人の顔の裏 第二

「こんな時くらい、気の利いた言葉の一つや二つ言えないもんかね」

 ケロウジは自分にそう文句を言いながら谷橋を渡る。

 持ち物は背負った竹籠と小さめの鎌が一つ。いつもならこれに踏み鋤を持っているのだけれど、今日は無い。


 人間たちが光草という魔力を吸う草によって魔力削除に成功し、太古の昔から続いた地下暮らしを捨て外へと出たのが百年ほど前。

 そして狂将と呼ばれる男がおよそ地上を統一し、外に出てから長らく続いた戦乱が収まりを見せたのが十四年前。


 それ以来、武士と魔獣師だけが武器を持つことを許され、他の人々は武器を持つことを禁じられた。

 けれど魔の力を宿す獣を食すことは元から禁忌とされているので、狩りなんかには困らない。田畑を守るために罠を張るだけだ。

 それに加え最近は海の向こうの国々から珍しい物や文化が入って来て、人々は戦乱の時代を越えた事に安堵している。

 だからこそ日々の生活を楽しみ、手を取り合って生きているのだ。

 けれどその中で、暴れ足りない者も確かにいる。


「旦那は謀られたんだろうけどなぁ。うぅん……」

 ケロウジは山を歩きながら頭を捻る。

「獣や魔術の事となると聞かないもんなぁ」

 独り言を言いつつもケロウジは栗の木を探す。

 実際「獣が魔術を使った」と言われてしまってはどうにもならないよなと、ケロウジは思う。

 人間は獣や魔獣たちの使う魔術を恐れ、ずっと地下暮らしをしていたのだ。その恐怖は本能に刷り込まれている。

 だからこそ馬は魔術を使っていなかったという言葉より、馬が魔術を使ったという言葉を信じるのは当然なのかもしれないとは、ケロウジも分かっている。

「けどなぁ……」


 そんな事を考えながらムカゴの蔓に手を伸ばした時、ケロウジは後ろの方から這い寄る冷たい空気に気付いて手を止める。

 いつもの奴が来た、とケロウジは思った。

 一つ深呼吸をしてからゆっくりと振り返る。


「ありゃ」

 そこに立っていたのは馬借の奥さんのヒイロだ。けれど首から下は全てが黒く、服も肌も見えない。

 本来、体があるはずの場所にあるのは体の形をしているだけの闇だ。

 もちろん本人ではない。これは生霊に近いけれど、そうではないもの。

 人が死ぬ前に現れる何かだ。他の人には見えないらしいが、ケロウジはいつもこれを見る。


『殺したい……許さない……』


 これは全ての人間が死ぬときに現れる訳ではなく、人に殺される時や自殺をする前にだけ現れるものだ。

 闇の体の向こうが透けて見えるうちは死ぬまで数日あり、透けなくなると死は目前。

 ケロウジの性格ではこれを放っておく事ができず、かといって獣たちのように特別な力がある訳ではないので、いつもこの霊体の話を聞いては右往左往するのだ。

 死は決められた未来ではない。足掻けば変える事ができる。


「殺したいって言ったってねぇ、アンタは死ぬ側なんだよ。殺されるのか……それとも自殺か? こりゃあ早く本人の所に行かないとな」

 助けるためには霊体に聞くしかないけれど、霊体は自分の死に関わる事しか話さないし、会話にはならない。


 けれど情報はニオイや纏う物からも得られる。

 漬物屋の床下に埋められる予定の霊体からは漬物のニオイがしたし、滝壺に身を投げる予定の霊体は水飛沫を身に纏っていた。


「死ぬ場所は海か……」

 ケロウジはヒイロの霊体から潮の香を感じ取り、そう呟いた。体の向こうは透けていて、まだ三日ほどはありそうだ。

「普通に考えれば、カラカサに殺されるんだろうけど」

 ケロウジがそう呟く間も、ヒイロの霊体は『憎い、憎い』と呪詛のように漏らしている。

 そうなので、今回もまだ起きていない事件を解決するためにケロウジは奔走する。



 ムカゴや栗、アケビなんかを竹籠に半分ほど持ってケロウジはヒイロの元に向かった。

 先ほどのヒイロの霊体も付いて来ているけれど、やはり誰にも見えてはいない。


「ごめんください。採取屋です」

 村の端にある馬借の本宅で、開きっぱなしの玄関から声を掛ける。

 すると、予想に反してパタパタと軽快な足音と共に奥さんが走って来た。

「はい、はーい」

 この人はまだ十六になったばかりで、十も年上の旦那の所に嫁いできて半年になる。しかし働き者で村の人たちからの評判がいい。


「旦那さんに頼まれて山菜を届けに来ました。どうぞ」

「わぁ、美味しそう! ありがとうございます。お茶でもどうですか? あ! 先にお支払いしますね。おいくらですか?」

「いいえ。お代は旦那さまから頂いていますので。お茶だけ」

 ケロウジは嘘を吐いて、奥さんから話を聞こうと縁側に座る。


「聞きましたよ。大変でしたね」

 ケロウジは心から心配してそう言った。けれど、やはりと言うのか表情はほとんど変わらないので口だけにも思われる。

 ヒイロは旦那からケロウジの事を良い奴だと聞いているらしく、そんな様子を見ても気分を害した素振りはない。

「そうなの。商売あがったりですよ」

 ヒイロはケロウジにお茶を差し出しながらカラッと返事をした。

「できる事があれば何でも言って下さい」

「じゃあ、野生の馬でも捕まえて来てくださいな」

 そんな風に冗談を言うヒイロを見て、ケロウジはほっと息を吐く。


 ここに来るまでは、もしかすると自殺もあり得るのではないかと思っていたのだが、ケロウジは死因を他殺と確信しカラカサの周りを探る事にする。


 帰る時、ケロウジはヒイロの目を盗んで馬小屋の様子を見る。

 馬小屋には壊された仕切りや壁がそのままにされていたけれど、その中に指先ほどの石刀が紛れていた。

 それを拾いあげると、ヒイロの霊体が表情を苦々し気に歪ませ食い入るように見る。

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