35:俺と彼女と水着



「あ゛ー」


「ああ゛ー」


 二人して同じような声をあげながらリビングに飛び紺だ。


 冷房で冷やされた空気が熱されて汗ばんだ体を冷やして気持ちが良い。


 今日は響花と俺の二人で響花の家に来ていた。


 週1で帰る約束の件もあった。ただそうすることで家に帰る頻度が減ればその分家は少しずつ汚れていってしまうわけで……大掃除とまでは行かないが、たまに二人でいえ全体を掃除しに来る。


 しかし、今は八月なわけで……冷房も効いてない廊下や、エアコンはついていても換気のために窓を開け放した部屋では八月の灼熱地獄と真っ向から向かい合うわけで……。一通り家中の埃を落としている間に、俺と響花は汗だくになっていた。


 リビングだけ先に手をつけて冷房を効かせていたのは英断だったと思う。


「はい、光ちゃん」


「サンキュ」


 コップになみなみと注がれたスポーツドリンクを響花から受けとる。コップの中にある氷がカラリと音をたてる。


 二人で氷で冷えたスポーツドリンクを飲み干した。冷たさが喉を通り、身体中に染み渡るような感覚におちいる。


「はー……生き返る」


「ねー」


 空になったコップに響花がスポーツドリンクを注ぎなおしてくれた。それに礼を言い、もう二口ほど口に含んでテーブルに置いた。


「さて……腹へったな。どうする? 飯でも食いにいくか?」


 時計を見れば十二時を過ぎており、昼飯時だ。この家にはたぶんろくに食料も置いてないだろうから、出前をとるか、食いにいくしかない。


「あー、ごめん光ちゃん。これから友達と一緒に買い物行くんだ」


 手を合わせて謝りながら響花はそんな事を言う。


「む……そうか」


 それならそうと先に言ってくれれば良いものを……。まあいい。


「じゃあ、車のエンジンかけてエアコン入れてくるか」


 この家の鍵は持ってない──渡されそうになったが一軒家の合鍵とか色んな意味で重すぎるので拒否った。悪いがヘタレである。だから響花が出掛けるなら俺もここに居るわけにもいかない。


「そういえばなに買うんだ? あんまり無駄遣いしすぎるなよ?」


「しないよ。もう。今日の買い物はね─」


 響花は一瞬むくれ顔を見せ、しかしすぐに悪戯っぽい表情を浮かべると俺の耳元に顔を寄せ──


「水・着♥」


「なんだ水着か」


 背伸びまでして言うことか。


「えー、なにその反応ー」


 そんな俺の反応が不満だったのか、響花は口をへの字に曲げて俺を睨んだ。


「そこはもっと恥ずかしがってくれるところじゃないの?」


「普段の薄着の方が恥ずかしい気がするんだが」


「むぅ~!」


 への字どころか頬を膨らませて響花は怒りをあらわにする。


「そんなこと言って、私の水着にメロメロになっても知らないんだからねっ!」


「おう楽しみに──あんまりエッチすぎるのは無しな」


「え、ナニソレ。もう敗北宣言?」


「いや、そうじゃなくて……」


 水着を買いにいくってことは海かプールに遊びに行くってことだろう。とどのつまりそういう場には不埒なやからがいるもので。


 俺は首に手をやって目をそらす。


「な、ナンパとかされたら困るだろ?」


「…………ふーん」


 視線をそらす俺の顔を追うように響花が追いかけて顔を覗き込んでくる。少し屈みながら見上げるしぐさに合わせて、柔らかい髪がさらりと流れた。ちらりと視線を向ければ、先程の膨れっ面から、どこか嬉しそうなにやけ顔がある。


