美少女の秘密


 白木郵便局までは、ここから歩いて35分。

 

 あと40分で星奈ヒマリが戻ってくるから、ちょうど彼女の家に着く頃に、彼女が戻ってくることになる。


 もし僕と一緒にいるときに戻ってきたら……




 いや、それはヤバい。

 避けたい。

 この二人きりの状況をうまく説明できる自信がない。

 


 ……よし。ここは早く星奈を家に送り届けて、シレッと立ち去ろう。それがいい。

 

 面倒なことは、極力避けなければ。だって、それが僕のモットーだから。




 「リク? 難しい顔してるよ?」


 美少女が僕の顔を覗き込む。


 「だから、近いって!」


 シャンプーのいい匂いがする。

 中身はプラトンでも、体は星奈だ。


 って、そんなこと考えてる場合じゃない!


 「リク。何かを考えるときは、話した方が考えが深まるよ? 対話、対話!」


 う〜ん……。

 まあそうか。話し相手は、星奈じゃなくてプラトンなわけだし。

 今聞けることは聞いておいた方がいいかもしれない。


 「あのさ、星奈はいつもどうしてるの?」

 「どうしてるって、何を? どんな時に?

  目的語がない!」

 「あ、ごめん。……いや、こうやって《哲学者》になった後、自分に戻ったときはどうしてるのかなって」

 「なるほど。いい質問だね」


 彼女は少しためらいながら、こう言った。


 「ヒマリはね、自分に戻るといつも泣いてる」




 僕は立ち止まってしまった。




 彼女もまた立ち止まって、後ろを振り返らずに続けた。


 「どうにかしてあげたいんだけど、これがなかなか難しい。《私たち》がどんなにうまく周りに説明しても、理解されずにみんな引いてしまう。《私たち》もヒマリのためにいろいろ試みたんだけど、結局うまくいかなかった。だからヒマリはどんどん友達を失い、孤独になってしまった」




 それから彼女は、歩きながらいろんなことを教えてくれた。



 中学二年生のとき、学校で初めて《プラトン》になったとき、まずはプラトン自身が困惑してしまって大混乱に陥ってしまったこと


 二時間後、自分に戻った星奈は、記憶もなく状況がまったく掴めないまま、周りから白い目で見られていたこと


 そのときから、彼女の体に宿ったプラトンは、彼女の行動を見守れるようになっていたこと


 でも、ただ見守ることしかできずに、ひどく落ち込んだこと



 そして、二回目に《プラトン》になったのは、その日の夜。

 星奈が自宅の部屋で一人泣き出してしまったとき——



 プラトンは、二時間かけて星奈宛ての手紙を書き上げたそうだ。


 「ほら。これがそのときの手紙」


 僕は彼女の小さな手から、その手紙を受け取った。


 そこには、星奈の体に起こっていることを必死に分析し、わかりやすく丁寧に、そして優しく冷静に伝えようとする、プラトンの想いが溢れていた。



長い長い手紙の最後は、こう締めくくっていた。



 「——最後に。

  貴方はとても賢く、強い人間です。どうか心配しないでください。元の貴方に戻れるその日が来るまで、私が必ず貴方を守り抜くことを誓います。そして、貴方が元に戻る方法を、必ず見つけ出してみせます。なにせ、私は最高の哲学者です。安心してください。

 ここまで読んでくれて本当にありがとう。

             ——プラトン」



 この手紙で、星奈は初めて自分に起きている状況を理解し、ひとまず落ち着きを取り戻したという。さすがはプラトンだ。常人には到底できることではない。


 それからも星奈は、感情が高まってしまったときに《プラトン》に入れ替わった。でも、プラトンは星奈の体に乗り移る度に、《星奈ヒマリ》のように振る舞い続け、そして必ず、その二時間に起きた詳細な出来事と新しくわかったことを丁寧に手紙に書き残した。


 プラトンのおかげで、星奈はそれから段々とこの手紙のやりとりを楽しめるようにまでなっていったという。


 ところがある日、事件は起きた——




 「リク。《他の哲学者》が出てきてしまって、また振り出しに戻ってしまった」

 「え? そんな……」

 「しかも、私以外に6人も」


 そうだ。

 星奈の中には《7人の哲学者》がいるって言ってたっけ。

 

 あまりにも不思議な話をする美少女の横顔は、真剣だった。

 

 気づいたら、空は夕焼けだった。


 白木郵便局まではすぐだ。

 もうすぐ星奈は戻ってくる。


 その美しいロングストレートの黒髪を、風がふわりと撫でていった——


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