第48話 前日譚⑤

 米田は、鮫西茜の家を一人で歩いていた。古い家のため、歩くたびにギシッと床がきしむ。

 そんな米田を天井に張り付いたアヤカシがじっと見ていた。

 アヤカシは天井を移動しながら、米田に気付かれないようにジワリジワリと背後から忍び寄る。

 そして、米田との距離を十分に詰めたところで、天井から飛び降り、米田の背中に張り付いた。背中に張り付いた瞬間、アヤカシは米田からエネルギーを吸い取り始める。

「がっ!」

 そのアヤカシがエネルギーを吸い取るスピードは凄まじく、米田はすぐに立っていられなくなり、床に倒れた。

 その時、カーテンの影から別の人間───米田の友人である猿木が現れた。

「フッゥ!」

 猿木は投網のようなものを米田の背中に張り付いているアヤカシに向かって投げた。

「ギエエエエエエ」

 網に絡まったアヤカシは必死に抜け出そうともがく。すると、猿木はポケットから小さな瓢箪を取り出し、その口を網に絡まっているアヤカシに当てた。

「グギャアアアア!」

 アヤカシは凄まじい奇声を上げ、瓢箪の中に吸い込まれた。猿木は瓢箪の口に栓をして、中にアヤカシを封じた。


***


「ご苦労様、大丈夫か?」

 倒れている僕に猿木さんは聞いてきた。僕は首を横に振る。

「体が……動かない……」

「エネルギーをだいぶ吸い取られたな。だが、安心しろ。その内動けるようになる」

 まるで蛙のように地面にへばりつく僕を見て、猿木さんはニヤリと笑った。

「なんにせよ囮作戦は成功した。これで無事解決だ」


 その後、猿木さんは無事アヤカシを封じることが出来たと、茜さんに連絡をした。電話越しに茜さんは「ありがとうございます」と何度も猿木さんに礼を言ったのだそうだ。

 報酬は後日、茜さんが直接渡しに来るという。

 僕は猿木さんの言う通り、二時間後には何とか歩けるまで回復した。

 事件を解決した僕らは、アヤカシを封じた瓢箪を持って、猿木さんの家に帰った。

 家に着くと猿木さんがコーヒーを淹れてくれた。

「それにしたって、僕を囮に使うなんてひどいよ」

「すまん。すまん。お前を囮にするのが一番手っ取り早かったんだ」

 猿木さんはコーヒーを一口飲む。

「あの家には多くのアヤカシが住んでいたが、人を襲うアヤカシは『壺に封じられていたアヤカシ』以外いなかった。たくさんいるアヤカシの中から『壺に封じられていたアヤカシ』だけをおびき寄せるためには、お前を餌に使うのが最も効率が良かった」

「正直死ぬかと思ったよ。もう少し早く助けてくれてもよかったんじゃない?」

「あの『壺に封じられていたアヤカシ』は私とお前と鮫西茜の三人が一緒にいる時には襲ってこなかった。だが、鮫西茜が一人で家の中に入った瞬間、彼女を襲った。しかし、家のインターフォンの音を聞いただけで、その場から逃げている。とても警戒心の強い奴だと思った。だから、確実に捕まえるためには、奴自身が、狩りは成功したと油断するまで少しの間待つ必要があった。でないと逃げられるからな」

 そういえば、あの家の家族が襲われた時も、留守番をしていたり、風呂場だったりと皆一人になったところを襲われている。猿木さんが言っているように『壺に封じられていたアヤカシ』はとても警戒心が強いようだ。

