不可視の森と申し立て回避の冴えたやり方④


 そういえばコイツ、ノーブラだったよなぁ……


 結局、ウィッチさんの波がおさまっていたのはほんの一瞬だった。俺が「立てるなら歩け」と至極真っ当な意見を述べた矢先、ギャングスタイルはみるみる内に萎れはじめ、澄みきっていた瞳は澱んだドブのような目に変わってしまった。

「ダメです。でちゃいます」と嘘偽りない内情をさらりと言ってのけ、ウィッチさんは再びしゃがみ込んだ。


 しかたない……。そこまで言うなら、たとえノーブラだろうとおんぶして連れて行ってやる。たとえノーブラで太もも剥き出しだとしても。必ず救ってやると神に誓ったからな。男に二言は無い。


「わかった。乗れ」と背中を差し出す。鼻を掠めるココナッツの香り、背中に感じる確かな感触、ほんのり湿ったTシャツの肌触りと剥き出しの太もも。ウィッチさんがしっくりくる場所に納まり俺の首に腕を回したのを確認して勢いよく立ち上がろうとした瞬間「……んっ……もっと……ゆっくり……」と耳元で吐息混じりの声が聞こえた。


 危なかった。危うく死ぬところだった。まさか『ノーブラおんぶ』の破壊力がこれほどまでとは。これはもう『大変なこと』になってしまいそうな予感がして「ウィッチさん……やっぱりやめよう」と喉まで出掛かった。が、躊躇なんてしている場合じゃない、人ひとりの命運がかかっている。俺はどうなっても構わない。コイツさえ助かればそれでいい。

 

 意を決してゆっくり立ち上がるとウィッチが「……なんか……暑いね……」と耳元で囁いた。これだけ密着すれば暑いだろと思ったが、首元に絡んだ腕、脇腹を締め付けている剥き出しの太もも、背中のおっぱい、辺りの気温よりも低い体温のせいか、ウィッチの肌はひんやりと冷たくて、なんだか心地良さすら感じる。


「んじゃ、行くよ」と声を掛け一歩踏み出すと、ウィッチさんも両腕に力を入れ背中におっぱいをこれでもか、これでもか、と押し付けながら「……んっ……ッ……」と返事を返してくれた。もう既に、肌が冷たいとかそういう情緒的な話はどうでもよくなってしまった。





「……ぁん……ねぇ……ちょっと……はやいってばヤバいよ……でちゃぅって……」


 ウィッチさんはどうやら俺を殺す気らしい。


「……ちょっ……と………っん……ッ……はやぃんだ……って……ッ……ココで……だしちゃっ……ても……いぃの?…………」


 2、3歩歩くたびに耳元で囁いてくる。甘ったるいココナッツの匂いで鼻がバカになりそうだ。


「……ねぇ……聞ぃてる?……ッ……ッ……でちゃぅ……ッ……でちゃぅょ……」

「わかったから……もう喋るな。共倒れになる……」

「……ッ……え?……なに言ってんの?……でちゃぅんだっ……てば………」

「……おい、やめろ」


 クソ……このままだと俺が先に死ぬ……。


 耳殺しに耐えながらとりあえず一旦立ち止まり深く深呼吸をすると、ウィッチさんの小さく荒い息遣いが背中に感じられ、むしろ歩いているときよりも破壊力が跳ね上がってしまった。もはや八方塞がりである。


「……なんで止まってんの?」


 ウィッチさんが何か言ってるが、それどころじゃない。マズい事に気がついてしまった。非常にマズい。この女、なんだかぬるぬるしてやがる。間違いない……日焼け止めのせいだ。相当塗りたくってたからな。太もものぬるぬる具合なんて暴力性すら感じる。恐らく汗のせいだ。汗で日焼け止めが溶け出しているんだ。


「お前、なんかぬるぬるしてるぞ……」

「……ッ……なにバカなこと言ってんの?……いいかげんにし────」

 

 ぬるぬるしているせいで徐々にズリ落ちていくウィッチを反射的に揺すって跳ね上げると「ふぁああ!?……ぁ……ッ……」と大声を上げ、まるで痙攣でも起こしているかの如く小刻みに震えはじめた。


「おい……大丈夫か?」

「いいかげんにして……でちゃぅ……から……変なことしないで」

「いや……ぬるぬるしてんだって」


「……いいかげんにして」そう言うとウィッチさんは剥き出しの太ももで挟み込んだ脇腹を締め付けてくる。もの凄い力だ。たぶん、緩めたら「でちゃう」のかもしれない。





 暴力的な太もものぬるぬる感、相変わらず耳元で聞こえる吐息混じりの息遣い、むせ返るような藪の熱気とココナッツ。少しでも気を抜けば殺られる。もはや、キン消し広場まであとどれくらいなのかよく分からなくなってきたが、俺はこんな所で死ぬわけにはいかない。俺が死ねば、ウィッチも死ぬ。これは試練だ。神が俺に与えたもうた試練なんだ。