「エンジンかけてくる……」


 俺はその視線から逃げるようにリビングから抜け出した。


 サンダルをひっかけ玄関を開ける。


「きゃっ」


 すると、玄関先に見知らぬ少女が立っていた。ちょうど響花と同じぐらいの歳の子だ。ウェーブのかかった髪をポニーテールにしている。


 どこか見覚えがある子だと思い、そうかと気がつく。


「あー……悪いね。えっと……響花の友達?」


「あ、はい。そうです」


 なるほどこの子がさっき言ってた友達か。


 なんだか少し警戒心のある視線を向けられるが、まあ知らない男性が友達の家から出てきたらそうなるだろう。


「響花ー! 友達来たぞー!」


「はーい!」


 リビングから響花が顔を出す。


「あ、敦子。いらっしゃい。用意するから上がって待ってて」


「うん。おじゃまします……」


 ドアを開け放して敦子ちゃんを招き入れる。すれ違う瞬間じろりと睨まれた気がする。


「そうだ。紹介しとくね。この人北条光太郎さん。私のおじさん。んで、この子は神田敦子。私の友達」


 神田……? どっかで聞いたような名字だ。


「あ、どうも」


「ど、どうも」


 パパっと指し示されて紹介され、俺たちは互いに頭を下げる。


 しかしそれ以上なんて声をかけて良いか分からず、俺は場当たり的に苦笑いを浮かべた。


「響花。俺、帰るから」


 俺は逃げるように響花に声をかける。


「うん。じゃあ、また後でね」


「ああ」


 友達を迎える響花に声をかけて外に出る。


 遠くに入道雲があるだけの青空を見上げ、車の灼熱度に俺は辟易するのだった。




◇  ◇  ◇





「ただいま……っと」


 いつも通りに声を出して気がつく。響花が居ないんだから声をかける必要もない。


 そうか、今一人か……。


 週に一度家に帰ってもらう約束をしていたから、別に一人きりの時間が珍しいと言うわけではない。珍しいと言うわけではないが……。


 部屋に入って改めて自分の部屋を見回す。


 棚の上にはケースに纏められたコスメの数々。テレビ台の上には彼女が持ってきた可愛らしい小物。床におかれた自分のものではない雑誌。


 散らかっているわけではないが、少しずつ物が溢れてきてしまっていると感じる。


 ベッドに背中を預けるようにして倒れ込む。少しだけ埃が舞い、それと共に自分のものではない香りが鼻をくすぐる。


 今、ここにはいないのに、それだと言うのに響花の事を強く、強く感じる。


 それは小物だけじゃない。


 すっかり綺麗に整えられたキッチンとか。


 冷凍食品や飲み物や賞味期限切れの調味料だけじゃなく、作りおきや野菜が入った冷蔵庫とか。


 風呂場におかれた自分のものではないシャンプーやリンスとか。


 洗面所にある化粧水や色違いの歯ブラシとか──。


 ひとりしかいないこの部屋は、いつの間にか二人のものになっていた。


 半年前は一人だったのにな……。


 そしてずっと、ずっと独りなのだろうと思っていた。


 ──窓の外からセミの鳴き声が聞こえてくる。いや、もしかしたらずっと鳴いていたのかもしれない。そういうことに、今さら気づく。


「……夏だなぁ」


 夏らしいこと、全然していないなと思う。だが仕方ない。社会人というものはおおよそにしてお盆時期まで忙しいものだ。まあお盆を過ぎても、今度はお盆休みの揺り返しで忙しいんだが。


 水着を買いにいくと言った響花が少しだけ羨ましい。


 その時、スマホからL○NEの着信を知らせる音が鳴った。


『きょーか:ねー光ちゃん』


『きょーか:どっちの水着が良いと思う?』


 響花からだ。最近のトレンドなんてわからない俺の意見なんて参考になるのかと思う。


『光太郎:どんなのだ?』


 っていってもハンガーにかかった水着なんて見てもなぁ。イメージするしかないか。そんなことを考えながら気軽に返信した。


『きょーか:これと』


『きょーか:これ』


『きょーか:どっちが好み?』


 ポンっと二枚の写真が送られてきた。


 試着室で撮ったのだろう。水着を着て鏡に写った自分を撮った写真だった。


「んんんんんんんんっ!???」


 待て待て待て待て。なんだこれは!?


 なんだも何も水着を着た響花の写真だよ!


 一枚は水色の紐のラインがついたシンプルな白いビキニにウォーターデニムを合わせている。


 もう一枚はカラフルなホルターネックのビキニ。結び目が見えているのがかわいいポイントだろうか。


 どちらも胸を強調しており、それなりにある胸で谷間を作っていた。括れたお腹は大胆に露出し、白い足が店内の明かりを反射し若々しさが感じられる。


 正直どちらもエロい。だが何よりエロいのが……スマホで目線を隠していることだったりする。


「…………」


 まず返信する前に画像を保存しておいた方がいいだろうか。


 最近色々見慣れてきたと思ったが、考えてみれば現役女子高生の水着なんだよな……。そう思うとなんか捗ると言うか──いやダメだろ保護者として!


