元英雄で、今はヒモ~最強の勇者がブラック人類から離脱してホワイト魔王軍で幸せになる話~【Web版】

御鷹穂積@書籍7シリーズ&漫画5シリーズ

第1話◇ヒモの朝




 人類の為、平和の為、世界の為。


 厳しい訓練に耐えて、凄惨な戦場を駆け抜け、泥のように眠る。


 次に目が覚めたら、嫌なことはもう全部終わっていて。

 いつか宿の窓から眺めていた、普通の子供のように笑って暮らせる『日常』ってやつを、自分も手に入れることが出来るのだ。


 そんな叶わない夢を、擦り切れるくらい繰り返し見て。

 望む日常がぼやけてよく分からなくなった頃、それは起きた。


 ◇


「ふぁあ……朝かぁ」


 目が覚めた俺は、カーテンの隙間から入り込む陽の光をぼんやり眺めながら、欠伸を漏らす。


『彼らは六英雄、なんて呼ばれている。

 魔法の【賢者】、

 回復の【聖女】、

 剣術の【剣聖】、

 弓術の【魔弾】、

 知略の【軍神】、

 そして――、

 万能の【勇者】』


 なにやら声がするが、俺は無視して目を擦る。


「眠い……」


『人の世界と魔界とが繋がり、魔物が溢れるようになってからもうしばらく経つ。

 人の世界では一時代に六人、人類側に特別な存在が生まれる。

 中でも、この時代の六人は歴代最高と言われていた。

 特に【勇者】は他の五人に鍛えられることで、後にも先にも彼より強い存在は生まれないと断言されるほど、優秀だった。

 人類を魔物の脅威から救うことを期待された、その【勇者】がなんで――』


 俺は壁に立て掛けている両刃の剣に目を向ける。


「二度寝、キメるか。なぁ聖剣、ちょっと静かにしてくれる?」


 五歳の頃から持たされているので、なんだかんだ十年近い付き合いのある――意思ある聖剣だ。

 先程からぼそぼそと喋っているのも、こいつである。


 剣に性別があるかは分からないが、勝ち気そうな女の子っぽい声と喋り方をする。


『なんで……なんで勇者が……――魔王軍の食客ヒモになってるのよ……!!』


 何度目かも分からないくらい、ここ最近の彼女は同じような不満ばかり漏らしている。

 だから俺も、お決まりの返事をするのだ。


「いや……だってこっちの方が待遇いいし」


 それはとても大事なことだと思うのだ。


 ◇


 ここ最近、俺の生活はガラリと変わった。


 まず、朝目覚めるのはふかふかのベッドの上。

 意味はよく分からないが天蓋付きだ。


 世界中を転々とし野宿も珍しくなかった俺にとって、毎日ここで眠れるというのは奇跡みたいなものだった。当たり前だが、寝心地が断然違う。


「お目覚めですか、勇者さま」


 睡魔に誘われるまま二度寝に突入しようとしていた意識が、現実に引き戻される。


「……うん、今起きたよ」


 そう言うと、扉が控えめに開かれ、黒髪のメイドが入ってくる。

 年の頃は、俺とそう変わらないように見える。


 勇者と同じ髪色ということで、接する時に違和感も少ないだろうと選ばれたらしい。

 確かに魔族には、人族に見られない姿や髪色の者が多い。


 側頭部から左右対照に角が生えている以外は人とそう変わらないメイドは、勇者の世話を任せるのに最適なのかもしれない。

 彼女のような者を、魔人という。


 ……俺は気にしないけどなぁ。


 とはいえ、今のメイドに不満があるわけではないので、受け入れていた。

 艶めいた黒の長髪に、キリッとした顔ながらよく微笑むので冷たい印象はなく、細身だが力持ちで、仕事がとんでもなく早い。

 美人、というのだろう。


 極力他者と関わりを持たないよう教育、、された勇者にも、美的感覚なるものはあった。


「おはよう、フェリス」


 寝ぼけ眼をこすり、欠伸を漏らす。


「おはようございます、勇者さま。聖剣ミカさまも」


 フェリスと呼ばれたメイドは慈しみの滲んだ微笑を浮かべて応えた。

 ミカというのは、この聖剣に宿る意思の愛称的なものらしい。ここに来るまではずっと聖剣と呼んでいたので、知らなかった。


 聖剣は『ふんっ』と鼻を鳴らすような声を出す。

 鼻、無いくせに。そもそも口もないが。


 さて、フェリスは非常に優秀なメイドだが、ただ一点、呼び方だけは直らない。


「その勇者さまってやつ、せめて『さま』をとってくれない?」


 そう言うと、彼女は決まって困ったように笑うのだった。


「朝食のご用意が出来ております。本日は、勇者さまのご希望通り――パンケーキとなります」


「え!? ほんとか!?」


 俺はベッドから飛び起き、瞳を輝かせる。

 その様子を微笑ましげに眺めながら、フェリスは頷いた。


「はい。ふわふわの生地を五枚重ね、たっぷりの蜜を垂らし、味の異なる氷菓を二種載せました。周囲には酸味のある果実も散りばめられています」


 口の中で唾液が分泌される。


 五歳で【勇者】の紋章が右手の甲に出現してすぐ、孤児院から連れ出され、他の五英雄からの厳しい鍛錬を課された。

 その中には人類に害を及ぼす魔族との戦闘も含まれ、討伐任務に投入されたことも一度や二度ではない。


 五人を越える万能にして最強の英雄とすべく、勇者の俺は厳しく鍛えられた。

 いわゆる子供らしい生活とは無縁で、甘味なんてものはロクに口にしたことがない。


 だというのに、この魔王城では――栄養への配慮などはあるものの――基本的には食べたいと言ったものが用意される。

