第27話 ~本選編① 暑さによる股のムレは死活問題である~
「五十嵐……お前さっきから何してんの?」
俺から見ると、五十嵐は先ほどから周りをチラチラと伺いながら股間を服の上から擦っている。
新しい性癖でも生み出したのか?
頬を紅潮させながら、ギロッとこちらを睨みつける五十嵐。
「っせーな! そんなこと気にしてる暇あったら試合の戦法でも考えてろよっ!」
「それは珍しく正論だな」
また、周りをチラチラと伺いながら股を触る。
「ミス風音は、暑さによる股間のムレに苦しんでいるのですわ…」
「ストレートに言うなよ長谷川サン!?」
長谷川さんが乳を揺らしながらハァ、と顔を手で覆って歩いている。
五十嵐が長谷川さんの胸ぐらを掴む。
――俺たちは"福岡上陸作戦"を決行していた。
成田空港から福岡空港に飛んでいき、長いバス移動。
暑い日差しが俺たちを襲う中、ついに宿の近辺まで来て残りの道を歩いていた。
夏の九州はひたすら暑い。
半袖のTシャツが早くも汗でピッタリと肌に張り付いていた。
「夏のアソコのムレは死活問題だよねぇ……」
後ろを歩く輪島さんが、キャリーバッグを引き摺りながら苦笑を浮かべた。
なんで今ちょっとだけ股間触ったんだよ。気になってんじゃねーよ。
「しぬ……しぬ……」
「ソフィお前は1番楽してんだろーが!」
俺が引き摺るキャリーバッグの上にソフィがちょこんと座っていた。
鋭い日差しに目を細めながら、パタパタと顔を手で仰いでいる。
俺たちは普段室内で活動しているため、暑さや日差しへの耐性はあまりない。
一刻も早く宿にたどり着きクーラーで涼みたい。
「……………」
ついにインハイ本選が始まろうとしていた。
今年の開催地は福岡。
明日から日程がスタートするため、前日乗り込みでここに飛んできたわけだ。
インターハイは毎年開催地が変わる。そして首都圏ではなく地方開催もよくある。
「ソフィ、宿はもうすぐか?」
「んーと……あと5分くらい」
キャリーバッグの上で、ソフィがスマホで地図アプリを確認する。
なんたって宿がこんな僻地に……。
「あああああ、腹減った……」
「五十嵐、明日までの辛抱だ」
「水死ぬほどガブ飲みしたい!」
「水もガブ飲みはダメだ!」
「じゃあコーラ!!」
五十嵐は予選前の計量で設定体重ジャストでのクリアだった。
今回は少し厳しめに減量をさせている。普段のちょっとたるんだ腹を見る限り、減量とか得意じゃないんだろうなぁ。
ガラガラガラ……と5つのキャリーバッグ(2つは俺が持っているが)の車輪が転がる音だけが、自然豊かな道の上を鳴っていた。
「組み合わせを確認する」
いつかの合宿の時のような、広い和室。
畳からの香ばしい匂いが鼻を刺激した。
キャリーバッグやリュックが端に散らばるこの部屋の中央にあるテーブル。
俺は、その真ん中にトーナメント表を叩きつけた。
全員の顔がその1枚の紙にグッと寄る。
「午前中に早速、五十嵐の1回戦がある……相手は栃木、足利商業の3年生だ。強豪校ではなくインハイは初出場みたいだな。サウスポーでインファイトを得意とする、なにより回転力がある」
「なるほどね……」
「五十嵐、お前はどちらも対応できるが……どちらかといえばインファイトを主として戦うタイプだ。きっと、スピーディな打ち合いになるだろうから……追い込んだ時、追い込まれた時の対処を今日おさらいしよう。単純なボクシングの上手さならお前の方が格上のはずだ」
「オッケー」
五十嵐が自信ありげに大きく頷いた。
こいつは予選でずっと抱いていた雑念も晴れたはずだ、実力をもっと発揮したらインハイもある程度は勝ち進めるのではないだろうか。
とはいえ、こいつもまだ1年生。
インハイにはどんな化け物がいるかは分からない……油断禁物だ。
ええと、次は。
「長谷川さんは……昼過ぎに1回戦だ。午前中は輪島さんを付けるから一緒にアップをしていてほしい。ちなみに、相手は沖縄の強豪、南城学園の2年生だ。1年時から2年連続でインハイに出場しているみたいです」
「さようでございますか……」
「オーソドックスで、なかなかテクニカルなボクシングをする。パワーもそこそこある……去年のインハイはベスト8で優勝者に負けてますね」
「…………」
きっとこの試合は一筋縄にはいかない。
不安そうな長谷川さんの目を見て、俺も一抹の不安が頭を過る。
「だけど、長谷川さんのパワーはインハイ出場者の中でもきっとトップクラスだ……あのクロスカウンターを炸裂させれば相手もひとたまりもない」
「……ありがとうですわ」
長谷川さんが照れながらもはにかんだ。
柴田さんから学んだこと。
それは、選手のテンションを上げることだ。
これまでの俺は、状況説明や、選手のウィークポイントを指摘して修正指示をするのみだった。
自分は強い、その気持ちがないと打ち合いでは必ず気持ちが折れる。
褒めることや、自信を付けさせることも、きっと俺の大事な役目だ。
そう思うことにした。
「輪島さんは長谷川さん、ソフィは五十嵐に付いて、試合前の準備を手伝ってほしいです」
「了解だよ! 麗ちゃん、何でも言ってね!」
「エセギャル……まあ、しゃーなし手伝う」
二人が頷く。
「今日は市営の体育館を借りたので、軽く確認だけをして明日に備えましょう」
「あ、大橋くん!」
「なんですか?」
輪島さんが何かを思いついたかのように人差し指を立てて笑顔を浮かべた。
リュックからガサガサと何かを掘り出している。
「これ! 柴田さんからインハイ予選お疲れ様ってことで届いたんだ~!」
「ん……?」
「みんなで後で食べようね!」
茶色い箱がテーブルの上に置かれる。
チョコレート?