「ところで、あのアヤカシに投げた網みたいなのって何だったの?初めて見たけど」

「あれはアヤカシを捕まえるために作ったものだ。ある程度力が強いアヤカシでも少しの間なら動きを止めることが出来る」

 猿木さんは学校で作った工作を親に自慢する子供のような口調で話す。

「他にもアヤカシから一定時間気配を消せる塗り薬も今回は使った。だからカーテンの裏に隠れるだけで、相手に気が付かれずに済んだ」

「他にもあんな道具はあるの?」

「ああ、倉庫に行けばたくさんあるぞ。今度見せてやろうか?」

 無邪気に笑う猿木さんに僕は言った。

「……機会があったらね」


 淹れてもらったコーヒーを全て飲み干した僕はふと疑問に思ったことを口にした。

「それにしても結局、アヤカシの封印を解いたのは誰だったんだろうね」

「前にも言った通り、あの壺の封印を誰が解いたのかは分からない。鮫西茜かもしれないし、鮫西昌かもしれない。死んだ中の誰かかもしれない」

「……だよね」

 誰があの封印を解いたのか。それはもう明らかにすることはできない。僕にもそれは分かっていた。

 でも、猿木さんは少しの沈黙の後、こう言った。


「ただ、私は壺の封印を解いたのは、彰浩氏ではないかと思う」


「えっ?彰浩さんが?」

 猿木さんの口から出た人物の名前に僕は驚く。

「どうして、そう思うの?」

「これはあくまで私の推測だが」

 と猿木さんは前置きした上で話しを始めた。

「まず、あの壺だが、あれは本来魔よけの壺だったんだ」

「魔よけの?」

「覚えているか?あの壺に描かれていた絵のことを」

「『妖怪を食べている龍』が描かれていたよね?」

「そうだ。あの壺に描かれていた妖怪は、病気や天災など人間にとっての厄災を描いたもので、龍はその厄災を喰い、人間を守護している。つまり、あの絵には魔よけの意味が込められている」

「へぇ」

「彰浩氏も当然、あの壺が魔よけの壺であるということは分かっていたはずだ」

 猿木さんによると彰浩さんの骨董品を見る目は相当優れていたらしい。だとしたら確かに彰浩さんも猿木さんが今言ったことを知っていてもおかしくはない。

「だが、ひょっとしたら、その知識のせいで彰浩氏は勘違いをしたのかもしれない」

「勘違い?」

「壺に封じられていたものがだという勘違いだ」

「───ッ!」

「彰浩氏があの壺にアヤカシが封じられていると知っていたかどうかは分からん。だが、もし知っていたとするなら、壺に描かれている『妖怪を喰う龍の絵』を見て、『壺に封じられているアヤカシ』も人間に害をなすアヤカシを喰うものだと誤解したのかもしれない」

 猿木さんは「もしくは」と呟く。

「勘違いをしていたのは彰浩氏に壺を売りつけた人間かもしれないな。彰浩氏に壺を売った人間はそのような勘違いをしていて、彰浩氏に誤った情報を教えたのかもしれない。『この壺に封じられているアヤカシは、他のアヤカシを喰うアヤカシですよ』とな」

「だけど、実際は『壺に封じられていたアヤカシ』は他のアヤカシじゃなく、人間を襲うアヤカシだった?」

「そうだ。私の解釈では、あの壺に描かれていた妖怪は中に封印されていたアヤカシのことを指していて、龍の絵は実はあの壺そのもののことを指しているのではないかと思う」

 アヤカシを食べている龍の絵は、アヤカシを封じている壺。龍に食べられている妖怪、つまり厄災は中に封じられているアヤカシ。確かにそう考えることもできる。

「それが時間と共に間違った解釈で伝わった可能性は高い」

「で、でも仮に猿木さんが今言ったことが正しいとすると、どうして彰浩さんは壺の封印を解いたの?彰浩さんはアヤカシが好きだったんだよね?」

 彰浩さんは自分でアヤカシの研究もしていて、茜さんにもよくアヤカシの話をしていたぐらいにアヤカシが好きだった。茜さんは、彰浩さんはあの家が好きだったと話していたけど、それはきっとあの家にはアヤカシがたくさんいるからだ。

「『壺に封じられていたアヤカシ』が他のアヤカシを食べる存在だと思っていたんなら、あの家に住んでいるアヤカシ達を守るために封印は解かないんじゃない?」

僕の問いに猿木さんは答える。


「鮫西茜のためだとしたらどうだ?」


「茜さんのため?」

「彼女は、アヤカシのことが怖いと言っていた。彰浩氏は彼女のために、あの家に住むアヤカシ達を排除しようとしたのではないだろうか?」

 僕は思い出す。

 茜さんは言っていた。彰浩さんは、茜さんにアヤカシの話を楽しそうに聞かせていたけど、当の茜さんはアヤカシが怖くて仕方なかったと。

「だから、あの家からアヤカシ達を居なくしようと?」

「壺は鮫西茜が結婚し、あの家に来る前からあったものだ。彰浩氏が壺に封じられていたものが他のアヤカシを喰うアヤカシだと勘違いした上で、封印を解いたのだとしたら、理由は鮫西茜のためだとしか考えられない」