 少年にとって魔王城は、人類の宿敵の居城ではなく、天国も同然だった。


「早く行こう!」


「ふふ、勇者さまったら。まずはお召し物を変えませんと」


 俺は与えられるままにパジャマなる衣装を着ていた。


 睡眠中は最も隙が大きくなるので、微かな気配でも意識を覚醒させる能力は必須と習った。

 最初、寝る為だけの防御性能ゼロな衣装というのは意味が分からなかったが、着てみるとこれが中々着心地がよいのだ。


 当初は警戒もしたものだが、この魔王城にいる者達には驚くほどに敵意がない。

 そのあたりの説明も一度受けたが――。


「氷菓が溶けちゃうんじゃないか!?」


「勇者さまがいつ起きてこられてもすぐに召し上がれるよう、時空属性でパンケーキの時を止めておりますので、ご安心を」


 時空属性といえば人類には二人しか遣い手のいない貴重にして強力な属性だったが、俺はそんなことよりも「そんな使い方があったか! 考えたやつ天才だな」と感心するだけだった。


 俺も使えるので、今度やってみるのもいいかもしれない。

 魔獣の動きを止めてその間に討伐するなど戦闘面でも役立つが、保温にも使えるとは。


 俺にとって魔法とは敵を倒す手段でしかなかったので、割と本気で感銘を受ける。

 しかし時空属性は魔力消費が半端ではないので、あんまり使いたくない属性だったりする。

 パンケーキの時を止めてくれた人が疲れて倒れる前に、食堂に向かった方がいいだろう。


 そんなこんながありながらフェリスに手伝ってもらい、着替えを済ませてすぐ食堂へ急ぐ。


『ちょっとレイン! あたしを置いてくとか正気!? ここは敵地なのよ!?』


 なんだか慌てた声を出す聖剣を置いて、部屋を出た。

 しばらく歩いて、到着。


 十数人は一緒に食事が出来そうな、大きなテーブルだ。

 用意されている椅子は二脚のみで、長方形の短い辺側に用意されている。

 その片方には、既に腰掛ける者がいた。


「エレノア……! おはよう」


 俺はその女性を見て、自然と笑顔になった。


「うっ……!」


 エレノアと呼ばれた白銀の髪の魔人は、頬を染めながら胸を押さえる。


「大丈夫か……!? ま、また胸が痛むのか?」


 エレノアは俺にとって恩人であり、魔王軍でもかなりの地位にいるようなのだが、どういうわけか俺といるとよく胸の痛みに襲われるらしいのだ。


「い、いえご心配には及びません。ただ……レインさまの笑顔があまりに魅力的だったものですから」


「そ、そうかー……」


 レイン、というのが俺の名前だ。

 赤子の時、雨の日に捨てられていたことで、孤児院ではそう呼ばれていた。


 まぁそんなことはどうでもいい。

 エレノアのおかげで今の生活があるので、俺は彼女にとても感謝している。


 ただ自分といると今のように胸を押さえたりする他、膝から崩れ落ちたり鼻血やよだれを垂らしたり、「尊い」とか呟いたり果ては気絶することもあるので、ちょっと心配だった。


 それを除けば、美しく心優しく胸が大きくて色々柔らかくて、あとは――とても強い魔人なのだが。


「仕事は終わったのか?」


「はい。なんとか早朝に戻って来れたので、レインさまと朝食を共にしてから休もうかと思ったのです」


「それなら起こしてくれればよかったのに」


「わ、わたしがレインさまを起こす……眠っているレインさまのご尊顔を拝する栄誉を賜われる……? な、何と引き換えにすればそんな夢のような権利が得られるのですか……!?」


 他の五人の英雄の方針で、一応最低限の教育は受けている……筈だ。

 というのも、教師も英雄の五人が担当したので、普通の教育なるものがどんなものなのか俺にはよく分かっていない。


 他者との不必要な接触とやらは禁じられていたし。

 だからだろうか、エレノアの言っていることはたまによく分からない。


「??? べ、別に普通に入ってくれば?」


 エレノアの体からスッと力が抜けたかと思うと、椅子から落ちてしまう。

 それを受け止めたのはフェリスだった。

 フェリスは、戦場で命を落とした兵士を看取った軍医のように、微かに首を揺する。


「……エレノアさまは、気絶しております」


「な、なんで?」


「エレノアさまには、刺激の強すぎるシチュエーションだったのでしょう。どうか勇者さま、ご自身が食客だからと気を遣うことはなきようお願いします。我々は勇者さまが幸福であれば、それだけで満足なのですから」


 フェリスはそう言って微笑むと、エレノアを抱えて食堂を去る。


 少しして、パンケーキが運ばれてきた。

 エレノアは心配だが、彼女はすぐ気絶するだけで復帰も早いと俺は最近知った。


 折角俺のために用意してくれたものを放っておくというのも、失礼だろう。

 ドキドキしながらパンケーキを口に入れ、落雷に打たれたような衝撃を受ける。

 落雷に打たれると痺れて熱くて痛いだけだが、パンケーキはふわふわで温かくて甘い。


「美味い……!」


 エレノアの分もあるらしいので、後で持っていってあげよう。

 こんなに美味しいものを食べられないなんてもったいない。


 どうすれば気絶させずに済むか考えながら、俺は彼女と出逢った日のことを思い出していた。


 つまり、自分が人類を裏切ることを決めた日のことを。



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