★み、水も言も巡れと言う夢幻話 第二話


「俺がかつての自分をかたどるための意味を失ったように、あれもおのれを見失っている。だが、きっと俺という存在はあれを封じるか、押さえ付ける者だった。でも俺は少し前に、この世に解放されていた。あの赤い柱がこわれてからしばらくの間は自由の身だったんだ」

 新情報だ。八重は話に集中した。

「俺が解放されたってことは当然、あれも解放される。俺はあいつがおそってくるたび、追いはらった。そのうち、まわりのやつらが俺を国のおおいつもりに仕立て上げようとした。そんなめんどうやくがらを押し付けられんのはごめんだと退けたら、神通力持ちの環性のろうがあいつごと俺を石碑に封じやがった。殺してやる」

 最後の一言は聞かなかったことにして、八重は急いで尋ねた。

「少し前に解放って……私が生まれる前あたり?」

「もう少し前。百年くらい前かな」

 それは少しと言わない。もはや伝説の域である。

 八重はみなすべるアメンボに似た虫を見つめながら、いまの話を頭の中で整理した。なんとなくだが、亜雷のじようきようがわかってきた気がする。

 たとえるならびひん様と亜雷は、またの大蛇おろちと、それを退治したおのみことみたいな関係だったのではないだろうか。そうすると、このくろ太刀たちは、あまのむらくものつるぎあたりか。

(でも、その神話の神ではない気がするんだけれどなあ。もっとこう、おそろしい感じの神話のような印象がある)

 八重はそこまで日本神話にくわしくない。こんなことになるのなら前の世ででも読んでおけばよかった。

「じゃあ、『びひん様』はあれで退治したことになるのかな」

「ひとまずは、そうだろう」

 と言う、亜雷の表情はなぜか晴れない。

「しかしわからんな……なんで急に朧者が複数わき出したんだ?」

「というか、亜雷はどうして私が朧者に殺されかけているのに気づいたの?」

 厳密に言えば助けてくれたのは黒葦だが、亜雷の一部らしいので、彼の意志であったと判断していいだろう。

「そりゃおまえに危機がせまればわかるに決まってる。おまえは、俺の命なんだから」

 またその言葉だ。八重はまゆをひそめた。

(わからないことはほかにもあるんだよね……)

 黒葦のはどうなったのか。なぜ奇祭後、八重のもとにしんけんであろう黒太刀が現れたのか。おまえは俺の命発言もじゅうぶんなぞだが、本当になぜ朧者にとらわれた八重の居場所がピンポイントでわかったのか。また、なぜあそこで奇祭の真似まねごとをさせたのか。そして、なぜ八重を殺そうとしたのか……。ひやつこうの出現も謎と言えば謎か。

「……黒葦様は背に傷を負っていたけれど、あれは皐月さつきに行ったかいざかまわりの奇祭のときに、びひん様につけられたもので間違いない?」

 傷はだいじようなのか、と言外に問えば、亜雷は八重の様子を観察するような目付きをした。

「これまで俺は、あいつの中に取り込まれていたし、この太刀もうばわれていた。だがまあ、奇祭の効果であいつの力はがれ、逆に俺のけがれはうすまった」

「確かに黒葦様、目のよどみが年々取れていたね」

「力関係が逆転するとあせって、俺をろうとしたんだろうよ」

 なるほど、と思ったあとで、八重は引っかかりを覚えた。なにかをごまかされた気がする。

「だがこいつはもともと俺の太刀だ。殺せるわけがねえ。あいつから太刀を奪い返したはいいが、おまえの言う『黒葦』として存在するのが難しくなった。傷がえるまで休む必要があった」

「……それで一時的に、私にけんを預けた?」

「他にどんな理由があるんだ」

 悪びれずに言われて、八重はだつりよくした。

「さっきあの場所で奇祭の真似をさせたのは、なんで?」

 八重をさらった朧者の残骸の中から黒太刀が出現した理由だって、不明だ。

「質問の多い奴だなあ。……そもそもな、おまえが俺の太刀を置き去りにしたのが悪い」

 亜雷が黒太刀の先でばしゃばしゃと水面を打った。……本当にそんなあつかいでいいのか。

「おまえに太刀を預けておけばさびも取れると思ったのに、置いていったからあいつの手下に見つかってまた奪われるはめになったんだぞ」

「はっ!? 待って。その黒太刀、奪われていたの!?」

 亜雷は責めるような表情でうなずいた。

「なぜか知らんが、このところ急に朧者の出現が増加している。そいつらをあやつって、俺の太刀をおまえの家屋からぬすませた」

「私が知らないところでそんな出来事が」

 八重はおどろいた。

(私をらえた朧者は、ぐうぜんあそこにいたんじゃなくて、太刀を奪った帰りだったの?)

