第24話 ハード・ネゴシエイター

「いやあ、驚いた。日本人選手ジャポネのクォリティについて疑っていたわけじゃないが、俺は今まで日本人選手を率いたことがなくてね」

 一日の練習が終わると、フィリップスは老眼鏡の中の大きな瞳をパチクリさせながらジャックに優吾のプレーのパフォーマンスについて感想を言った。


「フランクフルターFCの馳見とか、ビジャアトレチコの久我とか、いい日本人選手はビデオでチェックをしてるがユウゴはそれ以上のパフォーマーだという事が分かったよ」


「それで、契約はどうする?」

 そこまで褒めるなら当然契約の話をしてもよいだろう。


 ジャックはフィリップスにそう言って迫った。


「まだ、決められないな」

 

「えっ、なんだって? フィリップス、どうしたんだ。今ユウゴの事を褒めていたじゃないか!」


「すまない、俺は優柔不断なんだ」

 ジャックの頭の中では、交渉のカードが何枚もめぐっている。


 どの一枚を切ればいいのか。


 しばらく頭の中で逡巡したが、フィリップス相手に駆け引きをしてみることにした。


「フィリップス、優吾は明日はボローニャのテストに参加する予定だ。そんな悠長なことは……」


「それならそっちに行けばいい」

 と、フィリップスはにべもない。


「何がボトルネックなんだ、率直に言ってくれ」

 フィリップスはフィレンツェCCCではGMを兼ねた全権監督だ。

 しかも昔からハードネゴシエイターとして鳴らしている。


 完全にジャックはフィリップスに対して後手を踏んだようだ。


「率直に言うよ。やっぱりサン=ドニの事件がちょっと引っかかるな。チームに与える影響とか、そこが今の俺には読めない」


「しかし優吾も被害者だってことはフィリップスも分かっているだろう?」


「分かっているさ。だから俺はもう少し時間が欲しいと言っている」


「ボローニャでのテストが良ければ、優吾はそっちに行くかもしれない。テストを受けるのは彼の権利だが、何か彼を引き留める言葉をフィリップス、あなたから掛けてもらえないだろうか」

 ジャックは懇願した。


「ああ。それはそうと、彼はどう思っているのか聞いてみるのが先じゃないかね?」


「そうだな。おい、優吾! ちょっとこっちに来い!」

 練習が終わっても、優吾は一人でフリーキックの練習をしている。


 ゴール前にはディフェンダーを想定したダミーのボードが置かれていて実践的な練習だ。


 集中していた優吾は少し嫌そうな顔をしたが、最後の1本を左脚で蹴り、ボールは綺麗なカーブを描きながらダミーのディフェンダーを巻きながらゴールネットに突き刺さった。


「ジャック、なんなの?」


 タオルで汗を拭きながら優吾はジャックとフィリップスがいるところへやって来た。

「ユウゴ、ウチの選手とウチの練習はどうだったかね?」


 ジャックが英語に通訳をする。

「ええ、フランシスも最初は近寄りがたかったですが、ゲームを通してうまくコミュニケーションが取れたと思う。みんなのプレーの質は想像通りだった。ここでのボールの強さも、判断時間の速さも問題なく対処できると思う」

 

 そう答えた優吾に対してフィリップスは、

「お前さんなら。Classe A一部リーグの試合でも十分通用するだろうよ」


 ジャックにそう通訳されて優吾は、


「それで、俺は合格なの?」

 とフィリップスに迫った。


「悪いが、まだ決めていないんだ」

 

「誰かほかに候補がいるの?」


「ああ。実はいるんだ」 

 それを聞いてジャックの顔色が変わった。


「フィリップス、そういうことはもっと早く言ってくれないと。さっきの理由はウソかい?」


「ジャック、君はせっかちだな。決めるのはこちらだ。気に食わないなら、」

 通訳なしでも意味が分かったのか、そう言いかけたフィリップスに優吾は、


「いいよ、俺はボローニャのテストも受けるけど、そっちに受かってもフランシスと一緒にやりたい」


「いいのか? 交渉事は譲歩ばかりじゃうまくいかないぞ」

 

「いいよ。俺、今日で自信を持てたから。あんたが俺を要らないって言ったら絶対後悔させるぜ」


「ユウゴはいい魂を持っているようだな。わかった。明日もう一人の候補者をテストする。そいつが君と同等なら君を選ぶ。それでいいか?」


「分かった」

 優吾がそう答えると、フィリップスは、


「おい、そこで何やってんだ。何か用事か? ウィリアム?」


 マクガイヤが照れ臭そうに3人に近づいてきた。

「いやぁボス。チームを代表して言うけど、オレたちはユウゴは多分俺たちとうまくやれると思う。契約でまだ悩んでいそうだったからちょっと助言をね」


「ウィリアム、助言はありがたく頂戴しておこう。しかし決定するのは私の専権事項だ」


「分かってますよ。ボス。でも俺たちの気持ちはそういう事です」


「フランシスもそうか?」


「ボス、フランシスがあんなに楽しそうな顔してゲームしていたのを、いつ見たのが最後ですか?」

 虚をつかれたのか、フィリップスは口を開けて暫し瞬きを止めていた。


「ああ、もういつだったか忘れたよ」

 ジャックは、フィリップスがそう言ったのを聞いて深く深呼吸をして気持ちを整え、勇気を出して言った。


「我々は、明日ボローニャに行くってことでいいんですよね? フィリップス」

 ジャックの渾身のクロージングだった。


 フィリップスは答えた。

「ああ、行きなさい。俺がボローニャで一番美味しいリストランテを予約しておいてやるよ。カルチョサッカーじゃなくて、料理を楽しんで来い」

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