第33話 アナグラム

「僕?」

 思わず声が大きくなった。何故僕を?

 蝶野さんが華我子さんを殺そうとするのは分かる。伊那後先生を殺した後、蝶野さんの上にいるのは華我子さんだ。彼女がいなければ、蝶野さんの小説が新しくデビューした五人の中では一番となる。

 でも、蝶野さんが僕を殺す理由が分からない。僕の小説より、彼女の小説の方が売り上げは多いのに。

「蝶野はお前に関してこう言っていた。『あの人はいずれ自分を抜く。その前に殺しておきたい』ってな」

「……ッ」

 伊那後先生は蝶野さんの小説より僕の小説の方が面白いと言ってくれた。まさか、蝶野さんも同じ感想を抱いていたとは。僕は何とも言えない気持ちになる。

「私が創り上げたアヤカシだが、人を殺すにはあるものが必要になる」

「あるもの?」

「殺したい人間の肉体の一部だ。髪の毛や爪、皮膚、唾液。そして、血。それさえあれば、私の創ったアヤカシは対象がどこに居たとしても相手を殺しに行く。本当は『肉体の一部があれば、相手がどこに居たとしても治しに行く』ように創ったはずなのにな」

 猿木さんは「フッ」と苦笑する。

「血……」

「蝶野はお前の血はすでに手に入れているのでいつでも殺せる。と言っていた」

「僕の血……あっ!」

 パーティー会場で根津に襲われた時、僕は怪我を負った。その時、蝶野さんはハンカチで僕の怪我を押さえてくれた。

 蝶野さんは僕の血が付いたハンカチを持っている。

 そういえば、蝶野さんはパーティー会場で灰塚さんの服に付いたゴミを取っていた。おそらくあの時、灰塚さんの服から髪の毛を回収したのだろう。

 根津は倒れているところを心配する振りをして近づき、灰塚さんと同じように服から髪の毛を回収したに違いない。

 伊那後先生とは出版社で会った時に、彼の髪の毛か何かを取ったのだろう。

「あいつがお前を殺そうとしていることを知った私は、それを止めた。『あまり殺し過ぎると、お前の体に悪影響があるかもしれない。だから、殺すのはあと一人だけにしておこう』と言ってな。そして、殺す相手を『華我子麻耶』だけにするように誘導した。あいつは私の言う通り、お前を殺すのをやめたよ」

 そういえば、蝶野さんと会った時、ひどく疲れているように見えた。

本人は『伊那後さんが死んだのは自分が話を聞かなかったからかもしれない』と悩んでいるからだと、もっともらしい嘘を言っていたけど、あれは『人を殺す力を持ったアヤカシ』にエネルギーを吸われていたからかもしれない。おそらく、蝶野さん自身もそう感じていたのだろう。

 思い当たる節もあったため、蝶野さんは猿木さんの言うことを聞いた。

「米田」

「何?」

「『白い大蛇』が憑いているのは、華我子麻耶だな?」

 猿木さんは確信している口調で聞いてきた。心臓がドキリと跳ね上がる。

「どうして?」

「私が創り、蝶野に憑いていた蛇のアヤカシは何故『白い大蛇』に喰われたのか?偶然『白い大蛇』に見つかり、喰われたと考えることもできるが、こう考えたほうが妥当だろう」

 猿木さんは顎を指で触る。

「蝶野は『

「───ッ!」

「つまり『白い大蛇』が憑いているのは、蝶野が殺害の対象にしていた人物ということになる。つまり、華我子麻耶だ」

猿木さんの言うことは正しい。猿木さんから借りたアヤカシが青色から黄色に変わったのは華我子さんだけだった。他の二人、鯰川さんと雀村には全く反応しなかった。

 そこで、ある考えが頭をよぎった。

「猿木さん。君は蝶野さんが僕を殺すことを止めたんだよね?」

「ああ、そうだ」

「だったら、どうして蝶野さんが華我子さんを殺そうとしたことは止めなかったの?」

「二人の殺人を止めれば、蝶野はまた暴走するかもしれないからな。お前は私にとって大事だが、華我子麻耶は私にとって何の関係もない。だったら、華我子麻耶一人を殺させてお前を救うほうがいいと考えた」

