食肉 第二

「あら、おかえりなさい。会いに来てしまいました」

 そう言ってほほ笑むシイの着物からは強い血の臭いがする。赤い着物を着ているのは、少しでも見つかりにくくする為だろう。

「誰に会いに来たんですか?」

「あなたのお友達に。でも逃げられてしまったんです。あ、でもお友達を食べたりはしませんので安心してくださいね」

「兎は食べるんですね?」

「はい。兎より鹿の方が美味しいのですが、なかなか見つからなくて」


 シイは隠すことなく答えた。あの食肉はシイだったのだ。

 ケロウジはシイの霊体がササのそばを離れない事が気に掛かっていたが、シイがこんな時間に山に入っていると言うので、もしやと思ったのだ。

「あいつに何の用だったんですか?」

 ケロウジは世間話でもするように聞いた。

 二人で川岸の岩に腰かけながら話をする。


「魔病なんですよね? 私、分かるのです。ずっと生肉ばかり食べているので」

 シイは、魔力の匂いが分かるようになったのだと言った。

「生肉ですか? 体に悪いでしょう」

「はい。私も魔病なんです。けれどある日、食肉が父に見つかってしまって」

「それで家を追い出されたんですか?」

「いいえ。逆です。父は私を屋敷に閉じ込めました。私が肉を手に入れられないようにしたのです。でも私、耐えられなくて……。自分の悪い噂を町に流しました」


 あれは獣の娘だとか、取り憑かれているだとかいう話を流したのだと、シイは言った。

「そうして望み通り、父が私を追い出さなければならなくなったのです」

 なるほど、とケロウジは思った。それならばオオツガ様が苛立っていたのも分かる。

「そろそろ肉はやめないと、たぶん命にかかわりますよ」

「そうでしょうね。でもいいんです。この痛みは私が私である証拠ですから」

 シイは下を向き、ポロリと涙を溢す。


 困ったな、とケロウジは頭を掻く。こんな時に気の利いた言葉が言えるような人間でない事は、ケロウジ自身が一番よく知っている。

「自殺しようとしてたんですか?」

 ケロウジは聞いた。予想以上に直球な言葉を吐いてしまってケロウジは驚く。けれどシイは驚く事もなく「はい」と答えた。

 けれど、それ以上は何も言わない


「僕はあなたを暴こうとは思っていません。助けたいと思っているだけ。まぁ、助けになるかは分からないんだけど」

 ケロウジがそう言うと、シイはふっと息を漏らして話す。

「魔病の獣による事故に見せかけたかったんです。でもお友達、魔獣でしたね。おかげで逃げられてしまいました」

 ケロウジはヒヤッとして息を詰まらせる。魔獣だからといって殺される訳ではないが、良く思っていない人間の方が多いのだ。

 存在が知られれば、結局は何だかんだと理由を付けて討伐の命が出される。


「あいつは……何も」

「大丈夫ですよ。私、誰にも言いませんから。ただ私を死なせてほしいだけなんです」

「なんで、そんなに死にたいんですか?」

 ケロウジはしっかりとシイの目を見て聞く。

 怖気づく事なく見つめ返すシイは、ただ諦めているかのようにケロウジには見えた。


「ケロさんは素敵な方ですよね。ちゃんと仕事をして、人の役に立って、人にも獣にも愛されて。それに比べて私は無価値な人間です」

 シイはそこで言葉を切ると、じっと川面を見つめる。それから続けた。


「父は目に見える物しか信じない人です。私にも目に見える形での成果を求めましたし、私もそれを望みました。それなのに私は……オオツガという名に守られて何もできないで、ただ時間だけを貪って生きてしまいました。もう二十四になるんですよ、私」

「少なくとも、あなたの作る物を喜んでいる人が二人はいますよ。けど、別に目に見える物だけが成果だとは、僕は思わない」

「私たち親子もそう思えたら良かったのですけれどね。私も父も、私は無価値な人間だとしか思えないのです。私は、自然の中に生きる獣たちの方が私よりよっぽど価値のある命だと思うのです。それなのに私は……」

 何度目かにシイが言葉を止める。


「どうしたんですか?」

「私は……私の価値の為に彼らの骨が欲しいんです。彼らより価値のない私がです。そんな事は許されませんから、せめてもその肉を食べるんです。無駄にしないように」

 それを聞いてケロウジは目を見開いた。

 ケロウジが何も言えずにいると、シイが続ける。


「私は価値がほしいんです。あれを作っている私には価値があるじゃないですか」

 価値のある命でありたいと、シイは呟き泣き続ける。

「それってつまり……」

 あの不思議な品々は獣たちの骨を使って作られていた、とケロウジは気付いた。

 それでもケロウジは、何とか彼女をこの世に留める事のできる言葉を探した。けれど見つからないまま、シイが言う。


「ある時、気付いたんです。私がいなければいいのだと。そこへ魔病の獣の香りをたっぷり纏ったケロさんがいらしたんです」

 だからあの日の昼だったのかと、だから霊体はササのそばを離れなかったのかとケロウジは納得する。

「それでも……」


 何かを言おうとして、ケロウジはその言葉を飲み込んだ。

 どんな言葉が彼女の心を救えるのか、見当もつかないのだ。どんな言葉も彼女には届かない気がしてしまう。

 悩んでいると、頭上から銀青色の光が降り出した。

 見上げると、何もない空中からササを抱えたハナガサが落ちてくる。


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