「……ぁッ……ンッ……ッん……ぁん……」


 またしても、ぬるぬるしているせいでズリ落ちていくウィッチさん。反射的に跳ね上げそうになったが何とか堪え様子を伺っていると、なんと自分で這い上がろうとしている。何をしてるんだこのバカは、死ぬぞ……。そんな闇雲におっぱいを擦り付けたら共倒れになるぞ……。分かってるのか? そういえばこの女、中にも日焼け止め塗りたくってたよな? 中にも。ということはアレだ。おっぱいは大変なことになっているはず。


「……ぁん……もぅ……落ち……ちゃぅ……」


 Tシャツの中のおっぱいがぬるぬるとか、そんなのはこの際無視だ。それどころじゃない、今さら気がついてしまった。なんだかビチャビチャになってる気がする。背中がビチャビチャになってる気がする。


「背中がビッチャビチャになってる気がするけど、お前……まさか」


 なんとか這い上がり所定の位置に戻ったウィッチさんが胸元を確認しながら答える。


「……え?……まだ……でてなぃょ?……ん?……なんか……すごぃね………びちょびちょ……だね…………汗かな?…………」


 もう、死んでもいいんじゃないかな……。


 いや、それにしたって凄いびちょびちょだぞ? なんか熱い、熱いぞ?常夏ココナッツも勢いを増してる気がする……。俺の鼻がイカれてきたのか?





「ねぇ……まだ着かないの?」

「ん? まだじゃないか?」


 太ももはぬるぬる。おっぱいはびちょびちょ。鼻は馬鹿になっている。もはや、自分が今どこを歩いているのかさえ分からない。なんなら既に「どうやって死のうか」「どうやって死んでやろうか」そればかりが頭を駆け巡っている。


「じゃないか?って、なんで分かんないのよ」

「てめぇのせいだろうが!!」

「え? なんで?」

「いや、別に……」


 クソ……なんなんだこれは?いったい俺は何をしてるんだ?池の水が抜かれるのを阻止するのが本来の目的だったはずだ。それがどう間違ってこうなったんだ? 


「ちょっと、お前いっかい降りろ」

「え? なんでよ。いいじゃん、早く連れてってよ」

「なんかさっきより元気そうじゃないか。歩けるだろ?」


 ウィッチの波がおさまっている。この隙にとっととケリ付けちまおう。だいたい、この藪の中に池があるのかどうかすら分かってないのに、こんなとこでグダグタやってる場合じゃないんだよ。


「えぇ〜なんでよ、でちゃぅょぉ」

「もうその手にはのらん、俺は死ぬわけにはいかないんだよ」

「え? なんでB・Bが死ぬの?」

「お前には関係ない、こっちの話だ」


 やはりまだ死ぬわけにはいかない。俺が死んだら、ウィッチも死ぬ。そういうことだ。わかってるよ。たとえ、俺が死んでも、ウィッチは死なせたりしない。必ず救うと誓ったんだ。神様に顔向け出来なくなっちまう。


 とりあえずウィッチを降ろし「もう歩けるだろ?」と振り返ってみたら。とてつもない光景が広がっていた。見なかった事にして、もう一度、ゆっくりと、進行方向に向き直す。


「やっぱり乗れ」

「え? なんでよ」

「いいから、すぐに乗れ」

「もぉ、なんなの?」


 ウィッチが、俺の首に手を回し所定の位置に収まったのを確認して、スッと立ち上がる。スッスッと体を揺らしてウィッチさんは座りの良い位置を探している。その隙に俺は剥き出しの太ももにサッと手を置く。慣れ親しんだお馴染みのスタイルの出来上がりだ。


 いや、それどころじゃない……とんでもないことになっているじゃないか……。

 そりゃそうだ、真っ白いTシャツだからな。あんなにビチャビチャに汗かいてたら、ああなるのは当然だ。物理的に当然だ。


「ちょっと。どうしたの? なんでまたおんぶするの?」


 スケスケなんだよ……。てめぇのおっぱいがスケスケなんだって。よく見てみろバカ。いや、ダメだ……見るな。どうやら自分では気がついてなさそうだ。クソ……この女、無自覚に人を殺す気なのか? 危うく手ぇ出しそうになったぞ……。危なかった。本当に危なかった。ノープランで人を殺す気なのか? ノープランで人を……。ノープラ──


 いや、これは神様だ。神様の仕業だな?それなら仕方ない、俺は試練を乗り越えるまでだ。


「……ねぇ……なんでよ……」


 クソが……


 これは、てめぇと俺の勝負だ。どっちが先に死ぬか、とことんやってやろうじゃねぇか。










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