37:俺と彼女と分岐点



 夢を見た。


 夢を見た──。


 独りになっていく男の夢を見た──。


 両親がいて、多くの友達がいて、学校の先生がいて、近所のお爺さんお婆さんが居て──子供の頃は色んな人に囲まれていたように思える。


 しかしそれは、いつまでも同じではなかった。


 学校が上がれば先生とはお別れし、友達のグループも違うものとなり、近所のお爺さんお婆さんとは出会わなくなり……。


 ひとり、またひとりと周りから人が減っていく。


 それは別に苦とは思わなかった。気にも止めなかった。


 小学生から中学生へ。中学生から高校生へ。高校生から大学生へ。大学生から社会人へ。


 環境が変われば人も代わる。人が代われば、今まであった人の繋がりも変わっていく。


 細くなっていく、もしくは少なくなっていくその繋がりを見ていることしかしなかった。そういうものだと思っていたし、どうにもできないことだとも思っていた。


 社会人になればそれは顕著になり、仕事に追われる毎日に、余裕がなくなっていく心に、疲弊していく体に、色んなものの誘いを断ったように思う。


 しかしそうなれば糸のように細い繋がりは、ぷつっと切れていった。それはひとつ、またひとつと切れていくのを見ていることしかしなかった。


 いや、出来なかったというべきか。磨り減った心は、繋がりを結び直すという行為にまで気が回らずにいた。


 平日は仕事に苦心し、休日は仕事で疲れた体と心を癒す。


 そんな日々を繰り返していると、気がつけば周りに誰もいなくなっていた。


 それを仕方がないと受け入れていた。離れていく人に対して何もしなかったし、繋がりを保つ努力を怠ってきた。独りになるのも当たり前のことだ。


 そうして独りになって、なり続けて……。いつかは仕事もできなくなり、屋根の下で寝ることも叶わず。駅前のベンチで、もしくは河川敷の草の上で腐って朽ちていくだけの人生だと、諦めていた。