「本当に、それだけ?」

 僕は猿木さんに疑いのまなざしを向ける

「猿木さん。君は最初から華我子さんに『白い大蛇』が憑いていると踏んでいたんじゃないの?それを確かめるために蝶野さんを利用した」

「……」

「君が華我子さんを怪しんだ理由は分からない。だけど、その疑いは確信できるものじゃなかった。だから、君は僕の殺害は止めても蝶野さんが華我子さんを殺そうとするのを止めなかった」

 もし、蝶野さんのアヤカシが『白い大蛇』に喰われれば、華我子さんに『白い大蛇』が憑いていることが確定するし、上手くいけば暴走した蝶野さんを始末することができる。

 もし、蝶野さんのアヤカシが華我子さんを殺せれば、華我子さんには『白い大蛇』が憑いていない可能性が高い。そうなれば、『白い大蛇』が憑いている人間の候補を一人減らせる。

 万が一、華我子さんに『白い大蛇』が憑いているにも関わらず、蝶野さんのアヤカシが華我子さんを殺した場合でも、それはそれで構わないと猿木さんは考えていたのではないだろうか?猿木さんの目的は『白い大蛇』への復讐なのだから。

 蝶野さんのアヤカシが華我子さんを殺した場合、『白い大蛇』はどうなっていたのだろうか?華我子さんの死に引きずられ、一緒に死ぬのか、それともただ単に華我子さんという隠れ家を失うことになるだけか。

 だけど、どちらにしても猿木さんにデメリットはない。

 猿木さんは感心したように一回手を叩いた。

「その通りだよ。米田。私は蝶野を使って華我子麻耶に『白い大蛇』が憑いていないかどうか調べた」

「……『白い大蛇』が猿木さんの創ったアヤカシを食べたら、そのアヤカシを憑かせていた蝶野さんも酷い目に合う可能性があるってこと、当然分かっていたよね?」

「ああ、もちろんだ。その可能性もあると当然思っていた。もっとも、あいつの場合『白い大蛇』にアヤカシが喰われた直後、アヤカシとの繋がりが切れたため助かったようだがな。そうでなければ全身が熱せられたバターのように溶けていただろう」

「……」

「蝶野は危険な奴だ。放っておけば、これからも人を殺すだろう。もしかしたら、またお前を殺そうとするかもしれないし、いつかは私も殺そうとするかもしれない。『白い大蛇』が華我子麻耶に憑いているのかを調べるついでに、蝶野のことも対策しただけだ」

 これが今までに起きたことの真相。

 猿木さんは蝶野さんに『人を殺す能力を持ったアヤカシ』を売った。

 蝶野さんはそのアヤカシを使って三人の人間を殺した。

 そして、蝶野さんは猿木さんの目論見通り、自分に憑かせていた『人を殺す能力を持ったアヤカシ』を『白い大蛇』に食われて重体となった。

「華我子さんに『白い大蛇』が憑いていると最初から怪しんでいたのはどうして?」

「名前だよ」

「名前?」

「最初にお前から『華我子麻耶』という名前を聞いた時、そいつに『白い大蛇』が憑いている可能性が高いと思った」

「なんで?」

「『華我子麻耶』という名前がアナグラムだからだ」

 アナグラムというのは文字列を並べ替えたものだ。映画やドラマ、小説などで暗号やダイイングメッセージとして使われることもしばしばある。

「『華我子麻耶』という名前を始めて聞いてすぐに分かった。この名前はある蛇の名のアナグラムだと」

「ある蛇?」


「ヤマカガシだ」

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