第35話 魔王の御前

 エイノはキッドのカウボーイハットを目深に被り、俯いていた。彼女と最後に言葉を交わしたのはキッドの死体の前でだ。


 彼女はキッドを故郷の街に届けてほしいと言った。だからキッドの死体は布に包んで、一時的にあの場所に埋めてある。


 エイノの願いを叶えるためにも生きて帰らなければならない。そう思うと、一歩一歩がとても重く感じられた。


 アレックスもそうだったのだろうかと、ふと考える。


 彼は多くの人の希望と願いと期待を背負っていた。勇者とはそういうものだ。だからといって平気なはずはない。想像を絶するほどの重圧があったはずだ。それでもアレックスは投げ出すことなく最期のときまでまっとうした。結果的には負けてしまったが、火刑に処され、その命が燃え尽きるまで勇者としての矜持を貫き通した。


 すごいやつだったなと、アリスは改めて思い知らされる。少しでもいいから彼のような心の強さがほしいと思った。


 案内されたのは五〇人は収容できそうな大部屋。中心に幾何学的な模様が描かれている。読み解くことはできないが、転移魔法だと予想はつく。


 それに乗せられて気づけば別の場所に立っていた。部屋を出ると窓の外は高所からの景色に変わっている。塔の上層へ転移したのだろう。


 廊下は一本道で、その先には豪奢な装飾の施された扉があった。その向こう側から漂うただならぬ気配に身の毛がよだつ。


 間違いない。この先に魔王がいる。


 執事が指を鳴らすと、扉がひとりでに開き始めた。重厚な音が響き、緊張感を高まらせる。


 黒と紫を基調とした絨毯が全面に敷かれ、壁には数々の武器が鎖で縛られ、並べられている。それは殺した人間から奪い取ったものだろう。まるで勲章のように誇示されたそれらの中に、アレックスが使っていた聖剣があった。


 左右には臣下たちが闇に潜むようにして控えている。その視線の一つひとつが重くのしかかる。まるで一〇〇〇本の剣の切っ先を向けられているかのような緊張感。一歩間違えば容易に死ねる状況だ。


 アリスは拳を握りしめて恐怖心を押し殺す。場を同じくしただけで力量など知れた。三年前とは格が違う。この中の誰にだって勝てる気がしない。


 もしもこの場にシェーラがいなかったら、尻尾を巻いて逃げ出したかもしれない。


 一歩進む度に身を削られるようだった。それでも前に進まなければならない。


 前方にある仰々しい黄金の玉座には、先日遭遇した幻の魔王とまったく同じ容姿の悪魔が座していた。こうして見ると迫力が段違いだ。肌がヒリヒリと痛くなるほどの威圧感。


 三つの目がアリスたちを眺める。


 目が合うだけで呼吸が止まりそうだった。


『貴様が一二の献上品を届けた者か』


 口の中がカラカラに乾いて、すぐに言葉がでない。やっとの思いで頷いて見せると、魔王は愉快そうに大きな笑い声を上げた。


『これは喜劇か? まさか復讐に来たのではあるまいな?』


 その言葉の意味を理解できたのはアリスだけだったようで、臣下の悪魔たちは無反応を貫いている。


「復讐……?」


 シェーラの視線を感じたが、応えることはできなかった。魔王から目を逸らすことができない。逸らせばその瞬間、首を刈り取られるような気がした。


 冷や汗が止まらない。全身の感覚が遠い。まさか顔を覚えられているとは思わなかった。


『久しいな。三年の間に随分と腑抜けたものだ。まるで闘気が感じられぬ。いや、無理もないか。勇者が我に敗れた今、勇者パーティーの末席にいた貴様ではどうにもできぬからな』


 その瞬間、控えていた悪魔たちの殺気がアリスに殺到する。息が苦しくなるほどの重圧。思わず刀に手を伸ばしかけたところで、魔王が遮った。


『よい』


 たった一言で臣下たちは殺意を納めて無反応へと戻った。


 荒くなった呼吸を整えながら魔王を睨む。


「僕を殺すか?」


『自惚れるな。貴様にはその価値すらない』


 その言葉に安堵してしまう自分が腹立たしかった。


「ねえアリス、今のって……」


 シェーラに顔を向けることができない。彼女の想像していた勇者パーティーはとても強く高潔であるはずだ。それが運び屋などという人間を贄として捧げることでしか誰かを救うことができない仕事をしているだなんて知られたくなかった。


 彼女に失望されるのが怖い。軽蔑の眼差しで見られたくない。


『ほう、言っておらぬのか』


 魔王は面白そうな玩具を見つけたかのように口端を吊り上げた。


『娘よ。こやつは三年前、勇者とともに我に挑み、敗れたのだ。自分だけがおめおめと生き延び、仲間の復讐をするでもなく、生にしがみついている。滑稽だとは思わぬか?』


「……アリス、本当なの?」


 服の裾を掴まれる。どんな表情をしているのか見るのが怖くて、彼女を見ることができない。急に足に力が入らなくなって膝を突く。片手で顔を覆い、懺悔のように言葉を絞り出す。


「ああ、そうだよ。魔王に負けてみんな悪魔に捕まったけど、僕だけが運良く逃げられた。それなのに僕は、王都で処刑される仲間たちを助けようとせず、見捨てて……」


 ようやく今にしてわかった。自分はあの場所で死ぬべきだったのだ。仲間を助けるために勇猛果敢に飛び込み、返り討ちにあって殺されるべきだった。こんな風に無念を背負って、かといって行動を起こすでもなく、惰性のように生き続けるべきではなかった。


 あるいはここが、罪深き自分に用意された死に場所なのかもしれないと、アリスは思う。魔王に殺されることこそが、自分に相応しい罰なのではないか。


 刀の柄に手をかけようとしたアリスの手を、シェーラが握った。優しく、けれど強く包み込むように。


「自分を責めないで。私も同じだから」


「え?」


「ケイネーレ様に憧れて、でも私はなにもしてこなかった。心の内に大志を抱きながら、それを為すために行動してこなかった。だから私はアリスたちの戦いに間に合わなかった。だから私はここにいるの。怠惰に過ごしてきたツケを払うために」


 自分よりもずっと弱いはずなのに、どうして彼女はこんなにも強くあれるのだろう。彼女の浮かべる優しくて憂いを帯びた笑みに、泣き出しそうになる。


 ずっと誰かに許してほしかった。苦しくて苦しくて。それが自分の贖罪なのだと言い聞かせながら、それでも救われたいと願っていた。


『自らを贄として運んできた者に慈悲をかけるか』


「あなたにアリスを悪く言う資格はないわ」


 毅然とした態度で言い放つ。彼女の力強い眼差しが魔王を見据える。

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