされる。

 トラック……いや里美に。


「えっ……?」


 鈍い衝突音が響く。

 俺は目の前の光景を疑った。その白い悪魔は俺の大切な少女の体を夜闇に放り出したんだ。


 君が最後に見せた当惑しきった顔。

 それは俺がこの世で見た最後の光景だった。


 ……嘘だ! だって里美はさっき約束したじゃないか。『私たちのピアノで世界を変えよう』って!


 だけどそんな思いは届くことなく、君は──死んだ──




◇◇◇◇◇




「うわあぁぁぁっ‼︎」


 俺は悪夢と自分の叫び声に飛び起きた。

 毎年夏になると見る夢。でもそれは夢なんかじゃなく、消すことのできない現実。


 ……本当に『あの子』は死んだんだ。


「おーい純、大丈夫?」


 外から少年のような活気のある声が部屋の中まで聞こえてくる。声の主は多分、健一けんいち


「なんでもない……すぐ向かう」


 俺は手探りで制服を取り、軽く身支度を整えてから部屋を出る。


「変な夢でも見たのかい?」


「ああ」


「もしかして里美って子の夢?」


「まあな」


「純がそうやって初恋を引きずるのはわかるけど、もう5年も前のことだろう?」


「お前にとって5年は長いかもしれないけどな、俺にとっての5年は昨日も同然なんだよ」


「そのセリフ、10年、20年経っても言ってそうだね」


「ああ。この傷が癒えることはない」


「何で純は不良っぽい態度のわりに心が繊細なんだろう」


「うるせえ」


「そろそろ夏休みも始まるんだし、新しい出会いに期待してもいいと思うけど」


 健一はチャリのベル音を鳴らして早く乗れと急かす。


「んなのあるわけねえ」


 俺はそう返事をして健一のチャリの後ろにまたがった。


「青春に身を委ねるのも学生の本分だよ」


 彼はポツリとそう呟く。


 ギィーギィーと男2人を乗せたチャリは今にも壊れそうな音を響かせて発進した。


 7月の日差しのせいか、風は生温い。それを涼しい音のする風鈴が冷ます。


 また今年も夏が来たんだね。


──『あの子』の死んだ夏が──




◇◇◇◇◇




「完全に見えないのかい?」


 今から5年前の夏、交通事故は起きた。

 原因は2台のながら運転。


『あの子』は俺を突き飛ばして身代わりになったけど、俺も対向車線から来たもう一台の車に跳ねられたんだ。


「ああ全く。お前の顔も見たことがない」


 俺は運良く助かったものの、あの夜を最後に光を失った。


 そしてその事故の後、俺と『あの子』の家族は激しく揉めた。

 結果的に『あの子』側の家族はフランスに引っ越し、俺の両親も知らない間に消えた。


 まあ、うちの両親は俺とじじいの面倒を見飽きただけかもしれないけど。


 何にしろ、光も家族も『あの子』も失った今の俺に生きる希望なんてない。



「着いたよ純。何ボケっとしてるのさ」


「悪い」


「チャリ置いてくるからここで待ってて」


「いい、別に。学校の中なら1人で移動できるし」


「そう言ってこの前、頭をぶつけたばかりじゃないか」


「あ、あれは調整をミスっただけだ」


「純の白杖を使いたくない気持ちはわかるけど、せめて僕は使ってくれよ。怪我されたらこっちが責任感じるから」


「でも俺はみんなと同じように見られたくて……」


「いいから待ってて。あまり僕を困らせるな」


 川井健一かわいけんいち


 俺の過去を知り且つ今のこんな俺でも認めてくれる。異常なほど世話好きでお人好しで変な奴。でもそんな彼は俺のたった1人の友人だ。


「わあったよ」


「一歩も動いたらダメだから」


 あと意外に頑固な奴でもある。



 それはそうと暑い。

 当たり前だけど人を待っている時間というのはすごく暇。目の見えない俺は特にそう感じる。


 皆が携帯をいじるように俺にも視界的娯楽があったらこんな時間でも楽しめたのかな。


 せめてこの蒸せるような暑さを紛らわせる出来事でもあればいいんだけど。


「はよー! 君、うちの部の入部志望者だよね?」


 俺の周り一体をふんわりと包むラベンダーの香り。突然目の前で湧いたその女の声はとても甘く澄み透っていた。


「ちょっと、聞いてる?」


「俺に言ってんのか?」


「君以外に誰がいるの」


「なら人違いだ。俺は部活なんてものに興味はない」


「人違いじゃないよ。放課後ここに来て」


 すると、握らされるように1枚の紙が渡された。その紙は手汗で少し湿っている。


「お前な、俺は部活に興味がないって言ってるだろ」


「じゃ、そういうことで」


「おい、俺は行くなんて一言も……って何する⁉︎」


 そいつは俺の手を引っ張った。直後、丸みを帯びた柔らかな物体に手が押し当てられて……。

 ……え、これってまさか……?


「来なかったらこのこと、みんなに言っちゃうからね?」


 そいつは耳元でそう囁いた。

 あまりに恍惚とする声の響きに、体全身が熱くなって呆然とする。

 

 ハッと我に帰る頃にはそいつの気配はなかった。


 人違いはするわ、変なものを渡してくるわ、こんなことをしてくるわ……。

 失礼極まりない女だ。


「純、誰だよ⁉︎ 今の女の子は!」


 今の会話を見ていたのか聞いていたのか、健一は俺のところまで走ってきて、尋問でもするかのような勢いで言った。


「知らねえよ。あいつがこれを渡して来たんだ」


「えっと、『思い出を一緒に作りませんか?』。ああ、これは部活勧誘ポスターだね」


「そうか、ならいい。俺は行かないから」


「えっ、何で?」


「部活なんて所詮、適当に群がって青春ごっこする場所だろ」


「どうしてそう、敵を増やすような言い方を……。部活は友情を深めることのできる大切な場で……」


「とにかく俺は行かない」


「せめて見学くらい」


「そんなに行きたいなら1人で行け。かまちょかお前」


「違うよ。僕が部活に出ると純が1人で帰ることになるだろ」


「お前、本気で入るつもりなのか……?」


「うん。だから純も一緒に入部しよう」


 今まであいつ、どの部活に誘われても入らなかったくせに何で今さら……。


 ……とにかく俺は絶対入らないぞ。あ、でもあの強制痴漢を訴えられたら……。くそっ、面倒だな!

 


 青春、なんてものとは程遠い俺の日常。

 だけどこの日から確実にその日常は非日常へと変わっていったんだ。


 あの女のせいでな。

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