いけにえ

酒田青

 今日は祭りの日よ、と言われて、えーっと不満の声が出た。母はわたしをにらみつけ、何言っとる、神様に失礼やろ、と不機嫌な声を出す。でも、本当のところ、母は神様というよりは地域の目が怖いだけなのだ。

 山間にあるわたしの町では、満月の日に必ず祭りをする。と言っても打ち上げ花火はないし、神輿もないし、出店もない。ただ、わたしたちが踊る。笛と太鼓に合わせて、円になって、踊る。それだけで気が済む神様は、何て気の優しいひとなんだろう、と思ったりする。

 お姉ちゃん、どこかに行くと? 大人しくソファーで絵本を読んでいた一つ下の妹が不安げな声を出す。この子は、わたしにくっつくひっつき虫みたいな子で、鬱陶しくありつつも、守ってやらなければならない哀れでかわいい存在だった。

 毎月のやつよ、とわたしは唇を突き出して神経質にテレビのチャンネルを変えている母を横目に見ながら言う。踊るやつ。

 お姉ちゃん、おらんと? 今日わたし一人やと? 妹はなおも言い募る。わたしは面倒に思いながら、おばあちゃんがおるやんね、と返す。

 祖母はまだ七十歳で、この間まで祭りの中心的存在だったが、わたしが祭りの踊り手に選ばれてからは家に引っ込んで仏壇と神棚に祈ってばかりいる。毎日毎日熱心に祈るのはわたしが夜の山の中で踊るのが危険で不安なことに思うからだろうが、そこまでするものだろうか、と思ったりする。

 わたしが昔の数え方で十歳になったら終わりだ。つまり来年の旧暦の元旦になったらもう出なくていい。わたしは小学二年生で、そんなことは学校で教わらなかったが、地域の大人が当たり前のように子供たちの数え年を唱えるものだから、その仕組みを覚えてしまった。多分、他の数え年九歳の子もそうだ。

 おばあちゃんお念仏ばっか唱えてわたしに構ってくれんやんね、と妹は駄々をこねるようにこぶしにした両手を振る。わたしは、しょうがないやん、お母さんが行けって言うもん、と唇を突き出す。

 わたしだって行きたくないのだ。暗い山の中、数少ない同じ数え年九歳の子たちとぐるぐる踊るなんて、つまらないし、意味を見出せないし、くだらない。でも、母が行けと言うなら従うしかない。

 だって鈴本さんちの圭吾君も出るやんね。他の地区の子も全員出るって言うし。あんただけ出さんわけにはいかんやろ。母がいらいらしながら言った。これが本音だ。母は隣町から嫁いできたので、本当はこの祭りの主役である地域の神様のことなんてどうでもいいのだ。地域に馴染まなきゃ。そういう焦りを常に抱えている。この町は、特殊で奇妙だ。馴染むのはとても大変なのだ。

 お父さんもう行っとる? とわたしが訊くと、母はむっつりと、張り切って行っとるよ、と答える。父はねじり鉢巻きをして、法被を着て、竹の横笛を吹く役割を果たしに行ったのだ。くーだらない、とわたしは思う。こんな祭りなんてくーだらない。わたしは思春期に入るのにはまだまだ幼かったが、反抗心は立派に持っていた。


     *


 仏間から祖母の念仏が聞こえてきた。祭りの夜が始まったのだ。夕食を済ませたわたしは、母に連れられて外に歩き出した。もう五月の半ばを過ぎ、着せられた着物は暑苦しい。生ぬるい風が顔を撫で、満月を見上げるとらんらんとした目に見えた。大きな目。もう今年五回目の満月だ。満月は気味が悪い。子供に見せるべきじゃない。

 お姉ちゃん、はよう帰って来てね。妹がつやつやと潤った唇を撫でながらわたしに言う。普通なら母に言うものだろうが、妹は母よりもわたしのほうが好きらしかった。仕方がないな、とわたしはうなずき、九時には帰るけん大丈夫よ、と笑った。

 満月が照らすだけの県道を懐中電灯一つで足元を照らしながら歩いていると、左手の遠くのほうで明かりが煌々と輝いているのが見えた。土地の神様の神社で、大人の祭りをしているのだ。以前父に訊いたら、新しいお酒と榊の枝をお供えしているのだ、と言っていた。歌が朗々と聞こえる。アカペラで歌う、土地の歌。よその人が聴いたら不思議なメロディーに思えるだろうが、わたしは何とも思わない。むしろ自分でも歌える。熟練した大人の男性の歌声まではコピーできないけれど、歌詞とメロディーだけは。