 すると黒葦は、八重の救助に来たというよりは、黒太刀を追ってきたのではないか。

「ええと、こういう流れ? 長年行われた廻坂廻りの効力で亜雷との力関係が逆転しそうだった、だからびひん様は力を削ぐために黒葦様を殺そうとした。でも黒葦様ははんげきして黒太刀のだつかんに成功した。その後私に預けていたら、再び奪われたので、取り返しにきた……?」

「ああ。これは俺もなぜか知らねえが、朧者の増加でまたあいつが力をつけ始めている。実際、せきのまわりに化け物がわいていたろ」

「百鬼夜行って、それが原因か!」

「あいつが完全に力を取り戻す前に、おまえに奇祭の真似事をやらせて俺の本体を石碑から解放させたんだよ」

「……そっか」

 大筋はあくできた。謎のいくつかもわかった。

 けれども、もやもやする。解決していない部分がある。

(朧者の増加原因は本当に知らないみたいだ。でも、私の前に何年にもわたって、黒葦様として現れた理由は? 奇祭の真似事をさせたときに私を殺そうとした理由は?)

 そして根本的な謎だが、これまでの廻坂廻りの中で、びひん様が黒太刀を持って花耆部を練り歩いていた理由はなんなのか。それに、びひん様は完全に退治できたわけでもない?

 そのあたりの説明がけている。いや、はぐらかされている。

「ちゃんとわかったのか? おまえが俺という本体を解放したんだぞ。だから、どれほど不服であろうとも俺はもうおまえのものだ。それが、いまの俺の意味だ」

「……私にかまわず自由に生きてくれて大丈夫だけれど」

 恩返し目的でいつしよにいてくれるのではない。それは理解した。

「俺から意味を取り上げるな。目覚めたばかりの俺をかろんじるんじゃねえ」

 むちゃくちゃな要求だ、と言いかけて八重は口をつぐむ。

「八重」

 考え込んでいるところにとつぜん名を呼ばれ、八重は驚いたひようとうぼくから落下しかけた。

 望まぬ入水を、亜雷がうでつかんで防いでくれる。

「なぜ私の名をご存じか」

 乱れた髪を片手で押さえながらぎこちなくたずねると、亜雷はまゆを寄せた。

 彼も八重ほどではないが、もふっとした髪をしている。そのため目元が見えにくいが、げんそうな気配はしっかりと伝わってくる。

「それは意味のある質問なのか? 俺の太刀はおまえのそばにいつもあっただろう。黒葦の姿でも、ともにいたじゃねえかよ。おまえのはだかが貧相なこともとうに知ってる」

 うそだろと八重はつぶやいた。身体からだについてはねんれいてきにまだ発展じようだから、見守ってほしい。

「そういえばてめえ、虎姿のときは俺の身体をよくも好き放題にで回しやがったな……いや、そんな話をしたかったわけじゃねえ。八重はなぜさっきからあいつを『びひん』と呼ぶ?」

 この男、口が悪い。

さいの起点というか……終点でもあるしゆいろの大柱に『ひん』と刻まれていたからだよ。いまはもうそのしよが消えて、読めなくなってるけれども……。あれって名前じゃないの?」

