第2話 家出少女じゃなかった

「君、名前は?」

本荘ほんじょう百合香ゆりか。よろしくお願いします」


 セミロングでこげ茶色、細い髪の毛。触ったら絶対にサラサラして気持ちいいだろう。

 コバルトブルーの瞳は、理性を吸い取られそうになる。まだ乾ききっていない涙で潤む瞳が、男の生まれ持つ本能を呼び寄せる。青の洞窟か、キラキラのコバルトスピネルか。はたまた大洋のゆらめきか。無防備に眉がたらぁんと垂れ、完全にガードゆるゆるモードだ。


「あんなにアピールしなくても、きっと君を家に入れてたよ。俺、心がよっわよわだからな。はは」


「ありがとうございます。私、お兄さんが家に入れてくれて本当に嬉しいです。今日は、お礼に一緒に寝てあげなきゃです」


 また腕に絡みついてくる。服越しに、華奢な腕の温かみが伝わる。


「だ、だからさ。そういうことしなくても……」

「寝たいです。一緒に寝たいの。ね、お兄さん。いい、でしょ?」


 小首をちょこっとかしげて、くりんっ。と目を丸くする。


「……」

「はい、は?」

「はい」

「あははっ、決まりですね」

「……あ」


 いつの間にか決まってしまった。


「お兄さん、お名前は?」

「俺は、鳴子なるこ峡介きょうすけ。大学生してる」

「へえー。何年生なんですか?」

「三年」

「何歳ですか?」


 年齢の質問か。

 俺は25歳なんだが、普通の大学三年生は21歳だ。どうしよう、正直に言うべきだろうか。


 じー、と俺を見ている。興味津々な丸っこい目だ。もし25と言ったら、鼻で笑われるだろうか。

 浪人と留年を繰り返した末、アラサーとかいう言葉にひっかかる歳になってしまった俺。俺よりずっと若いであろう女の子だ、きっと笑われるだろうな。


「私は16歳。高校一年生です。覚えてくれましたか?」

「16歳……」


 遠い過去、俺にもそんな歳があった。


「お兄さんは、言いずらいみたいだから言わなくていいです。私、若い人よりおじさんのほうが好きですから。お兄さん大丈夫です、自信持ってください」


 お兄さんとおじさんがごちゃ混ぜになっている。少しモヤモヤするけど、笑われなくて良かった。



「君……本荘さんは」

「百合香って呼んでくださいお兄さん。ね? お兄さん大好きっ」


 どうしてこんなに馴れ馴れしいんだろう。女の子にいっぱい触られて物凄く幸せだけど、ちょっと不自然ではないだろうか。


「ゆ……百合香、ちゃん」

「お兄さん、顔赤いです。でも私も、真っ赤ですよね……」


 実際は、百合香ちゃんの頬は桃くらいの染まり具合だ。

 

 桃?


「そういえば君、口から桃の匂いがするんだけど、なんか飲んだ?」

「ええーと……」

 

 うすピンクのカーディガン一枚を羽織っただけの上半身。水色ホットパンツに黒ニーソという艶めかしさ。どうしてこんな姿で、ゴミ捨て場に捨てられていたのだろう。こんなにきれいなゴミは、ゴミじゃない。


 きっと理由がある。


「ちゅー」

「え?」

「はいちゅー、飲みました……」


 説明しよう。はいちゅーとは、ちゅーをいっぱいしたくなるちゅーインガムのことだ。森田製菓より発売されている。なぜ彼女が「飲んだ」と表現したのか、これは永久の謎である。


「話を変えよう。君、どこに住んでるんだ?」

「このアパートの、106号室です」

「……。一人暮らし?」

「はい。高校に通うために実家を離れて一人です。毎日寂しいんですよね、あはは……」

「なるほど。これで分かった。なぜ百合香ちゃんがあそこに捨てられていたのか」


 百合香ちゃんは、お隣さんだったのだ。だってここ107号室は、106号室の隣だから。そして、寂しさをこじらせてちゅーインガムを貪り、頭がヘンになったせいでゴミ捨て場にふらふら漂着してしまった、と。


「隣にJKが住んでるなんて知らなかった。隣人として、よろしくお願いします」


 桃色だった顔がちょっと赤みを帯びてきた。


「今まで誰も拾ってくれなかったけど、お兄さんはこんな私を拾ってくれた。その……また拾ってくれますか?」


「普通の人は拾わないからな。ゴミ捨て場でよ……ふらふらしてる人なんて」


「でもお兄さんは、そんな私をこれからも拾ってくれるんですよね? ね? はい、は?」


 もう脳みそがとろとろだよ。ああー……


「はい」


「あははははっ。もうお兄さんたら~」


 どしんっ


「え……」


 百合香ちゃんに、あまりにも軽やかに押し倒された俺。


「もう私、お兄さんのせいで我慢できなくなっちゃいました。お兄さんもそうですよね?」


 下になった俺に首を回す百合香ちゃん。よだれが俺の顔に落ちる。

 オレンジと桃が絡み合った、甘い匂い。あったかい。全てがあったかい。


「だめ。だめだよ。全身全霊で我慢してく、れッ」


 刹那


「きゃっ」


 華奢な腕をしっかり掴んで、百合香ちゃんをベッドにともえ投げする。


「いたいですよ!」


「ごめん。でも、みだらな行為はダメだから。そこだけは謹んでくれないと、家に入れることはできない」


 ベッドの上でしゅんとして、座っている。正直、ゴミ捨て場に座っていたホットパンツ&黒ニーソで座ってほしくない。だが緊急事態だったので、やむを得なかった。


「百合香ちゃん、お風呂入ってきたら? 自分の家の」


「嫌です、お兄さんにせっかく拾ってもらったのに」


「俺の家の風呂に入るのか? みだらな行為をしてきそうで怖いんだが」


「絶対にしません、神様に誓います。疑ってるんですかお兄さん」


 拗ねているけど、みだらな行為は許されない。俺は単に正当な考えに基づいて、未成年の行き過ぎた行為を抑制したまで。何ら悪くない。


「だから、一緒に寝てください。普通の意味で」


「普通の意味でも気が引けるな。おしゃべりだけじゃダメなのか?」


「ダメです。それに、横になってイチャイチャしながらおしゃべりしたほうが楽しいです。そうですよね? そう思いますよねお兄さん?」 


 もう惑わされない。無視しよう。


「お願いお兄さん、はいって言って? 無視されるのすごく傷つくんです私」


「あんまり君が卑猥だから、警戒心出てきちゃったよ。俺は寝る、あとは勝手にしてくれ。あ、物を盗んだらダメだぞ? 容赦なく警察に通報するから」


「そのときは私も、『この人に犯されていました』って言います」


 ああ、面倒だ。どうやら家に置いておくのがラクそうだ。

 俺はベッドの右を開け、左を向いて寝る。


「ほら、ここ開けとくから、さっさと風呂入ってこい。タオルは鏡付き収納棚に入ってるから」


「わかりました。じゃあ、入ってきます。待っててくださいね?」


「ああ」


 ちょっと経って、風呂場からパチャパチャと音が漏れ聞こえてきた。その音に睡眠を誘われて、うとうとし始める。

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