第8話 初恋の女のことを引きずっている男はわりと何をしても駄目

 駄目だわ。

 お兄ちゃん駄目だ。本当に駄目。

 男の子は初恋の女が忘れられないって言うけど本当に駄目。

 私にママの面影を見出して思わず助けてしまったってどこまで面白い男なの?

 誰でもホイホイそういうこと言う訳じゃないわよね。誰にでもホイホイそういうこと言う人だったらもっと上手い事言うもん。


「は~」


 リビングのソファーで寝転がり、天井を眺める。

 ケーキのスクイーズを握りつぶしてわざとらしいため息をついてみる。

 甘い香りがした。スマホが震える。お兄ちゃんからのLINEだ。お兄ちゃんから私へのLINEではなく、二階堂サトルから海藤エミへのLINE。


「でっかいため息だねえゆみちゃん」


 パパは夕食を食べた後なのに本物のケーキを食べている。ちょっと健康が心配だ。


「いや~駄目だったわパパ」

「お、作戦失敗? 今度はどうしたの?」


 どうせ監視していただろうにしらばっくれるつもりなのだろうか。

 まあどうでもいいわ。今海藤エミとしてめっちゃLINEしてるから。


「失敗っていうか、メロメロにしてやろうと思ったらメロメロにされたわ。夜の内にお酒に誘うつもりだったのに、誘えなかったわ」

「は?」

「は? じゃないでしょ。分かんないかなあ? あ、連絡先は交換できたわよ」

「わかんないけど……」

「分かろうと手を伸ばしてほしいなあ」

「パパの手、育児と金稼ぎと真理の探求で一杯一杯かな」

「まあ三つ同時に頑張ってるし偉いよねパパ。とっても偉い。自慢の父親だよ」

「だろ? 君も物の道理が分かってきたようだ。とても嬉しいよ」


 しかし参ったわ。LINEで今度お茶でも~とは言ったものの、どのタイミングが良いかって話よね。都合よく彼女さんとつまらないことで喧嘩でもしてくれれば良いのに。流石にこればかりは自分から仕掛けるとバレるし、直接お兄ちゃんに被害を与えるのは倫理的にやってはならない一線だから動けないか。


「パパ、少し作戦会議」

「まあ聞くだけなら聞くし、君がパパの渡した魔法の道具で何を何処までできるか試したいというなら僕は一人の魔術師としてそれを止める訳にもいかないね。父親としては可能な限り止めたいが無理に止めるより君が飽きるのを待ったほうが合理的だからね。サトルお兄ちゃんもしっかりしているし、今の君では何をしたところで――」


 そういうのが一言余計なのだ。この男は。


「ともかく! 大人のフリをしてお兄ちゃんと連絡先交換までは成功したのよね」

「実はこっそり監視していたけど、悪くなかったと思うよ。結果的に多人数に絡まれたことで善悪を印象づける手練手管も、魔女狩りブームを起こしては全員焼いて回ったパパのお師匠様みたいでなかなかスムーズだった」

「村焼きリアルタイムアタックの話はしてないの」

「それで? 何の話だっけ?」

「連絡先交換に成功した後に、既に恋人が居る相手をスムーズにデートに連れ出す方法よぉ!」


 パパはため息をつく。まるで何もかも分かっているみたいな顔だ。


「自我を奪う」

「引くわ」

「まあ待って欲しい。人間の自我というのは別に魔術やこの前みたいな怪しいお薬だけで失われるものではないんだ。親しい人からの拒絶、仕事の上での不遇、健康面での問題。人間はあっさりと自分自身を見失う。そんな時の人間は藁にもすがる」

「パパ、ちょくちょく私から拒絶されるのに落ち着いてるよね」

「人間の精神を超克して、完璧な自己を確立するのが正しい魔術師だからね。要するに僕だってゆみちゃんから冷たい事言われると悲しいんだよ?」

「そう……ならちょっと安心したわね」

「ゆみちゃんにも分かるレベルの具体論に落とし込むなら、お兄ちゃんが弱っているときを狙えという話になる。弱っている時であって、弱らせた時ではない。これは分かるかな?」


 やっと十一歳の私にも分かるレベルの話になってきた。そう、こういうのを待っていたのよ。


「ええと、つまり、待てってこと?」

「そうだね。魔術と同じだ。君は適切な時間・空間・機会を見計らってお兄ちゃんの前に姿を表した。同じことを繰り返すんだ。君が目的を達成する手段は?」

「デートして……既成事実を……」


 パパが頭を抱えてため息をつく。何か間違ったことでも言っただろうか。


「正しいから続けて……」


 とても困ったような表情を浮かべている。


「そのデートで既成事実の発生を狙う為のプランが必要よね」

「そう、それだ。デートそのものの準備が先であるべきだよ。何時、何処で、君にとって仕掛けるべき状況が発生するか分からないだろう。分からないのだから先んじて準備しておく必要がある。そしてその準備は可能だろう。今、君は作戦の状況を把握している。二階堂ゆみと海藤エミの二つの視点で対象を観測できる。情報は集まっている筈だ。それでも分からないことを考えるのは後で良い。自らの目的の為に可能なことから実行しなさい」

「パパすっごい頭良いこと言ってる気がする……」

「頭の良いことではない。正しいことだよ」

「要するに?」

「デートで既成事実の発生を狙う為のプランを……練れば良いんじゃないかな。そればかりはちょっとパパには分からないことだけど……」


 なんでも知っているようなパパが、なんにもできない無力な人間みたいな顔で、しょんぼりとうなだれている。


「パパ」

「なんだい?」

「肩……揉んであげようか?」

「うん、ありがとう。嬉しいけどやっぱやめないかいゆみちゃん……?」

「それは嫌」

「そっかぁ。それを無理にやめさせる理由は俺には無いもんなあ」


 そう言って、パパは力なく微笑んだ。


     *


 という訳で待ってみた。この間、お兄ちゃんは律儀にLINEを返してくれた。人妻という設定を公開した時はお兄ちゃんも怯んでいたみたいだが、弟みたいで可愛いしこういうお話が普段の生活の息抜きになるからと話をしたらまんまと転がってくれた。いやぁ~憧れのお兄ちゃんがまさかマザコンだったとはね。次は十一歳に興味を持つロリコンに転んでもらって、それからマザコンとロリコンを兼ね備えたもうどうしようもないタイプの人間にまで堕ちてもらうからね。私をママと思いこむ重症患者にして尊厳を地の底にまで貶められてから愛で尽くしてあげる。

 ……なんてことを思いながら二週間位過ごしていた時、事件が起きた。


「おっ、きたきた」


 机の上のスマホがブルブルと震える。だが、それは海藤エミのスマホではない。二階堂ゆみのスマホだ。少しつまらないながら、ベッドの上に寝転がってメッセージを見る。


「ゲゲェッ! あの女!」


 そう、お兄ちゃんの彼女だ。私の愛を阻む一番の障壁でもあるのだが、あの女は私を彼氏の妹として可愛がっている。少し可愛がりが過ぎるのでちょっと嫌なのだが、様々な圧力に屈して連絡先まで交換していた。まさかマジで連絡してくるとは。

 私は震える手でメッセージを確認する。なんだ。次はなんだ。私に何を求めているんだ。くっ、なんか胃が痛い気がしてきたわ。


『サトルさんと喧嘩しちゃったんですよ!』


 勝ったわ。



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