 猿木さんはため息をつく。

「彰浩氏は最初、あの壺を観賞用か何かで購入し、封印を解くつもりはなかった。しかし、家族から暴力を受ける鮫西茜を見て、これ以上彼女の負担を増やしたくないと思った。家にいるアヤカシを全て排除することで、鮫西茜がアヤカシに怯えなくて済むようにしたかったのかもしれない。彰浩氏にとっては苦渋の決断だっただろうな」

 高齢だった彰浩さんが茜さんに暴力を振るう自分の家族を止めるのは、難しかったかもしれない。

彰浩さんは、ずっと罪悪感を抱いていたのだろうか?茜さんに暴力を振るう家族を止められなかったことを。

 だとしたら、茜さんのためにあの家のアヤカシ達をいなくしようと考えたとしてもおかしくはない。それがたとえ、自分が好きな存在であっても。

「あの『壺に封じられていたアヤカシ』はさしずめ彰浩氏にとってはハブを退治するために持ち込まれたマングースのようなものだったのかもしれないな」


 農業を営む人間にとって、ハブは噛まれれば毒で死んでしまうこともある恐ろしい存在だ。

 そこで当時、ハブ退治のために海外からマングースが持ち込まれた。マングースは毒蛇を食べることが知られており、ハブ退治の救世主として期待された。

 だけど、結果は散々なものとなった。

 マングースはハブを食べず、代わりに貴重な島の固有種を襲ったのだ。さらには、人間の飼っている家畜まで食べるようになった。

 マングース側からすれば、毒を持つ危険なハブを襲うよりも、外敵に対する防御の手段を持たない島の固有種を襲う方がはるかに楽だったのだ。

 しかも、マングースは昼行性でハブは夜行性。そもそも両者が出会う確率すら低かった。

 現在、マングースは捕獲・駆除の対象となっている。


 このように、国内にいる人間にとって害のある生き物を排除しようとして、外国から別の生き物を持ち込んだ結果、予想外の被害が起きることがある。


 猿木さんは『壺に封じられていたアヤカシ』をマングースに例えた。

 彰浩さんは茜さんのために『壺に封じられていたアヤカシ』を利用して、あの家にいるアヤカシ達を排除しようとしたのかもしれない。

 だけど、『壺に封じられていたアヤカシ』は家に住むアヤカシ達ではなく、住んでいた人間達を襲ってしまった。

 ハブ退治に持ち込まれたのに、ハブを食べず別の生き物達を襲ってしまったマングースのように。

「彰浩氏は鮫西茜のために、あの家に住み着いていたアヤカシ達を『壺に封じられていたアヤカシ』を使って排除しようとした。しかし、『壺に封じられていたアヤカシ』に関する情報を誤解していたため、自ら命を落とすことになった。それだけでなく、他の家族の命すらも奪うことになってしまい、さらには鮫西茜も危険な目に遭わせてしまった。これが私の考えだ」

 なんて皮肉な話なのだろう。

 茜さんのために善意でやったことが、もしかしたら彼女の命を奪うことになっていたかもしれないなんて。

「その話、茜さんには?」

「言わない方がいいだろうな」

 猿木さんは首を横に振る。

「彰浩氏が『壺に封じられていたアヤカシ』の封印を解いたというのは、あくまでも私の説で確証はない。だが、この話を鮫西茜が聞けば、自分のせいで何人もの人間が死んだと思うかもしれない」

 気が弱く、心優しい彼女なら十分にあり得る話だ。

「そうなったら彼女は、ショックで自殺するかもしれん。鮫西茜には『彰浩氏はあの壺にアヤカシが封印されていることなど知らずに手に入れた。封印は、長年の劣化で自然と解けてしまった』と説明する」

「その方がいいだろうね」

 この世界には知らない方が良いこともある。知ることで茜さんが苦しむくらいなら、何も知らない方がいい。

「猿木さんも優しいね」

 僕がからかい交じりに言うと、猿木さんは、フンと鼻を鳴らした。

「自殺されたら残りの報酬が貰えないからな。金のためさ」

 僕はニコリと笑って頷いた。そういうことにしておこう。

「茜さん、これから大丈夫かな?」

「さぁな。私達が依頼されたのは、あくまでアヤカシの退治だ。家庭の問題にまで口を挟むべきじゃない」

「……でも」

 猿木さんの言っていることは確かに正論なのかもしれない。だけど、このままじゃ茜さんが可哀そうだ。

 うつむく僕に猿木さんは言う。


「これからどうするのかは、彼女次第だ」

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