第38話 鏡

 猿木が何とか立ち上がることができたのは、華我子麻耶が去ってから二十分以上経ってからのことだった。立ち上がった猿木は、フラフラとした足取りで倉庫を出る。

「許さん…」

 倉庫では『白い大蛇』の圧倒的な力に何もできなかった。今も恐怖で足が震えている。だが、あいつはどうしても許せないことを二度もした。

 一つは猿木が父を殺してしまった原因を作ったこと。

 もう一つは猿木が所持していたアヤカシを全て喰ったこと。

 喰われたアヤカシの中には、これから売る予定だったアヤカシも数多くいた。その利益を得ることはもうできない。大損害だ。

 このままでは『猿木骨董店』は潰れてしまう。

「あいつを……『白い大蛇』を捕まえるしかない!」

 もし『白い大蛇』を捕まえることができれば、とんでもない大金となるだろう。なにしろ元『主』だ。大金を払ってでも手に入れたいと考える人間はきっといるはずだ。

 本当は殺してやりたい。だが、現状猿木の力では『白い大蛇』を殺すことはできない。封印するのが精一杯だろう。だったら『猿木骨董店』を守るためにも『白い大蛇』を封印し、売ることが最善だ。

 それに、殺せなくても人間の手で飼い殺しにされ、苦しむかと思えば、猿木の復讐心もいくらかは満たされる。猿木の抱いていた恐怖心は、復讐心と『猿木骨董店』を守ろうとする気持ちにより薄まった。

(まずはどうやって『白い大蛇』を捕獲するのかを考える。米田の協力は得られない。これから新しい作戦を練らなければ……)

 もう猿木は『白い大蛇』の居場所を知っている。居場所さえわかればいくらでも捕獲する手段を思いつけるはずだ。

 米田にも後で落とし前をつけさせるつもりだが、まずは『白い大蛇』の捕獲が優先だ。

(私を生かしたこと、後悔させてやる!)

 猿木は魔物のような笑みを浮かべた。


「ねぇ、そこのあんた」

 誰かが猿木を呼び止めた。視線を向けると、黒いフードをすっぽりと被っている一人の男がいた。

(なんだ、こいつ?)

 不審に思った猿木は男を無視して歩く。

「ねぇ、あんた。あんただよ。ねぇ」

 だが、無視されても男はしつこく何度でも「ねぇ、ねぇ」と猿木を呼ぶ。あまりにしつこいので猿木は足を止め、

「私に何か用か?」

 と苛立ちの混じる声で聞いた。

 その男はひどく疲れた様子だった。フードの隙間から見える髭は伸び放題で目には隈が浮かんでおり、頬も痩せこけている。今にも倒れそうだ。

(こいつ……どこかで見たことがある?)

 誰だったか。猿木は目の前の男を思い出そうとするが、あと少しの所で思い出せない。

 すると、男は何やらブツブツと言い始めた。

「……せ」

「はっ?」

「……こせ」

「なんだって?」

 声が小さくてよく聞こえない。猿木は男に近づき耳を澄ます。すると、男はポケットからキラリと光る何かを取り出した。

「金を寄越せ!」

 男はそのまま猿木に体当たりをした。腹部にズキンとした痛みが走る。

「えっ?」

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 男が離れる。その手には一本のナイフが握られていた。ナイフは真っ赤に染まっている。猿木は自分の腹部に視線を向けた。ジワリと血が流れている。

 そこで、猿木はようやく自分が刺されたことに気が付いた。

「がっ!」

 猿木はその場に倒れた。腹から漏れる血が地面に広がっていく。

「だ、誰か……!」

 助けを呼ぼうとしたが、周囲には誰もいない。

「くひひひっ、くっひひひひ」

 男はナイフを振り回しながら不気味な声で笑っている。被っていたフードが外れ、男の素顔が露わとなった。

「お、お前……!」

 猿木はその顔に見覚えがあった。直接の面識はない。だが、その顔と名前は知っている。

「か、鏡……恭二」

 鏡恭二。元鏡商事の社長。『未来を予知できるアヤカシ』の力によって会社を拡大していたが、そのアヤカシが『白い大蛇』に捕食されたことで人生を狂わされた男。

 鏡恭二は会社が倒産する寸前に詐欺を働いたうえ、会社の資産の一部を持ち逃げした罪で現在、全国に指名手配されている。最近この辺りで起きた路上強盗の犯人が鏡恭二に似ていたという話も猿木は聞いていた。

 だが、どうしてここに?

 鏡恭二は苦しむ猿木を楽しそうに上から見下ろす。

「痛い?イタい?いたい?」

「ぐっ……や、やめ……がああ!」

 鏡恭二は血が流れる猿木の腹部をナイフの柄で強く押した。凄まじい痛みが猿木を襲う。

「金よこせよ。かね、かね、かね、かね、かねええええええ!」

 鏡恭二は猿木の懐を漁り財布を見付けると、中から現金だけを引き抜いた。

「やったあ、こ、これで、これでまたクスリが買える!」

 鏡恭二は飛び跳ねんばかりに喜び、その場から去った。後には猿木一人だけが残される。

「だ、誰か……誰か……助け……」

 声が掠れて思うように出ない。このままでは出血多量で死ぬ。

(だ、誰か……)

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