第6話 笑上戸な彼女



「くそったれぇ⁉︎ いつまで追ってきやがる!!」


「いつまでって……すぐ遊びが終わったらつまらないじゃない。もう少し楽しみましょう? ゆっくり、しっぽりとね」


 幸彦は、入り組んだ路地をさっきから駆け回っていた。ジグザグに進んでいるはずなのに、保奈美は常に一定のスピードで距離を詰めてくる。


(これでどうだ!)


 幸彦は、こし装着そうちゃくされたスローイングナイフを三本ヤケクソ気味に投げる。


 彼女の正中線めがけたそれはまっすぐ進んでいくと――


「コースが少し安直かしら。殺気でバレバレよ? そんなんじゃ私はやれないわぁ」


 背中の鉤爪で、全てコンクリートに叩き落とされるのだった。


「まぁ、そろそろ勝負を決めましょうか」


 すると、彼女はいきなりスピードを上げると幸彦の背中に指をかすらせる。


「あっぶねぇ! クッソォォォォォ! もぅ、なんなんだよぉぉぉぉーー!! 俺を一人にしてくれよぉーーー!!」


 そうして彼は、考える間もなく彼女に誘導ゆうどうされていくのだった。



「うぉぉぉぉぉ! 近づくな! それ以上近づくな! ちくしょう! 俺はまだまだ逃げられるんだ! こんな呆気なく捕まってたまるかぁ!!」


 彼はしきりに黒縁くろぶちのメガネを人差し指で持ち上げる。不安を押しつぶすように押し込まれたそれは、彼の鼻にうっすら赤く跡を付けていた。

 

「ふんふんふーん、ふんふふふーん、ふふふふふーん。とうちゃーく。ふふふ」


 恐怖の象徴の恋人は、ご丁寧にスキップをしながら鼻歌まじりに角を曲がってくる。


 保奈美は唯一の逃げ道を塞ぐように立ち塞がるのだった。そして幸彦に向かって甘い誘惑ゆうわくをする。


「中々楽しかったわ。もう帰って来なさいな。私と二人でとろけあいましょう?」 


 保奈美は裏路地に逃げ出していた幸彦を見事に追いつめていた。ものの数分足らずで。


「くそ! くそ! くそ! くそ! なんで、読み取った思考と正反対の動きしてんだよ。お前やっぱり変! 絶対変!」


「そんなめないでちょうだい。照れくさいわぁ。ふふふ、でも楽しかったわよ。久々に血がたぎったわ。かかった時間は四分……やっぱり幸彦君は凄いわね。私からここまで逃げるなんて、貴方が同学年で初めてよ」


「いやみかよ。人を散々追いかけ回しておいて」

 

 幸彦は、さとりなので心が読める。それは複数の場合ならいざ知らず、タイマンでは圧倒的アドバンテージを誇っているはずだった。

 故に幸彦に一人で闘いを挑む奴はいないはずだった。彼女をのぞいて。


「もうあきらめたら? 貴方の術はこんな近くなら発動前に止められるわ。とびぬけた妖気で身体強化を私と同じ倍率にしているようだけど、遠距離タイプと近距離タイプじゃもう勝負は決まったようなものよ」


「お前だって、俺の妖気を最大限に込めた一撃防げねぇだろ。一緒だ」


 一度授業で見たことがある保奈美の身体強化も含めた防御力。

 それは幸彦が体にまとえる妖気でギリギリ突破可能であった。故にゆえ幸彦は強気に保奈美に向かっていく。


「それはどうかしら? 私には他の妖怪とは違ってコレが有るんですもの。バカみたいに妖気込めても身体強化はせいぜい三倍が限界なんでしょう? その程度で私のコレを破壊して、すきを付けると思う?」


 彼女の背中から禍々まがまがしい黒色のあしが羽のように飛び出る。それは幸彦を散々苦しめた忌々いまいましい代物だった。


「お前、本当いい性格してるよ。お前みたいな女、今まで一人しか会ったことがねぇ」


「あら、ドッペルゲンガーかしら。あの種族は底意地が悪いからね。貴方も私と間違えてだまされたら駄目よ。幸彦君ホイホイ付いていきそうだから」


 保奈美はまるで他人ごとのように幸彦の発言を受け流す。

 その時、幸彦の能力が彼女の意識が完全に外れたことを認識した。


「お前も大概底意地悪いぜ!! 性格出直してこい!!」


「――!!」


 幸彦は保奈美に向かって腰を低く屈め走り出す。それは彼女が弛緩しかんした瞬間を狙って穿うがたれる最高の不意打ちだった。

 彼女も咄嗟とっさに動こうとするがもはや手遅れだ。幸彦は眼前に迫っており回避が間に合う距離ではなかった。


「その背中から生えてる脚、貰ってくぜ!!」


「くっ⁉︎」


 保奈美は迎撃のために四本の脚で幸彦目掛け襲いかかる。しかし、その反応は幸彦には読めていた。


「オラァ!!」


 幸彦は体を覆っている全ての妖気を、手に持っているナイフに込め、彼女の防衛手段の要である四本の脚を叩っ斬るのであった。


「しまっ⁉︎」


「おせぇ!!」


 脚を叩き切った、流れるように幸彦は保奈美の目に向かってナイフを突き刺す。

 それは保奈美の咄嗟に回避する癖も読んだ、不可避の一撃だった。タイミングも完璧である。

 もはやかわそうとしても幸彦の刃は、保奈美を確実に戦闘不能にするはずだった。


(はーはっはっはっははっは!! その命討ち取ったり!!!! 俺は自由だぁぁぁぁぁぁあぁ!! 俺は本当に自由だぁぁぁぁぁ!! あーはっはっはっはっはっはっは……はっはっははぁっはぁっはぁっはぁっは!!)