 八重が空中に文字を書くと、亜雷は息をめてしばらくそこをながめ、ふっと笑った。

「誤読したようだな。美嬪じゃねえ」

「亜雷は知っているの?」

ひもがり。そう刻まれていたはずだ」

 断言する亜雷の顔に、八重はそっと指をばした。

 目元をおおうもさもさのまえがみを横に流してやる。目は感情を映す鏡だ。見えたほうが、考えを掴みやすい。

 亜雷は不思議そうに首をかしげたが、とくにいやがるりも見せず、八重の好きなようにさせてくれる。

「ひもがり? ……殯って、身分が高い人の死体を一時的におさめる場所のことだっけ?」

 八重がその言葉を知っていたのは、かつての故郷でふんが発見されたからだ。子どものころ、何度も体験学習でせきおとずれている。

「そうだ。名じゃなくて、あいつがどういう存在かを示す言葉だな」

「……あ、これ以上聞きたくない。嫌な予感がする」

 八重がはっきりときよぜつすると、亜雷は微笑ほほえんだ。思いの外かわいらしさを感じる表情に、目を奪われる。

「まあ聞けよ。あいつは『神格を持つ死の国の者』だ。俺とは似て非なる存在なんだよ」

「聞きたくないって言っているのにこのとら様は」

「だからそのことを忘れぬよう、斐殯と柱に刻んだんだ」

 んだままの亜雷を、八重はぎようした。

「……かくにんしていい? ひょっとして、その文字を柱に刻んだのは亜雷でしょうか?」

 つい口調を改めた八重に、彼は迷いなくうなずいた。

(確かにさっき、亜雷は自分がびひん様を追いはらっていたと言っていたな!)

 八重はこめかみを押さえた。他の話がしようげきてきだったため、聞き流していたようだ。

「俺はな、八重。斐殯のように完全にたましいが変形するのはごめんだと思っている」

「ソウデスカ」

 目をらしたいのに、亜雷が発するみようあつかんに負けてしまい、動けない。

「異域から流れてきたってことは、こちらで新たに生を受けたも同然だろ。だが輪廻りんねの加護のない状態で流れてきた場合、どうしたって魂はいくらかゆがむ」

 八重たちのような「うろこ」とはちがって、予期せぬ転生だったから、こちらに生じた時点ですでに歪みが出ていた、という意味だろうか。

くろ太刀たちだって前の世ではもっと長く、大きかったはずなんだ。十人がかりでやっとにぎれるほどに」

「十人がかりで握れるけん……?」

 なんとなく聞いたことがあるような、ないような。思い出せない。

「だからこれ以上は変形せぬように、俺は俺という存在のりんかくを明らかにしてくれる者、しばってくれる者が、とても必要なんだ。切実に」

 にこりとする亜雷から、八重は少し身を引いた。だが、すぐに顔を寄せられる。

「なぁ八重、さっき宙に文字を書いたろう」

「ソウデシタッケ」

「俺と同じ世から八重も流れてきたな? そうでなければああもすらすらと『漢字』を書けるわけがない」

 ……しまった。たやすい漢字ならほかのうろこでも書けるが、あの文字はぱっとわかるものじゃない。

「八重の魂は歪んでいない。水でみがかれたようにつるりと丸い。おまえは定めの輪にあるうろに違いねえが、他と違って、前のおくめいりように残っているんだろ? だから、こちらではあまり使われない漢字も当然のように知っている」

 座る位置をずらそうとする八重の顔を、亜雷はわざとらしくのぞき込んできた。向日葵ひまわりいろひとみの中で、六曜星のようなかんもんがくるくると元気に動いている。

「ところでだ。俺は、俺をよく知らねえが、それでもいくつか覚えていることがある」

 彼は、八重のひざに黒太刀をぽんと置くと、つかの部分を手で軽くたたいた。

「俺には兄弟がいるんだよ」

「ふうん……。何人?」

「数ははっきりしねえわ。二人か四人か六人か……八人……十人……二十人か?」

「待って待って、どこまで増える」

 際限なく増えていきそうだ。

 っ込んだあとで、八重はじゆうめんを作った。げようとする八重を話に乗せるための作戦だったらしい。

「兄弟じゃなくけんぞくという表現が正しいかもしれねえな。いや、血脈……?」

 ぶつぶつと呟く亜雷から目を逸らし、八重は指先で黒太刀の真ん中あたりをちょんとはじく。

 おまえのご主人様、かんするどいのにアバウトすぎない?