『きょーか:どうしたの?』


 妙な葛藤をしていると、響花からメッセージが飛んできてなんだか見張られている気がした。


『きょーか:もしかしてー? 私のー? 水着にー? 見とれちゃったー?』


『光太郎:ほざくな小娘。お主のような水着に見とれるわけがなかろう。それはそれとして画像は保存したでござる』


 送ってから頭を抱えた。何キャラだ。


『きょーか:日本語が変なんだけど……』


『きょーか:それはそれとして』


『きょーか:光ちゃんのエッチ』


 スケベにゃ! と猫のスタンプも送られてきた。


『光太郎:とりあえず。さっきの水着はダメだ』


『きょーか:えー!?』


『きょーか:なんでー!? 可愛くなかった?』


『光太郎:いや、可愛いことは可愛いんだが……』


『光太郎:露出が……ちょっと……』


『きょーか:水着なんだし普通だよ?』


『光太郎:それはそうなんだが。なんというか男の視線というのをちょっとは意識しておくれ』


 既読はついたもののそこから響花の返信に少し間が空いたかと思うと、


『きょーか:光ちゃんは私がジロジロ見られるのはいや?』


 ん? とその質問の意図が分からず首をひねる。


『光太郎:そりゃ嫌に決まってるだろう』


 と、メッセージを返してからハッと気づく。


 いや、独占欲強すぎか!


 慌てて言い訳を打ち込んでいると響花から矢継ぎ早にメッセージが送られてきた。


『きょーか:ふーん』


『きょーか:そっかそっか』


『きょーか:ありがと。参考になった!』


『きょーか:楽しみにしててね!』


『光太郎:いや待て。楽しみってなんだ』


 しかし、それ以降響花の返信はなかった。




◇  ◇  ◇




 あの後返信はないまま、響花は普通に帰ってきた。


 どっちの水着を買ったのか聞いても、内緒と言われてしまった。気にはなるが女性の水着なんてセンシティブな所にこっちから突っ込むのもはばかられた。


 公然と見る方法は……やはり海か。今からでも海にいく予定をたてるか? どっか空いてる日付あったっけ? お盆しかねぇよ。お盆時期はクラゲが多いと聞くし……。


 っていうか海に行こうと誘う時点でそれって水着が見たいと言ってるようなものでは? もうそれ素直に頼めばよくね? いやそれってなんか変態っぽくないか?


 なんてもんもんと考えている間に、結局普通に響花の作ったご飯を食べて、交代で風呂に入って今にいたる。


 よし。


 なにも見なかったことにして今日は寝よう。


 いそいそとベッドに寝転がろうとし、


「じゃじゃーん!」


 背後から聞こえた響花の声に俺は振り返って──フリーズした。


 響花はピンク色で花柄のトップスもボトムスもフリルがついた水着姿でそこにいた。


 一瞬理解が追い付かなくて思考が固まる。


 しかし、すぐにそれが水着だとわかると、素手出た言葉が、


「え? なにやってんのお前」


 だった。


 流石に響花も子の言葉には眉を逆立てた。


「ちょっとー! せっかく水着見せてあげようと思ったのになにその反応!?」


「あ、いや……すまん」


 なんというか、部屋のなかで水着姿と言うのがアンマッチ過ぎて、驚くのを通り越して唖然としてしまった。


 室内で水着って思ってたよりエロいなと思ってしまう。思うだけで絶対に口には出せないが。


 響花はちょっと拗ねたような表情のまま俺の隣に座ると、


「なにか言うことは無いのかなー?」


 まあ言うことは決まっている。


「可愛いし、似合ってる」


 そう言うと響花はたちどころに笑顔になる。そしてその笑顔のまま、


「光ちゃん、鼻の下伸びてるよ」


「えっ!? ウソ、マジで!?」


 慌てて口許をおさえると、響花の笑顔が小悪魔的なものに変わった。


「ウ・ソ」


「…………」


 つい半目で響花を睨んでしまった。


「でも、それだけ慌てたってことは、ちょっとはそういう気持ちになったってことだよね?」


「むぅ……」


 俺の視線などものともせず響花はそうからかってくる。実際間違ってないのが痛いところだ。


 突っ込まれる前に話をそらそう。


「試着した水着じゃないんだな」


「ん? んー、あれ光ちゃんのNG出たからね」


「気にしてたのか」


「そうだよー? ちょっと露出抑え目にしたんだから。それに海に入るとき以外はパーカー着るし」


 まあ確かにフリルが増えて谷間とか隠すようになっているけれど……抑え目? 細い肩とか括れたお腹とか生足とかむちゃくちゃ眩しいんですけど。


 若いなぁ……胸と尻のラインが隠せてれば良いよね的な発想とか、着れば良いと考えるところとか。いやみなまで言わんけれども。


「あーあ、光ちゃんも一緒に来ればよかったのに」


「無茶言うなよ……若い子に囲まれたらおっさん精神的に死んでしまう」


「なにそれ」


 クスクスと響花が笑う。


「まあ──」


 何気なく俺は言う。さも、それが当然のように。


「また来年、な」


「え──?」


 意外そうな顔をして響花が俺を見る。


「なんだよ。嫌か?」


「ううん!」


 響花が慌てて首を横に振る。


「また、来年! ね!」


 それはなんだかやけに嬉しそうな声をしていた。

 

 

 

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