それでも魔女は毒を飲む

東洋 夏

第1話 横領する魔女、逃げるワニ

 これは頭の悪い女の話だ。

 同時に頭の悪い俺の話でもある。



 雨が降っている。

 人の骨を溶かし、内臓から石に変える雨。

 薄黄色の雨のベールを透かして見る視界には、ネズミ一匹通らない。

 この星ではいつも雨が降っているが、今日はひときわ鉱性度が高いという。

 正気であればそんな危険な日には誰も出歩かないものだ。

 俺はトレンチコートの襟を立て、傘の中で体を縮ませながら、人気の少ない裏通りを歩いて行く。

 雨よけの上に雨と同じ色の鉱石を生やした信号が、赤から緑に変わる。

 俺は少しだけ視線を上げて交差点の表示を読み取った。

「レイニー国道十五号線、宮橋交差点」

 左折する。

 道案内に聞いていた通り、次の角にハンバーガーチェーンの看板が見えた。

 きょうもにこにこ、ウララカバーガー宮橋店。

 そこから三本先の電柱の下。

 電話口で告げられたのはその電柱の番号だった。

 レインブーツの下で、早くも硬化を始めた水たまりがしゃりしゃりと音を立てて割れる。

 俺は一刻も早くこの陰気な星からおさらばしたかった。

 いつかこのけったいな雨が肺に入って死ぬかもしれない。

 歴史の教科書には人類が起こした悲劇のリストとして必ず、レイニー星に鉱性雨が降るようになった顛末と、鉱疫によって全身から薄黄色の鉱物を生やした知性体のホログラムが載っているものだ。

 俺は想像して震える。

 体の内側から鉱石が生えてきて、鱗を突き破っていくときの激痛を。

 しかし主導権は相手にある。

 俺は首輪をつけられた犬も同然だ。

 あの魔女に。

「ガービアール!」

 指定された電柱の下で待ち合わせ相手が手をぶんぶんと振っている。

 一片の曇りもない笑顔、鉱疫にかかる可能性は零だと確信している能天気なツラ構え。

「静かにしろよ」

 俺が苦々しい口調で言うと、魔女はわけわからんというように小首を傾げる。

 緑色の髪が場違いにもふわふわと揺れた。

「誰が聴いてるか分かんないだろ」

 魔女は俺に手のひらサイズのポーチを押し付けた。

 よくやったわ私、という意思表示として大きめの丸眼鏡をくいっと押し上げる。

 馬鹿丸出しじゃねえかと俺は思った。

 よくこれで生きて来たな。

 トレンチコートの下にポーチを隠す。

 街灯がちかちかと明滅しながら俺たちを黄色く照らしていた。

「行くぞ」

「うん。ねえ、ガビアル。わたしお姫様抱っこがいいなあ」

「馬鹿か」

「だってほら」

 至近距離で銃声が連続した。

 俺と魔女の間に着弾。

「ほらね」

 傘を捨てて俺はゆるふわ魔女を抱え上げる。

 尻尾でターンを決め体勢を反転、駆け出した。

「今度は何なんだよ!」

 銃弾が街路を舐め、街灯のフードが粉々に割れる。

 エンジン音。

 ちらりと振り向くと、絶対やばそうな武装バイクがこっちに向かって走ってきている。

 俺は急旋回して小道に入った。

「横領したの」

「だろうな」

「さっきの、雫財閥の機密情報」

 どん、と砲声がして目の前の廃墟の壁が粉々になった。

 俺は瓦礫を駆けあがり、尻尾で軌道を変えて跳躍。

 宙で一回転。

 鱗をかすめて銃弾が飛んで行くのが見える。

 前転して着地。

 コートの下のハンドガンを抜いてバイクに発砲、前輪を撃ち抜く。

 つんのめったバイクは背負い投げの要領で乗り手を振り落とし、ついでに地面に押し付けた。

 俺はその結末を見ることなく再びの疾走、そして砲火、回避。

「売ったら五百万にはなるかな~」

「ええもう黙ってろお前は!」

 雨の中を俺は真一文字に走る。

 追手がぞろぞろと増えていた。

 どんだけヤバいものを取ってきやがった。

 雫財閥って言ったら、確かレイニーの軍需品企業のボスだったはずだがね。

 やがて川が見えた。

 鉱疫で死ぬか銃弾で死ぬか。

 賭けるなら前者のがまだ分が良さそうだった。

 一気に土手を駈け下りると潜水呼吸器ブリーザーを魔女の顔に押し付けて、濁流に飛び込む。

 尾を振るって矢のように泳ぎ、ぐんぐんと速度を上げて目当ての場所を探した。

 脳径接続ダイヴが黄土色の川の中に眠る排水溝の位置を示す。

 魔女がじたばたと腕を振るのが死ぬほどうっとおしく、俺はあと三十秒それが続いたら手を離してやろうと思った。

 下水の金網に取りつき思い切り揺さぶると、鉱性雨で弱っていたそれは呆気なく外れる。

 俺は流れに逆らって下水管に体を入れ、ぬるぬるとした天井の取っ手を掴んで引き上げた。

 蓋が落ちる。

 俺は点検口に鼻先を突っ込んで息継ぎをした。

 魔女の潜水呼吸器ブリーザーはあと三十分は持つ。

 再び濁流に身を躍らせた俺は、下流に向かって迷いなく泳ぎ続けた。

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