ここにいる理由 第一


 二人がシイの家に戻ると、先ほどの部屋でシイが倒れていた。


「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」

 ケロウジが聞いてもシイは、いつもの事だからと言って答えない。

 辺りには運んで来たのであろうお茶が零れており、ひっくり返ったお盆やら急須が転がっている。


「おい、ケロ。その辺にあるだろうから布団を敷いてくれ」

「はい」

 ぎこちないながらも男二人で何とかシイを布団に寝かせ、水やら桶やら手拭いやらを用意する。

 その間シイが腹を抱えて荒く息をするのに、ケロウジは気付いていた。


「薬はありますか?」

「えぇ。あるにはあるのですが、もう少し落ち着いてから飲みます」

 ケロウジの問いに、シイはそう答えて礼を言う。

「私らは男だから残るわけにはいかないが、誰か女性を呼んでこよう」

 シイは、言いながらサッと立ち上がるハナガサの着物の裾を掴んで止めた。


「私……本当に大丈夫なんですよ。それにご近所の方々とあまり交流がなくて、少し気が引けてしまうのです」

 そう言うとシイは、一粒ぽろっと涙を溢した。

「大丈夫ですか?」

 ケロウジが聞くと、シイは少し間をおいてから答える。


「私、人付き合いが苦手で……。こうしてお客さんとして来ていただければ話せるのですが、普段はあまり……。ですから一人の方が落ち着くのです」

 シイが言うので、二人は何も言えずに顔を見合わせる。


「あの……もし心配して下さるのなら、明日もまたお二人で来て下さいませんか?」

「ん? あぁ、私は構わんが」

 ハナガサは答えてから、ちらりとケロウジを見る。

「僕も構いませんよ。近くですからね」

 そんな事で、ケロウジたちは気になりながらもシイの屋敷を後にする。


 帰る時にシイがお礼に好きな物を一つ持って行ってくれと言うので、ハナガサはまた奇跡の土を、ケロウジは水の湧く茶碗をもらった。


 そして二人はササの薬になる、魔力を吸う前の光草を探しに山に入る。

「なんで泣いたんですかね?」

 ケロウジはハナガサに聞いた。けれどハナガサは「女には色々あるのだろう」というだけだった。

 それより、とハナガサは言う。

「お前はどうしてそれにしたんだ? 茶碗から水が湧いたら困るじゃないか」

「ササの水飲み用に丁度いいと思って」


 そんな何でもない話をしながら二人が歩いていると、鳥が集まって何かをつついているのを見た。

 ケロウジはなぜかその光景から目が離せなくなり、じっと立ち止まる。そして鳥たちの隙間から赤く染まる獣の頭を見た。

 見入っていると、ポンと不意に肩を叩かれる。ハナガサだ。

「食事中なんだろう。放っておけ」

「はぁ……」


 スタスタと別の方へ歩いて行くハナガサについて行きながらも、ケロウジは頭がモヤモヤするのを感じていた。

 しかしその正体を掴もうと頭を巡らせると耳鳴りがしてくる。

 そしてケロウジは思い出していた。自分がハナガサに拾われる以前の事をろくに覚えていないという事を。


 記憶喪失というほどではないだろうとケロウジは思っているのだが、実際に思い出せるのは山を駆けまわっている事くらい。そこに誰がいたのか、どうして山を駆けまわっていたのかは思い出せない。

 そこまで考えてケロウジは気が付いた。さっきの光景が、何か思い出せないでいる記憶と繋がっているのではないだろうかと。

 ケロウジは足を止め、あそこへ戻ろうとする。

 そこへ声がかかった。


「やめとけ、やめとけ。記憶なんて無くて困る物でもないだろう」

 ハナガサは前を向いて歩いたまま軽い調子で言った。

 見透かされてるな、とケロウジは少し恥ずかしくなる。

「まぁ、特に必要な訳ではないですけど」

「そうだろう? そんな事より光草を探せよ。こんな獣の多い場所の光草はたっぷり魔力を吸ってるからな。水気の少ない場所まで行くぞ」

「水気がない場所ですか? 魔力って言うのは水の側にあるんですか?」

 ケロウジが聞くと、ハナガサは魔獣師の顔をして話し出す。


「大前提として、魔力が何なのかはよく分かっていないという事がある。その上で言うのなら魔獣の体にも魔力は流れているし、水にも風にも微量の魔力が含まれている。それから山にはそこら中に魔力があるのだ」


 ハナガサが言うには、それは卵が先か鶏が先かという問いに似ているらしい。

 水に魔力が含まれているからそれを飲んだ魔獣たちや、吸い上げる山に魔力が満ちているのかもしれない。

 あるいは山に混ざる魔力が水に溶けだしているのかもしれない。

 けれど人間がどれほど水を飲み、山の恵みを口にしようとも魔獣たちのように魔術が使えるようにはならない。

 まるで拒絶されているようだな、とケロウジは思った。


「そう言えば、人間でも魔病になる人はいるんですか?」

「いる。だが稀だ。人間たちが地下や洞窟に暮らし、獣の肉を食べていた時代には魔病にかかる者が多かったらしいがな。肉食が禁忌とされてからは人間ではまず聞かない」

 ケロウジは一向に見つからない魔力を吸っていない光草を探しながら、ハナガサの話を聞く。


「へぇ。でも肉って美味そうですよね」

「食うなよ? 魔病にでもなったら薬は手に入らないわ、手に入っても少しずつしか飲めないわで大変な思いをする事になるんだぞ? それに薬が間に合わなかったら、魔術を使って発散できない人間は命が危ないんだ。魔力が火薬、人間の体が鉄砲の筒の方になると言えば分かるだろう?」


「そう言えばササも少しずつしか薬は飲めないって言ってたな。あれは何でですか?」

 ケロウジが聞くと、ハナガサは溜め息を吐く。

「私の話を聞いていたか? まぁいい。あれは酷く腹を下すんだ」

「あぁ、それで」

「分かったら肉なんて食うなよ?」

「おじさんて先生みたいですよね?」

「返事をせんか! まったく……いいか? お前は食うなよ?」

「おじさんは食べた事があるんですか?」

「……どうでもいいだろう。ほら、早く探さねばササが可哀想だろうが」


 ハナガサが食べた事があるのなら自分も一度くらいは食べても良さそうだな、などと考えながら、ケロウジは先ほどとは打って変わって満足した気持ちで山を歩く。


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