第23話 疾走

 ゴーレムが作り出す木々は、パステシュの街と東の森との間に連なっている。上空からは、緑色の蟻の行列が二つの間をつないでいるように見えるだろう。ただし、その蟻は人ほども大きい。


「もうこんなに……」

 ふたたび壁の上に立ったラビオリがつぶやいた。一時間ほど前に見た時にゴーレムたちが邁進していたその場所には、青々とした木々が茂っている。


「信じがたいだろうが、これがエルフの魔法だ。本来なら何十年もかかる木々の生長をたった数時間にする」

 セージの語り口はなぜか自慢げだった。


「どうやって、樫の宮殿まで行くんですか?」

 マリネは自警団とゴーレムたちの戦いの音が聞えてくるのが気になるようで、そわそわしている。一刻も早く事態を解決しなければ、と焦っているようだ。


「場所はグリエが知ってる。こいつが案内するから、ラビオリが疾走術でそこまで運ぶ。5分もかからないはずだ」

「はいぃ?」

 セージの指名を受けて、ラビオリが不信感も露わに声を上げる。


「できませんわ、そんなこと。疾走術はわたくしの体に影響を及ぼす術ですから、他の人を一緒に走らせるなんて」

「走らせるんじゃない、運ぶんだ。こいつらはお前の荷物だと考えろ。疾走術を使って、ものを運んだことくらいあるだろ」

 セージは三人の頭の高さよりも少しだけ高いところに浮いている。ラビオリはグリエとマリネよりも背が高いから、いつもより少し気合いを入れて浮く必要があった。


「生身のしっぽ族を運ぶのとはぜんぜん違いますわ」

「俺ならできた。あらゆる魔法を究めていたからな」

 元エルフは自信満々に告げた。その態度が、ラビオリの反応をかたくなにさせる。


「エルフの王だったかなんだか知りませんけど、偉そうに命令ばかり!」

 怒りに顔を紅潮させて、ラビオリが腕を振り上げ……ようとしたところで、その腕にグリエが飛びついて止める。


「ごめん、ラビオリ。セージを許してあげて」

「ど、どうしてグリエさんが謝りますの……」

 急な接近に驚き、戸惑うラビオリの声が急にか細くなっていく。


「セージはこういう風にしか人と接することができないの」

「お前な」

 保護者ぶったグリエの言いように、妖精の眉がぴくりと震えた。


「でも、セージができるっていうなら、きっとラビオリにはできるはずだよ」

 じっ。グリエはラビオリを見つめている。


「しかし……」

「それに、すぐに樫の宮殿に行かなきゃ」

 じーっ。グリエはラビオリを見つめている。


「でも……」

「お願いラビオリ、力を貸して」

 じーーーーーーっ。グリエはラビオリを見つめている。


「ああもう、わかりました!」

 さすがの圧に耐えきれず、ラビオリは叫んだ。


「わたくしが戦場から離れたら、間違いなく被害は拡大します。必ず元凶を絶っていただかなくては困りますわ」

「もちろんだ。俺とグリエだけがやつを止められる。マリネにも手伝ってもらうけどな」


「三人分運ぶのは大変だと思いますけど……」

 そっと、マリネがラビオリの腕を握る。グリエとは反対側だ。


「お前のぶんまで戦ってくれるはずだ。見ろ」

 顔の高さに浮かんだセージが指さす方に視線を向ける。自警団員らがゴーレムと戦っているところへ、別のギルドの職工たちが追いついていた。


「火を使えばこいつらは倒せる!」

「合図で灯油を投げるから、それに合わせて下がってくれ!」

「松明用意ーっ!」


 もうもうと煙を上げる松明を掲げたしっぽ族がずらりと並び、武器を構えた自警団の後ろで攻撃体勢を整えている。侵略してくる森に火をつけて、その進みを妨害する作戦なのだろう。


 ヘタをすると街中に火の手が広がりかねないが、また別の区画では、森に侵略される前の建物を崩し始めているのもわかった。森に浸食されている場所から燃え移らないようにだろう。

 せわしなく怒号じみたかけ声が交わされ、慣れないながらも必死に戦おうとしていた。それぞれのやり方で。


「確かに、あまり長引かせるわけにはいきませんわね……」

 炎を使ってゴーレムの攻撃を止めることができても、それは一時的なものだろう。再び森がひろがり始めれば、炎で撃退するよりも早く街を飲み込んでしまう。

 原因を取り除かなければ、陽が沈むまでにパステシュは終わりだ。


「よく聞け。疾走術は体を速く、そして軽くする。ラビオリは慣れているが、二人にとっては初めての体験だ。徐々に速度をあげていけ。森のなかではぶつかったり、転んだりしないように注意しろ。命に関わる」