  われらとちのたみみましあがめたてまつり

  みましわれらとちのたみえらびとられ

  みましわれらいれかわりたちかわりし

  みましのよにてわれらぜんにきょうさるる

  ありがたし

  ありがたし


 意味はわからない。ただ土地の子たちはみんな歌えた。いかに歌のおじさんに声を似せるかという遊びも流行った。

 わたしの父は子供の祭りの笛の担当で、土地の子供はみんなリコーダーでその真似もした。そのときばかりはひどく恥ずかしく、みんなを憎んだものだった。

 おおい、早く来い。山のてっぺんに向かう長い階段を上っていると、父がわたしと母を呼んだ。母はわたしの手をぐいっと引き、大慌てで階段を上がる。嫌だな、という気持ちが膨らんでいく。よし、よく来たな、と父は四角い顔を笑顔にしてわたしの頭をぐいぐい撫でる。お前はいい子だ。わたしは少しだけ誇らしくなる。

 父はわたしのことを宝物だと思っている。というか、そう言っていた。だからわたしは自分に自信がある。ジュンとは違うのだ。

 階段の先、山の頂上には小さな広場があり、真ん中で焚火が燃えていた。懐中電灯は消され、みんなの顔が焚火によってだけ赤く照らされている。木の燃える臭い、火に呼び寄せられる羽虫。大人たちはがやがやと準備をし、小さな和太鼓は三つ並んで紅白の縄が巻かれた棒に並べられ、着物を着せられた子供たちは所在なさげにしている。

 セツ、髪の毛乱れとるよ、と、女の子が声をかけてきた。隣の地区のジュンだ。ジュンはひどくおびえていた。暗闇が怖いのだそうだ。いつもびくびくしている子だけれど、今日は特別だった。父親に叩かれたのだろうか。

 ジュンはいつも父親に叩かれていた。母親はいなかった。ただわたしに懐いていて、わたしには何でも打ち明けた。わたしの髪の毛が乱れているというけれど、それはわたしに話しかけたいゆえの口実で、実際は前髪が風で揺らいでいただけだったし、ジュンの洗っていないようなべたべた脂光りする髪のほうが気になった。

 わたし、今日あんまり来たくなかったと、とジュンは言った。何で? と訊くと、彼女は、何か、怖い、と消え入りそうな声で答えた。

 おおい、早くしろ。子供たちは配置について。父がわたしたちを急かした。母がにらむので、わたしはジュンや他の子供たちと焚火を囲むように円を作った。焚火は、よく見れば何か呪文の書かれた紙が一緒に燃やされていて、何だろう、と思っていたら、大人たちの空気がピンと張り詰め、笛と太鼓の合図があったので慌ててポーズを取った。

 とん、とん、とととん、と三人のおじいさんが鳴らす太鼓が始まった。甲高い、横笛。父は目を広間の周りの藪に凝らすようにして笛を吹いていた。ゆっくりとしたテンポ。わたしたちは完璧とは言いがたい動きで踊る。両手を空に差し上げ、満月と目が合った。らんらんと光る。逸らして円の上を移動しながらくるりと回る。火が、ちろちろとわたしたちの顔を舐めるように光を投げかけた。

 隣のジュンの様子がおかしかった。ふ、ふ、と声を漏らしている。見れば泣いていた。わたしは声をかけたい気持ちに駆られたが、終わったあとでもいいと思って踊り続けた。

 その事態は、十分ほど踊り続けたころに起きた。ざざざざざ、という藪を進む音がした。野犬だろうか、と思って体がすくむ。それでも踊り続けていると、音は更に近づいてきた。心臓を素手で撫でられたような胸騒ぎがした。何かが、ジュンを掴んだ。手だ。小さな、わたしたちくらいの子供の手。ジュンはその手の存在や自分の動きに気がつかないというかのような悲しげな顔で、涙をこぼしながら、首根っこを掴まれ、引きずられていった。ざざざざざ。音が遠ざかっていく。

 気がつけば動きを止めていた。隣の子が回って移動してわたしにぶつかったときに、ようやく自分が踊っていないことに気づいた。ジュンが、と言おうとしたが、誰も気にしていなかった。ただわたしへの叱責の目が集まっているだけだ。

 大人しく、踊った。ジュンのことが頭から離れなかった。くるり、と回った瞬間、その不安は恐怖に変わった。

 隣でジュンが踊っていた。平然とした顔で。

 ジュンはさっきよりもよりうまく踊っていた。誰よりも、ガキ大将の圭吾よりも堂々としている。わたしは疑念でいっぱいになった。でも、大人も子供も変だとは思っていない。

 三十分に及ぶ祭りが終わり、大人たちが片づけをしている中、わたしはジュンを問い詰めた。さっき、どこ行っとったと? 藪の中に連れていかれたろ? 訊くと、ジュンは薄く笑い、あんた何言いよると? きもっ、と言って別の子のところに向かった。

 それからジュンは、わたしのところに来なくなった。

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