第5話 え?兄貴は失踪した途端、僕が身代わりなん?

 「へ?ど、どうゆうこと?なんなん?」

 博崇は、決して広くはない店内で繰り広げられるシュールな状況と、祖父の言葉との関連性が見いだせない。

 「健一さんが失踪された、ということですね」

 ハスキーで冷静な声が響いた。四つん這いのままで、黒髪の女性が眉間に皺を寄せて言った。

 「そうなんです。今朝から姿が見えず、健一の部屋に行くと書き置きが」

 雅勝は真剣な面持ちで、黒髪の女性に告げた。姿勢は相変わらず、映画のなかの西洋の騎士のように跪いたままだ。女王の方は四つん這いだが。

 「ええ~嘘やあ」

 博崇は思わず笑いだした。全く信じられなかった。祖父がボケた、としか思えなかった。

 「あんなに菓子が命!修行が人生!朝5時に起きられない弟なんか、生きてる価値なし!って言ってる人が、菓子屋を捨てて失踪なんかするあらへんわ~。冗談きっつう~。え?今日、エイプリールフールちゃうよな?もう5月やもんな」

 博崇はけたたましく笑った。ひとしきり笑った後に、店内の誰も笑わないことに気づいて、博崇は真顔になった。

 「え?ほんまなん?え?じゃ、この女の人は、健一……兄貴の彼女で怒鳴りこんで来はったん?そっちの女子高生は……女子高生も兄貴の彼女なん?え?みんな、兄貴が失踪したこと、知ってはんの?ぼくだけが知らんかったん?」

 矢継ぎ早に質問を繰り出す博崇を、祖父が制止した。

 「落ち着きなさい、お客様の前やで」

 (自分かって、さっき、全然落ち着いてへんかったやん)

 心の中で突っ込む博崇にはお構いなく、祖父は落ち着いている風を装って、女性二人の方に向かって頭を下げた。

 「岩根先生、申し訳ありません。うちの健一が、そちらの大学に菓子のことでご相談に上がっていたのは存じております。今日はお約束さしてもらってたんですやろか」

 「あ、そちらのお嬢さん、お見苦しいところをお見せしまして申し訳ありません。ほれ、博崇、助け起こしてさしあげなはれ。あ、どら焼きは、手前共で拾わしてもらいますさかい、お気にしはりませんように。あちらの椅子にかけてお待ち―――博崇、椅子と卓を直しなはれ!」

 雅勝は、先ほどの博崇を上回る矢継ぎ早さで、あちらこちらに顔を向けて言った。

 「あ、大丈夫です。どら焼き、拾いますよ」

 尻もちをついていた女子高生は、意外にも素早い身のこなしで立ち上がった。中肉中背、肩までの染めていない髪のボブスタイル、制服のスカート丈は膝、取り立てて特徴のない顔立ち―――どこからどう見ても、真面目そうで最も数の多い女子高生だった。博崇の派手な同級生たちの顔が、頭のなかをよぎっていく。それでも、女性に「ええカッコできる」機会を逃した博崇は、残念に思いながら手を引っ込めた。しかし、モテることだけを至上命題にしている博崇は、この程度ではひるまない。

 「お騒がせしており大変申し訳ありません。本日は、何をお求めでいらっしゃいますか?」

 小さな卓に案内した後、跪きながら、笑顔を向けた。毎日、鏡の前で特訓しているとびきりの笑顔だ。柔らかく甘い声で囁きかけるように話す。

 「え?えーっと」

 女子高生が、間近の博崇の顔にちょっと驚いたような顔をした後、はにかんだ。

 (よしよし、またぼくのカッコよさに夢中に……)

 「えーっと、あちらの男性にお話ししたいので待ちますので、結構です!」

 女子高生は元気にそう言い切って、雅勝の方に顔を向けてしまった。博崇の顔など全く振り返る気配は無い。

 (は……なんなん?今日は……なんなん?)

 博崇は、呆然としながら立ち上がり、奥に戻りかけた。

 「申し訳ありません。この弟の博崇にやらせますから、どうか、こき使っていただいて」

 祖父の雅勝は、いつのまにか黒ずくめの美女と話をつけていた。

 「へっ、ちょっ待って!何の話?!」

 


 

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