 すると、膝の上ですっごくガタガタされた。なにこの黒太刀こわい。

「とにかく俺が確実に覚えてんのは一人だけだ」

 人の太刀で遊ぶなというようににらまれたが、自分のペットはもっとしつけてほしい。

「記憶に残っているその弟を、という。……俺がふうじられたときに弟もべつの場所に連れていかれた。弟に俺のふういんを解かれちゃ困ると思ったんだろうよ」

「弟さんもどこかに封じられているって意味?」

 亜雷は八重の頭を撫で回した。ただでさえわかめみたいなかみをもさもさにするとはひどい。

「ただなあ。弟は俺と違ってせんさいだ。月の光のようにさやかな心根のやつさ。長きにわたって封じられたから、俺よりも魂の変形が進んでいる可能性が強い」

「……げんの病にかかっている?」

「おもしれえよな、こっちの世は。神格のある者だろうとどうのない物だろうと草花だろうと、平等に病に罹る」

 亜雷はちようしたが、すぐにじっと八重を見た。目の中の環紋が、左に右にとり子のような動きを見せている。

「ここはれいめいの世なんだろうよ。だからまだ物事が定まりにくくて変形しやすい」

 八重は考える。本当にまっさらな意味での黎明なのか。それともしゆうえんの果ての黎明なのか。八重にはどうしても後者のように思える。

「弟さんに会いたいよね」

 余計な思考を振り払い、八重が同情をこめて言うと、亜雷はくちびるはしをつり上げた。

「あー、会いたい。うん、会いたい。よし、会わせてやろうな」

「……え?」

 おびえる八重に、亜雷はやさしくささやいた。

「おまえは、俺の命。そのおまえは都合のいいことに奇祭を取り仕切れるじゃないか」

「いや、取り仕切るなんて大げさな」

「俺を解放したように、弟もどうにかしてやれ。魂の変形は進んでいるだろうが、いまならまだあいつを救えるかもしれねえ」

「そんなちやを言われても!」

「俺の弟を救うことができたら、おまえを花耆部に帰してやるよ」

 八重は息を詰めたあとで、身のこわりを解き、ぎこちなく微笑んだ。

「亜雷の弟さんを救えるにこしたことはないけど……それはこうかん条件にならないよ。私は当分、花耆部にもどらないつもりだし」

 正確には、「戻れない」だ。

 八重の複雑な胸中に気づいているのか、亜雷は瞳にあやしい光を宿して笑った。

「そこは案ずるな。俺が責任をもって住みやすくしてやる」

「どうやって?」

たみみなごろしにしてやるよ」

 良案だろとばかりにかがやく笑顔を見せられたが、この虎男は八重を歴史に残る大悪党にでも仕立てあげる気なのか。

「な、せっかくだからこの機会にさ、美冶部の奴らも皆殺しにしようぜ。あそこの男に見捨てられたんだろ?」

「そこまでうらんでいないので、いったん殺意は引っ込めよう」

 八重はそくとうした。よう、せっかくだから飯でも食いに行こうぜ、というくらいの軽い調子でさつりくを提案されるのははじめてだ。膝にせている黒太刀までも「ろうよ、斬ろうよ」とはしゃぐようにガタガタするのはやめてほしい。

「なに、えんも大部分をめてるから気にするなって。百年前に俺を封じた奴は美冶部出身のの民だったんだ」

「そんな重い打ち明け話、笑いながら聞かせないでほしかった。だめだってば」

 八重が首を横に振ると、彼はいぶかしげな顔をした。

「なんでとめるんだ。八重だってさっき、あんなにつらい、苦しいとさけんでいたじゃねえか」

 いま一番忘れたい記憶をり返すとは、おにか。

「こっちの世界に流されてきた俺は、ごん性を押し付けられている。俺から見ても、無性のおまえは確かにかんそうな女だ」

「心をえぐらないでくれる?」

 睨み付けると、亜雷はうでを組んでふんぞり返った。

「でもな、俺は八重におもしろみも男運のよさも求めねえぞ。俺にとって八重は取るに足らぬ者ではないから、環性なんてどうでもいいんだ」

 下げて上げるという、優しさにえたちょろい女子がうっかり引っかかる、ときめきの不意打ちをしないでほしい。

 だが忘れてはいけない。この男は、八重に向かってやいばを振り下ろそうとしたのだ。

「そのうち私を殺すつもりだから、環性は気にならない?」

 皮肉のつもりはなかったが、とっさにそんな問いが口をついて出た。八重はすぐにこうかいした。亜雷の、おどろいたような視線を感じる。

 どうせならもうひとつ聞いてしまえ。八重はあせばむ手でくろ太刀たちを強くにぎりながら、また口を開いた。

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