16:俺と彼女と離れる距離①



 今日も今日とて何とか業務をこなし家路に着く。その帰り道、踏切で電車の通過を待っている一人の学生に見覚えが……というか毎日見ている後ろ姿があった。


「長島」


 呼ばれ、彼女は振り返る。


「あ、光太郎さん」


 制服のブラウスとプリーツスカート姿で、手にはスーパーの袋を持っている。今日の食材だろう。


「こんな時間に家に居ないなんて珍しいな」


 既に夜は更け、八時を過ぎている。


「ごめんね。友達と遊んでて遅くなっちゃった」


「ああ、なるほど」


 L○NEにそんなこと書いてあった気がする。


 電車が轟音をたてて通り過ぎる。


「それに今日学校行ってたから」


「へぇ」


 電車が通り過ぎた踏切を二人で渡った。


 重いだろうと、引ったくるようにしてスーパーのビニールを掴むと思いの外抵抗された。


「持つぞ」


「いーい。光太郎さんお仕事で疲れてるでしょ?」


「脳みそ使う作業しかしてねぇよ。こういう荷物持ちは男の役割りだ」


「もー……じゃあ二人で持と?」


「……まあいいか」


 二人で徒歩で一緒にこの道を帰るのは二週間ぶりぐらいだろうか。といってもあの時は初対面で今こうして歩くのとは具合が違う。


「明日は雨かなぁ」


 響花は曇り空を見上げながら呟く。洗濯物を取り扱うものとして、この時期の天気は敏感になっていくことだろう。


 しかし俺はそれより、先ほどの彼女の言葉に引っかかるものがあった。


 彼女は学校へ行ったと言っていた。だが、家出中に学校? そんなの即座に親に連絡が行き、バレて連れ戻されるパターンじゃないのか? 学校の先生の所にだって娘が家出していることは伝わっているはずだ。


 だから、俺が疑問に思うのも当然だった。


 しかし、踏み込んでいいものか少しためらう。それは、赤の他人である俺が、踏み込んで良い領分の話なのだろうか。


 聞くべきか迷っているうちに家の前につく。


 響花が鍵を開け中に入る。見慣れた暗闇はなんだか二人で見ると、ひとりで居た頃より別な雰囲気が感じられた。その暗闇も、響花が点けた玄関の明かりで打ち消される。

「光太郎さん、ご飯は炊いてあるけど……おかずはスーパーの惣菜になっちゃうけど良い?」


「ああ、問題ない」


「じゃあ味噌汁だけ直ぐに作っちゃうね」


 そう言うと響花は部屋のライトも点け、エプロンを身につけキッチンに立つ。


 俺はそれを眺めながら部屋に鞄を置いた。


 それと同時にため息が出る。なんとなく、これで今日は仕事から解放された気分になる。スイッチが切れた感じだ。


「ため息大きいね。お疲れ?」


 響花が味噌汁に入れるネギを刻みながら聞いてくる。


 包丁がまな板を叩く音が妙に心地いい。


「週の後半だからな。けど明日いけば休みだ。そう思うと気が楽だな」


 先週の温泉デートのお返しにどこか連れていってやろうと考えてたんだった。飯の時にでもそれとなく聞いてみるか。


「光太郎さん、いつも今日ぐらいに帰ってくるけど……私と会ったときってもっと遅かったよね」


「いつもはお前と会ったときの時間が多いよ。九時過ぎとか十時過ぎとか。もう少し遅いと日付がが変わる頃か……最悪なのは朝日を拝むパターンだな」


 そう言うと、響花は心底嫌そうに口をへの字に曲げ、


「そんな時間まで毎日働いてたら死んじゃわない?」


「一応、まだ生きてる」


「でもでも、そんな光太郎さんがホンの少しだけど、早く帰ってこれるようになったのは……もしかして私のおかげ?」


「……自惚れんなよそんなわけねぇだろ」


 キラキラとした視線を向けられ俺は目を逸らす。


「ただ、どっかの誰かが一人でご飯食わないから。腹を空かせて待たせるのも悪いからな」


「私のおかげだ!」


 嬉しそうに彼女は笑って見せた。


 


 


 二人で晩御飯を平らげ、流しに食器を置いて水に漬ける。


 響花はスマホで何やら慌ただしくフリックで何かを打ち込んでいる。恐らく友達とのL○NEだろう。


 その後ろ姿はまだ制服のままだ。

 

 今、聞くべきだろうか。


 躊躇いはあったものの、その背中に俺はさきほど疑問に思ったことを聞く。


「なあ長島」


「んー?」


「なんで学校行ってるんだ?」


「なんでって……そりゃ学生だからね」


「いやそうじゃなくて……お前家出中だろう? 家出中に学校になんかいったら速攻で親に連れ戻されるんじゃないか?」


「あー……」


 彼女はスマホから顔をあげ、気まずそうに俺を見上げると、


「そこは何も心配する必要がないくらい大丈夫なんだよ」


 と、明らかに嘘とわかる、曖昧な笑みを浮かべた。


 演技が下手だなと思う。出来ないとも言うべきか。そんな態度では聞いてくださいと言っているようなもので……俺は追求しようと口を開いたところで──


 ──滅多に鳴らない俺のスマホの着信音が流れた。


 嫌な予感がする。いやもう夜も遅い時間に交遊関係がほとんど無い俺のスマホが鳴るというのは、何かしらの不幸のお知らせの可能性が高い。


 直ぐにスマホを取ると、上司からの電話だった。この時点で嫌な予感が的中したことを告げていた。


 急でない連絡ならば、明日出社したときに言えばいいのだ。だからこの電話は──


「も、もしもし。北条です」


 少し緊張しながらも電話に出る。


「北条? もう家?」


「ええ、そうですけど」


「帰ったところ悪いんだけど、今週前半で客先に出した資料あるじゃん?」


「はい……」


「あれ使ってるやつで、客先のところで不具合出たらしくてさ」


「…………はい」


 ため息を圧し殺し、天をあおぐ。


「明後日営業と一緒に説明に向かうから、大至急トライアルデータまとめ直して。足りないところがあったら測って」


「…………わかり、ました。今から会社戻って作ります」


「頼む。俺の方でも資料の見直しするから」


「はい。よろしくお願いいたします」


 電話を、切る。


 そんな俺の様子を響花は唖然として見ていた。


「こ、光太郎さん? 大丈夫? 顔、真っ青だよ?」


「あ、ああ……」


 俺が今週、こんなもので大丈夫かと提出した資料だ。チェックも検証も甘かったのだろう。自分の不出来さに下唇を噛む。


 しかし、今は悔いている場合じゃない。


「すまん、長島。これから会社にいく」


「えっ!? これから!? もう九時過ぎだよ!?」


「トラブルだ。たぶん、明日の夜まで帰れない」


 脱いだワイシャツに再び袖を通し、スラックスに履き替える。車の鍵と鞄を持ち、俺は玄関に急いだ。


「戸締まりちゃんとしておけよ? あと腹だして寝るなよ?」


「も、もう! 子供じゃないんだから!」


「悪い悪い。じゃ、行ってくる」


「うん……いってらっしゃい」


 手を降って見送る響花の顔は、なんだかすごく悲しげに見えた。



 

 

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