第42話 思わぬ再開

 あれだけ待ち望んでいたはずの夏休みが始まっても、俺の心はずっと息苦しいままだった。

 何をしても、どこに行っても、頭の中に常に浮かんでくるのは綾音のことばかり。

 あの日枕もとで話しをして以来、彼女とは一度とも会っていない。会えない時間が、そして会えない日が続けば続くほど、あの日綾音が話してくれたことが気になって仕方なかった。自分が、何かとても大事なことを見落としているような気がして……。

 うだるような暑さの中、改札を抜けて駅を出ると、目の前に広がるのはのどかな田舎風景ではなく、ビル街だった。俺の家の周りには絶対ないような背の高いマンションや高層ビルが、これでもかといわんばかりに太陽の光を乱反射させている。

 眩しさで片目を瞑ってそんな光景を見上げつつ、俺はゆっくりと街の中を歩いていく。

 綾音に、会いたかった。

 会って直接話しがしたかった。

 それが叶わないことだと何度も頭ではわかっていたはずなのに、今は心が受け入れてくれない。

 だから俺は、夏休みが始まってから意味もなく出歩くようになった。少しでも都会的なところに行けば、もしかしたら綾音に会えるんじゃないかと、そんな浅はかなことを期待して。

 今朝のニュースで最高気温が36度だと言っていただけあり、少し歩いただけで俺の背中はびっしょりと濡れていた。水分補給にと駅のホームで買ったサイダーはいつの間にか空っぽになっていて、俺はそれを近くの自販機に取りけられたゴミ箱へと投げ捨てる。

 こんな風に心に疼く不安も簡単に投げ捨てることができればどれほど楽だろう、なんて意味のないことを考えつつ、俺は再び目的地も決めずに歩き始めた。

 と、その時。どこからともなく突然声が聞こえた。


「三島先輩!」

 

 その声に一瞬ビクッと肩を震わせた俺は、キョロキョロと辺りを見回す。すると、駅の方から見覚えのある女の子が走ってくるのが見えた。


「南……さん?」

 

 そこにいたのは、あろうことか俺の告白を断った南さんだった。わけがわからずただ口をパクパクとさせる自分に、彼女は息を切らしながら俺の目の前へとやってきた。


「良かった……人違いだったらどうしようかと思いました」


 両手を膝について呼吸を整えていた彼女は、そう言ってから俺の顔を見上げるとニコリと笑った。その表情を見て思わず一瞬ドキッとしたが、別に以前のような感情が起こることはなかった。

 ど、どうしたの? と少し動揺した口調で尋ねる自分に、南さんは一度大きく深呼吸をする。


「あ、あの……」

 

 何故かぎこちない口調で話し始めた彼女に、俺は少し首を傾げた。すると覚悟を決めるようにぎゅっと目を瞑った南さんが、今度は勢いよく口を開く。


「み、三島先輩って明日何か予定ありますか⁉︎」


「え?」

 

 唐突過ぎる質問に、俺は思わず目をパチクリとさせる。それでも彼女はその勢いのまま言葉を続けた。


「実は明日、部活でバーベーキューがあるんですけど……み、三島先輩も一緒にどうですか?」


「……へ?」

 

 さらに飛び出してきた思わぬ言葉に、俺は無意識に間抜けな声を漏らしてしまう。そういえば、前に哲也も同じことを言っていたような……

 顔を真っ赤にした南さんはふっと視線を下げると、胸元で両手の指先を合わせてもじもじと動かす。


「その……明日のバーベーキューは仲の良い人だったら誰でも誘っていいって部長が言ってたんで……」


「……」

 

 彼女の話しに、俺はぎゅっと眉間に皺を寄せた。どう考えても告白してフラれた俺は『仲の良い人』に該当しない気がするのだが……

 そんなことを思い、わけがわからず固まったままの自分に、南さんはすっと小さく息を吸うと再び勢いをつけて話し出す。


「と、突然こんなこと言ってすいません! それに、前は先輩にひどいこと言ってしまって……本当にごめんなさい!」

 

 謝罪の言葉を口にした彼女はそのままペコリと頭を下げた。どこかで見たような既視感のある光景。いつの間にか少し長くなっている彼女の髪が肩からはらりと落ちる。


「私、あの時ほんとは嬉しかったのに突然過ぎてビックリしちゃったんです。だから何て答えたらいいのかわからなくて、あんなひどいこと言っちゃって……」

 

 南さんは必死に言葉を繋げるように息継ぎもせずに話し続けた。


「も、もちろん今すぐにどうこうとかじゃなくて大丈夫です! その、もし先輩がいけるなら明日のバーベーキューでゆっくり話しがしたいなって思って……」


「明日……」

 

 ぼそりと呟いたその言葉に浮かんでくるのは、明日手術をすると言っていた綾音の姿。

 黙ったままそんなことを考え込んでいると、南さんがぐいっと顔を覗き込んできた。


「もしかして、何か予定ありますか?」

 

 声は緊張しながらも、覚悟を決めたような瞳でじっと俺のことを見つめる南さん。その気迫に押されてしまい、俺は言葉を濁すように返事をする。


「ま、まあ顔を出すくらいなら……」


「ほんとですか⁉︎」

 

 俺の言葉に目を輝かせた彼女は、よほど嬉しかったのか両手で俺の右手を握ってきた。直後、「ご、ごめんなさい!」と顔を真っ赤にして慌ててその手を離す。咄嗟のことに驚いた俺は、恥ずかしさを誤魔化すように頭をかいた。


「じゃ、じゃあ詳しいことはまたラインで連絡しますね!」


 はにかむような笑顔で南さんはそう言うと、「失礼します」と小さく頭を下げてからくるりと背を向けた。そして再び駅の方へと小走りで戻っていく。


「……」

 

 小さくなっていく彼女の後ろ姿が見えなくなると、俺はそっと自分の右手を見つめる。 

 いとも簡単にこの手に触れることができた南さん。けれど、俺は綾音と……

 手の届かないものを握りしめようとするかのように、俺はぎゅっと右手に力を込める。そして胸の奥底で疼く悔しさから逃げるように、あてもなくまた歩き始めた。

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