 心の中で高笑いがいつまでも止まらない。ここまで完璧に止まると、とても気持ちよかった。もはや自分の勝利は揺るぎようがない。


「とりゃ! 真剣白刃取り〜〜!」



 しかし、その刃は彼女の琥珀こはく色の瞳に一切のダメージを与えることなく、空中で止まる。



「はっはっはっはっはっはっは……? はぇぇ……? なんで、なんで止まってんだ? なんでなんでなんでなんでなんでなんで!! なんでなんでなんでなんでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 嘘だろう⁉︎ 嘘だろう⁉︎ くそ!!」


 彼女は避けるでもなく受け止めるでもなかった。

 あろうことか左手の人差し指と中指の二本の指でナイフの刃を挟んだのである。俗に言う真剣白刃取りで。


 脳が現実の光景を受け止められず、パニックを起こす。冷や汗が止まらず、幸彦は両手でナイフを引き抜こうと必死にもがいた。

 にも関わらず、ナイフは万力のように彼女の指で押さえつけられており、ぴくりとも動かない。


 その時の幸彦の表情はそれはそれは滑稽こっけいだったのだろう。

 保奈美はそのあわれでみじめな姿に耐えられず、ダムが決壊したかのように笑い出した。


「あはははは! 狼狽うろたえすぎよ。幸彦君。私の身体強化を舐めないでくれる? でも本気出して止めたのいつぶりかしら。殺ったと思った? ドヤ顔が凄かったもんね。はぁ〜〜……笑いすぎてお腹とっても痛いわぁ」


「ふざけるんじゃねぇ! 刃を指でさらっと掴むな! その指をさっさと離せ!」


「やーよ。離したら貴方後ろに逃げちゃうじゃない。それにこんな分かりやすい隙に引っかかっちゃうのは駄目よ。狙いは良かったけどね。ふふふ」


 そして保奈美は空いている片方の手で幸彦の袖を掴もうとした。

 仕方なく幸彦は最後の武器を捨てる。それは賢明けんめいな判断だったのだろう。彼女に掴まれた袖口はビリビリと引き裂かれていた。


「危ねぇ! それはそうとナイフ早く返せよ。それ高かったんだぞ!」


「高いってどれくらい? 教えてくれる?」


 すると幸彦はジェスチャーで親指を上げた後、手を開く。それを見た保奈美はにっこりと笑うと、あろうことか幸彦から奪っうばたナイフをへし折った。


「あぁーーーーー⁉︎ お前なんて事を!!」


「百万もしない武器なんて大したものじゃないわ。後でいいナイフをプレゼントしてあげるからそれを使いなさいな。コレ幸彦君の特性に合ってないから」


 彼女は水あめでも弄るように、刃をぐるぐると折り曲げていき、路上にナイフだった物を放り捨てるのだった。


「このブルジョアがあ!!」


 幸彦は、お気に入りの武器を壊された怒りで彼女に殴りかかる。それを見た保奈美は不敵な笑みで迎え撃つのだった。


「貴方も将来そうなるのよ。今のうちに金銭感覚を壊しておきなさい。貧乏性は損よ」


「うっせぇ! 覚悟しろよ!! 保奈美!」


「聞き分けのない妖怪だこと。たっぷり調教してあげないと」


 幸彦は意気揚々いきようようと保奈美に向かって突撃する。そして物凄い勢いで頭から地面に激突するのだった。


「ぶっ⁉︎ なんだ……一体」


 幸彦は訳が分からず、足に引っ掛けたものを見る。それは銀色に輝く、保奈美に壊されたナイフだったものだ。


「ごめんなさい。もっと、ぷふふ、もっと遠くに投げてれば……ころ、転ばなったのだから、私が悪いわ。ほん、本当にごめんなさい」


 その一部始終を見ていた保奈美は、ペコリと深い謝罪をする。

 しかし、それは笑いを堪えるものでもあったようだ。彼女は激しく肩と唇をふるわせる。


「そっ……そんな奇跡的なことってある? 捨てたナイフに転ぶって普通、ないわ。ぷふ、くっ……くくく。あぁ笑ったらダメよ私。笑ったらダメ。耐えなきゃ。たっ耐えなきゃ……」


「何も見なかった。いいな」


 幸彦は無表情でズボンを叩く。その様子が彼女のツボにハマったらしい。保奈美は唾をそこら中にまき散らしながら激しく笑うのであった。


「ふふふ、ははは、あぁ笑ったら……ゴメン!! そんな、笑う、つもりないんだけど! やめて! 無表情でこっち見つめないで! やっぱ無理。あははははは!! あぁ幸彦君面白すぎ! 面白すぎて大好き! あははははは!!」


 幸彦はさっき放り捨てたナイフの残がいに引っかかって顔から転んだのだった。羞恥で一気に顔が沸とうしそうになる。

 保奈美は笑い上戸だったようだ。高らかに路上に響き渡る大音量で笑いまくる。


「まさか攻撃じゃなくて精神攻撃してくるとは……意外すぎてこれは読めないわよ。はっはっはっ……アはははははははははははははははは!! ひぃーひぃーひぃー……笑い死にそう。本当幸彦君といると退屈しないわ!! 毎日が楽しくて仕方がないんだもの!!」


「笑うなぁ!!」


 怒り狂った幸彦は彼女のあご渾身こんしんのスクリューアッパーを浴びせるのだった。

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