 ラビオリの頭の上に登り、栗色の髪につかまりながら妖精がいう。


「何を当たり前のようにわたくしに乗っかってるんですの」

「走るときに一番邪魔になりにくいだろ」

 服のポケットに入ったりしたら、落とした時に取り返しがきかない。体重の軽い妖精にとっては、髪につかまっているのが一番安全なのだ。


「あたしのほうが少しだけマリネより軽いから、あたしが持っててあげようか?」

 と、グリエが実を乗り出す。


「ボクのほうが軽いよ、絶対。グリエは骨が太そうだし」

「そんなことないよ、発火でエネルギー使ってるし!」

「わたくしを挟んでケンカをするのはおやめなさい」

 くだらなくも口論しはじめるグリエとマリネの様子に、ラビオリは大きく溜息をついた。


「言い争っている時間が惜しいですわ。とにかく、全力を尽くします」

「よし、その意気だ」

 頭の上の妖精は断りもなく髪をつかんできているが、それに文句を言うのもやめることにした。左にグリエを、右にマリネを……二人の腕に自分の腕をからませるようにしてしっかりと手を握る。


(これは……なかなか……刺激的なような……!)

 微妙に感触の違う掌と腕を感じながら、ラビオリは自分を落ち着かせるためおおきく息を吸った。


「緊張しないで。ラビオリならきっとできる」

 そういう意味で緊張しているわけではないのだが、グリエに勇気づけられるのは気分がいい。すっかり指輪を盗られたことなど頭の中から消え去っている。


「行きますわよ」

 そっと壁の上に立って、タイミングを合わせ……とん、と壁を蹴って飛んだ。


 ゴーレムと森が連なっている場所から20歩ほどの距離を空けて、ふたりの手を引きながら着地する。着地と同時に、ラビオリは前傾して走り出した。


「ひゃ……」

 悲鳴のような驚きのような、そんな声がグリエの方から聞こえてくる。グリエの体感覚ではまだ壁からジャンプして飛び降りている時間なのだが、ラビオリはすでに十歩以上も走っていた。


「口を閉じていなさい」

 左右の二人のしっぽ族が、地面に足を着けるよりも早く前に進み続ける……布をたなびかせるように、ラビオリは走っていた。


「う、わ、わ、すごい……!」

 右のマリネが驚嘆の声を上げる。見たこともない速度で体が運ばれている。すぐそばの木々があっという間に後ろに流れていく。強い風に体を飛ばされてしまいそうで、ラビオリの腕にしっかりとしがみついた。


「自分の体だけじゃなくて、二人にも魔力がいきわたるようにイメージしろ。もっと軽くなるはずだ」

 偉そうに言う妖精を指ではじいてやりたいが、両手がふさがっていてはできるはずがない。


「荷物を運ぶときと同じように、でしたわね」

 ふたりが自分のものになっていると考えると、少々気分がいい。グリエが体を任せているのを感じる。マリネも、信頼して体を預けてくれている。走るときに両腕を振らないようにするのは少し疲れる。でも、二人の体を支える腕もだんだん軽くなり始めていた。


 森までたどり着くには、ゴーレムたちが作る木々の列をたどればいい。彼女らの存在に気づいたゴーレムたちが列から飛び出して捕まえようとするが、とうてい速度に追いつくことはできない。


 やがて、東の森が見えてきた。木々の間にもゴーレムがうごめいているのがわかった。すでに、森全体に一定の魔力が漂っている……エルフの術によるものだろう。


「まっすぐ走って。あたしが目印をつけた木があるから、そこを右に」

 ほとんどしがみついた状態のグリエにうなずき、ラビオリはその手をしっかりと握り返した。


「一気に行きますわよ!」

 草や根に足を取られないよう、グリエやマリネを木にぶつけないよう、二重の注意を持って走る。転ぶことは大した問題ではない。疾走術は三人の体を羽のように軽くしている。多少なら、体勢が崩れても、地面に激突する前に立て直せる。

 だが、猛スピードで立木にぶつかるのは……自分の体ならともかく、持ち上げているふたりの体を守れる保証はなかった。


 それでも、ラビオリの心は体よりなお軽い。

(こんなことまでできるなんて……)

 ラビオリにとって、自分と競い合う相手はもはやいない。だから、自分の限界を超えることは、喜びでもあり、驚きでもあった。


 走り始めてから数分、前進に魔力が充実していた。一歩地面を蹴るたびに、人びとを守るための行いだという実感がわいてくる。グリエとマリネの存在をとても近くに感じて、彼女らが自分を頼り、信じていることが分かった。頭の上の妖精のことはほとんど忘れていた。


 やがて、いくつもの木々を潜り抜けた先に、黒々とした大木が絡み合って巨大な建造物が見えてきた。


 樫の宮殿へたどり着いたのだ。

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