猫騒動 第一

 ケロウジとササはハナガサ会の浜へ戻った。

 ケロウジはササが思う存分食べてから動こうと思い、ぼぉっと火を眺めている。


 すると火の向こうを女が歩いているのが目に付いた。気になったのは、彼女の髪が薄墨色をしているからだ。

 とは言ってもここは港町。見慣れない髪色の人は多い。そうだと言うのにケロウジが目を離せずにじっと見ていると、彼女は大きな岩の上に立った。


 山吹色の鮮やかな着物の袖が風に遊ぶ。

 そして、彼女は唐突にケロウジを見つけた。そのまま岩の上から見下ろしている。

 一瞬ケロウジはキョロキョロと辺りを探してみたが、彼女の方を向くとやはり目が合うのだ。

 彼女は挑戦的な笑みを浮かべ、それからストンと岩から飛び降りる。


「ササ、行こう」

「んあ? もうすぐ魚が焼けるんだぞ?」

「あとで戻ってくればいいから急ぐぞ」

 ササは渋々といった様子でケロウジの後を走りながら聞く。


「なんだよ? 何を追いかけてるんだよ?」

「知らない女の人」

「お! あの船医か⁉」

「いや、違う人だ。でも僕たちをじっと見てた」

「そんな事かよ……もっと食って来るんだったなぁって、ん? お? ケロウジ。それって前を走ってる明るい色した着物の女か?」

「そうだよ」

「あの女から獣の臭いがするぞ」

「へぇ……そりゃ珍しい。何か話でもあるのかな」


 そんな風に追って行くが、人の姿で走り慣れていないササと足の遅いケロウジの事だ。結局チラチラと振り返る女を必死に追いかけているうちに港町を抜けた。

 そして女が柊の木が並ぶ林の獣除けの柵の前で止まると、ようやく追いついた。


「やっと追いついた。ここは危ないから……」

「あら、どうして?」

 ケロウジが「向こうで話そう」と続けようとした言葉を遮り、女は言った。

「だって、この柵の向こうはもう獣たちの棲み処だよ?」

 ケロウジがそう言うと、女は澄んだ琥珀色の瞳をケロウジに向け、クスっと笑う。


「アンタ、まさか獣の魔術が怖いなんて言わないわよね? あのキラキラ光ったり花を咲かせたりするアレが怖いわけないわよね?」

「僕は怖くはないけれど、危ない事も確かだから」

「あら、思ったより普通の人なのね」

 ケロウジは訳が分からなくて頭を掻く。

 その間にもササは鼻をヒクヒクさせて彼女の臭いを嗅いでいる。


「それで、僕に何か用があったんじゃないの?」

「アタシが? ないわよ。アンタたちの方があるんじゃないの?」

「僕たちが? 会ったばかりの君に何を聞けって言うのさ」

 一向に見えてこない話に、ケロウジは溜め息を吐く。女は髪を指で梳きながら、すっかりケロウジたちが話し出すのを待っている。


 すると、ササが聞いた。

「お前、どうしてこんなに獣の臭いがするんだ?」

「あら、アンタもするわよ」

 そう返され、ササはウッと言葉に詰まる。

「そりゃあ、ハナガサって魔獣師の屋敷にいるんだから当たり前だろう」

 ケロウジは当然とばかりに言った。こういう時、ケロウジは内心ではドキドキしているのだけれど、顔に出ないから嘘に気付かれる事はない。

 便利だなと思う反面、ケロウジは人間臭さというものに憧れてもいた。


「ハナガサね。知ってるわ。素敵な人よね」

「まぁ、よく女性に好かれる人だよ」

 ケロウジが答えると、女は満足そうに頷く。

「そうでしょうね。ところで話はまだなの?」

「まだって言われてもなぁ。あぁ、船医の女性を探してるよ。麦の穂のような色の髪をした女の人なんだけど」

「そう、それよ」

「話を聞いていたのならそう言ってくれればいいじゃないか……。それで、何か知っているという事?」

 ケロウジが聞くと、女はただ笑みを浮かべる。


「知りたいのならハナガサの周りを調べるのね。それじゃあ、私はもう行くわね」

「え? それだけ?」

 ケロウジの呟きさえ聞かず、女はスタスタと港町の方へと帰って行った。

「何だったんだ?」

 そう言うケロウジの横で、ササは唸って考え事をしている。

「ササ、どうした?」


「あぁ、駄目だ! 頭を使うのは性に合わねぇんだよなぁ。後でハナガサにでも聞いてみるか」

 ササはそう言って港町の中へと歩き出す。ケロウジが何を聞くのか? と問うと「あいつの趣味の話だ」とササは答えた。

 そしてケロウジとササは、聞き込みをしてから日暮れ前にハナガサの屋敷に戻る。

 しかし新しい情報はなく、あの不思議な女の言ったハナガサの周りを調べろ、ということ以外に当てはなかった。

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