第7話  朧気の社

「大丈夫ですか?」


 高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)が心配そうに覗き込む。


「え、ええ…」


 普段なら慌てて顔をそらすところだが、ふと思い出したことで脳がいっぱいで、それどころではない。


「朧気(おぼろげ)って知っていますか?」


 さっき思い出したことは、おそらく僕の記憶ではない。もっと思い出そうと、記憶を探る。


 しかし、あれほど鮮明に思い出したにも関わらず、思い出そうとすればするほど、記憶は靄にかかったように引っ込んでしまう。


「朧気?」


「はい」


「聞いたことがありますよ。確か、天山のとある祠に祀られていた土地神だったと、それが?」


 どうしてその事をといった具合に、彼女はこちらを見る。


「実は朧気の記憶があるんです」


「…朧気の?」


 高良玉垂命は目を見開く。


「ええ、あの妖怪は朧気という名かと」

「…私が聞いた噂では、朧気は聡明で美しく、貴賓溢れる男神だと聞いています。あのような身なりでは…」


 少しあの妖怪の容姿を思い出してみる。黒装束に身を包んでいて、紙の面をしていた。


 そこまで思い出したときに、あの妖怪の姿をよく見ていなかったんだと気づいた。


「貴賓溢れるって感じではなかったですね」


「でしたら、朧気の社に行ってみましょう?」


「行くと言っても、天山まではかなり距離がありますよ?」


 高良玉垂命は少し微笑み、こちらに振り向く。


「私は神様ですよ?」


 嬉しそうにそう言うと、突然僕の手を繋ぐ。


「え?」


ーー ーー ーー


「何を…」


 言葉を続けようとしてが、言葉が途中で喉につっかえる。


 辺りを見回す。


 一瞬前までの風景は掻き消え、知らない風景が広がっていた。とりあえず、何処かの神社の境内であることは分かる。後ろに拝殿があるからだ。比較的新しい神社なのか、壁は小麦色に塗りあげられている。


「綺麗な神社…」


 思わずそう口にする。山の開けた丘に建てられ、背後にはダム湖があるため心地よい風が吹いている。


「そう言われると嬉しいですね。ですけど、この神社は元々、ダムで沈んでしまった土地にあった神社なんですよ」


「え?といことは…」


「この土地に元々あったわけではないんです」

「それは……」


 なんと声をかければ良いのだろう。残念ですね、お気の毒、様々な言葉が脳裏を飛び交う。


 軽々しく言葉をかければ、なんとなく彼女を傷つける気がした。


「ここの主祭神は淀姫なのですよ」


 彼女は気を取り直したように言う。


「淀姫…すみません、知らないです…」


「そうですよね。最近は豊玉姫や乙姫と同一視されているけど。ここらの地域の土着の神なのですよ」


「ん、淀姫が主祭神と言うことは…?」


「ええ、私は末社に祭られているだけですよ」


 高良玉垂命は隅にある社を指差す。


 この社も小麦色に塗りあげられ、建てられてからあまり時間が経っていないのがわかる。


「高良玉垂命さんのお社もダムに沈んでしまったんですね…」


「ええ、まあ、仕方ないことです。ダムも人の子にとってとても重要なものですから」


 高良玉垂命はダム湖の奥を見つめる。人ではない彼女にとって、それはどのように見えるのだろうか。


「…さあ、ここにいても仕方がありません。行きますよ!」


「行く…?」


「朧気のお社です!」


 高良玉垂命は元気良くそう言いきる。


 そう言えば、ここに来た理由を聞いていなかった。朧気のお社に行くと言うことは、ここは天山と言うことだ。


「はい、いきましょう!」


 高良玉垂命は頷くと、鳥居の方に向かう。慌てて背を追いかける。


 鳥居を抜けてすぐ、直角の方向に真新しい道が走っていた。樹木が周辺に生えていないいないため、とても見晴らしの良い道路だ。


「この道路もダムが出来てから出来たものなんです」


 高良玉垂命は道路の先を見つめる。


「さて、朧気の社までしばらく歩きますよ」


 そう言うと、すっと歩き始める。彼女の歩みは澱みない。その道は少し傾斜があり、上り坂になっていた。


 一歩踏み出す。


 それと同時に、誰かの記憶が流れ込んでくる。取り壊された社、人が消えた街、立ち尽くす私。


「…大丈夫ですか?」


 立ち止まったことを不審に思たのか、高良玉垂命が振り向きこちらを見る。


「いえ、大丈夫です」


 ぎこちなく笑顔を作り、足を進める。

 うまく笑顔を作れているか不安だ。頭の中は自分の記憶と他の記憶で混沌としていた。

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