 ──そんな男の夢を見た。


 その男の生きざまを、悲しいことだとは思ったが、間違っているとは思わなかった。


 もちろん、大半の人はその生きざまを間違っていると罵るだろう。そのような人を生む社会のシステムか、そんな生き方を選んだ本人か……その惨めな生き方を否定するだろう。


 でも──。


 だとしても──。


 全てを諦めて独りぼっちで生きたとしても──。


 その男は、一生懸命に生きた。


 例え色んなものを諦め、後悔し、涙を流したとしても。


 彼は自ら死を選ぶことだけはしなかった。それが彼に残された精一杯の抵抗だったとしても、貫き通したその意地だけは否定できやしない。


 ただただ、ただただひたすらに、不器用に、一生懸命に生きた男の夢を見た。


 そんな、どこにでもいる普通の男の夢を見た──。





※  ※  ※






「家庭教師の話、お受けいたしますわ」


 マリーさんのその言葉に、俺はホッと胸を撫で下ろした。


「すまない。助かる」


 響花のバイトしているレストランで、閉店後の店に俺は訪れていた。というか呼び出された。L○NEでいいと思ったが、多分例のことではぐらかされると思ったのだろう。


 響花は今日は友達と海に行って晩御飯も取ってくるらしい。それであればと、呼び出されたついでに晩御飯をこのレストランで取り、閉店後まで残らされて


 まあこの店は職場から近いし、仕事の後だから特に苦でもなかった。


「響花には俺から話を通しておくよ。マリーさんなら響花も嫌な顔はしないだろ」


「お願いしますわ。それで──」


 そんな話はさておきとでも言うかのように、彼女の視線が俺を射ぬく。


「この間の答え、お聞かせいただけるかしら」


「そんな睨まれても」


 彼女はため息をひとつ付き、


「言っておきますけれど、生半可な答えでしたら許しませんわよ?」


 うっわ、怖ぇ……。


「継母かなにか……?」


「うるさいですわね。はぐらかさないでくださいまし」


 マリーさんは頬杖をついて遠くを見るような目をする。


「あの子はいい子ですわよ。急なお願いでバイトに来てもらったのに、嫌な顔ひとつ見せずしっかりやってくれていて」


 だから、と彼女は続けようとして、首を横に振った。


「いけませんわね。わたくしの私情を挟んではあなたの気持ちが鈍りますわ」


「…………」


「さあ、お聞かせくださいまし。あなたの響花さんに対する気持ちを」


「俺は────」


 マリーさんに視線を向け、いずまいを正してその一言を口にする。


 その言葉を聞いたマリーさんは目を驚きにまるくし──そして声をあげて笑った。


「いいですわ。いいですわ! わたくし、そういうの嫌いじゃありませんわよ!」


「意外だな……てっきりキモいとか言われると思ったのに」


「そんなことありませんわ!」


 先程の怒ったような声から一転して、マリーさんは愉快そうな声をあげる。


「そういうの女の子にとっては憧れですもの! それに──」


 マリーさんは目を細める。


「それだけ本気ということなのでしょう?」


「俺はただ、一生懸命なだけだよ」


「それを人は本気と言うのですわ」


「もし──」


 俺はテーブルの木目に視線を落とす。


「ダメだったら、少しの間だけでいい、響花を──」


「おっと、嫌ですわ」


「──!?」


 その否定に、俺は顔をあげる。


「失敗を恐れながら行動に移すものじゃありませんわ。それはその時に考えればよろしいのではなくて? 今できることは、最善を尽くすことですわ」


「それは……そうだな」


 俺は椅子に背中を預けて、肩の力を抜く。


「参ったな。君は俺より優秀なようだ」


「モノを知らないだけですわ。年下と侮らず、そう認められるだけでありがたいことですわ」


 さて、話はこれで終わりだ。鞄をもって、俺は立ち上がる。


 話をしたからだろうか、なんだか腹が決まった気がする。


「響花ももう帰っているだろうし、俺はおいとまするよ」


「ええ」


 背を向け、店の出口に向かう。


「北条さん」


 後ろから声がかかった。振り向くとマリーさんが立ち上がり俺を見送っている。その口は微笑みを携えており、まるで俺を応援してくれているかのようで──


「お会計。忘れておりますわよ」


「…………すまん」


 俺はいそいそと鞄から財布を取り出した。





◇  ◇  ◇






「ただいま」


「おかえり!」


 部屋に入ると既に寝巻きに着替えた響花がベッドの上でくつろいでいた。


「今日は遅かったねぇ」


「ああ。飯食いにマリーさんところのレストラン寄ってた」


「ふぅん。なに食べたの?」


「カレー。あれ、旨いな」


「おー、珍しい。それ、賄い専用メニューだからお客さんに出すこと少ないのに!」


「そうだったのか……」


 というか賄いに俺は金を出したのか? そりゃ安かったけどさ。いや裏メニュー。裏メニューと言うやつだ。


「海。どうだった?」


「楽しかったよ? ナンパされちゃった!」


「なん……だと……?」


 顔がひきつるのが自分でもわかった。


「ほう。どんな奴だ? うちの子に手を出すとはいい度胸だ。だがその慧眼だけは褒めてやろう」


「こ、光ちゃん目が怖いよ?」


 生半可な覚悟で手を出してみろ……ぶっころしてやる。


「大丈夫だよ光ちゃん。ちゃんと追っ払ったから!」


「ほーん……」


「ふふっ」


 冷たい視線を向けると、それに反して響花が笑い声をあげる。


「なんだよ」


「嫉妬してくれてるんだー」


 響花がからかうような視線を投げかける。


「そうだよ」


「へ?」


 自分の言葉に気恥ずかしさを覚えながら、俺は逃げるように視線をそらした。


「俺だって、響花と遊びにいったりしたいさ」


「ふ、ふーん……」


 戸惑ったような響花の返事が聞こえる。


「なぁ響花」


「……なぁに?」


「週末は俺は自分の実家に帰るけど……来週、その、なんだ……」


 ええい、まごつくな。年上だろ。


「バイトもないだろう? こっちもお盆休みに入るし、どこか遊びにいこう」


 そう言ってチラリと響花に視線を向けると──いつの間にか目の前に立っていた。


 少し驚いてのけ反ると、それを追うように響花が抱きついてきた。


 女の子特有の柔らかさを、胸板からお腹のあたりまで感じる。


「……なんで抱き着かれてるんだ俺は」


「んー? 嬉しかったから、お礼のハグだよ?」


「なんだ、それ」


「こういうのは、嫌い?」


「女の子とのハグが嫌いな男なんていないだろ」


「そっかそっか」


 ここからでは表情は見えないが、その声は上機嫌だった。


「ふふ、光ちゃんの心臓の音が聞こえる」


「聞くな聞くな」


 みっともなく、本当にみっともなく、娘みたいな年齢の子相手に、心臓が早鐘を打っている。あまつさえそれをこうして聞かれている。抱き着かれている事よりも、それが一番恥ずかしい事だった。


「やーだよ」


 しかし、響花は離れることはなく、むしろさらに聞き取る様に頭を押し付ける。


「この音が、私のために鳴らしてるんだなぁって思うと、嬉しいんだもん」


「恥ずかしいんだけど」


「じゃあ、余計にだ」


「Sか」


「それはお互い様じゃないかな」


 胸の中で響花が笑っている。見えない表情の中で、髪の間から覗く耳だけが真っ赤に染まっているのが見えた。


 どちらかが欠伸をするまでの間、そんな状態で話をしていた。

 

 

 


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