海外製か……。
……Contains brandy.
「天丼やめろ!」
「一粒だけなら……いいよね? 大橋くん」
「絶対にダメです」
「なあ大橋ィ! お願いだよ~、1粒だけ」
「お菓子は絶対ダメ」
「じゃあコーラ!!」
「お前最近それ好きだな」
涎を垂らす五十嵐と、羨ましそうにチョコレートを見つめる長谷川さん。
その横で、輪島さんとソフィがチョコレートを1粒ずつ取って食べ始める。
この人たち、意外と容赦ないことするんだね。
「青コーナー、神奈川、相楽高校……五十嵐選手」
「五十嵐、このインハイにスーパー1年生が現れたってこと、証明してやれ」
「任せろぃ」
俺は五十嵐の背中を強く叩いた。歯を見せた彼女が腕をブンブンと振り回してリングへ上がろうとする。
「あ、エセギャル……」
「あん?」
俺の隣でサポートをするソフィが、小さな声で彼女を呼び止めた。
「…………」
「おい、チビ。何もねーんだったら行くぞ」
「…………えと、その……ファイト」
「お、おう……さんきゅ」
何とも歯切れの悪い会話のあと、五十嵐は目を逸らして頬を少し赤く染めた。
ソフィも、目を合わせずにモジモジしている。
「まあ、チビに言われなくたってかましてやるよ!」
再び白い歯をニッと出すと、前を向きリングに足を掛ける。
そして、ちょっとだけ股間を触った。
「ムレてるんだな……」
頑張れ、五十嵐。
1ラウンド終盤。
案の定、相手は基本インファイトで戦おうと距離を詰めてくる。
五十嵐もインファイトで対応しているため、このラウンドは早くも打ち合いを展開していた。
「五十嵐! プレッシャーかけろ!」
「…………ッ!」
グッと相手を押し、少し相手が後ずさる。
その隙を狙ってさらにもう1歩踏み込み、左ボディ、右ストレートとクリーンヒット。
相手も負けじとジャブで五十嵐の動きを止め、ワンツーワンツーとシンプルに連続で打ち込む。
その攻撃は五十嵐のガード上を叩くのみだったが、五十嵐の連打は阻止されてしまう。
スピーディな攻防が繰り広げられていた。
やはり、インハイになると相手のボロがあまり出なくなってくる。
テクニックは誰しもが備えてる……そうなると精神論ではあるが「気持ち」の部分が重要になってくる。
飛び込むことは勿論、ボディブローを打つことや溜め打ちのストレートを放つことも本来恐怖感を伴う。
パンチが顔面に入るたびに、汗が飛沫となってリングに落ちる。
スピーディな打ち合いは無論だがスタミナ消費も激しい。
お互い、パンチが次第に大振りになってきた。
「五十嵐! チャンスだ!」
叫ぶ。
ガードの下で、五十嵐が相手を睨みつけながら頷いた。
追い込みを狙った相手の大振り気味な左ストレートが五十嵐を襲い掛かる。
脇が空く。五十嵐は瞬時に上体を屈め、左ストレートの下に潜り込む。
「シッ……!」
「!?」
屈めたまま、大きな溜めを作ってバネのように飛び上がる。
そのまま、左の拳をアッパーとフックの中間軌道で相手の顎へと突き刺した。
鋭いガゼル・パンチに相手の顎が上がる。
「止まるなッ! 終わらせられるぞ!」
上がった顎に、すかさず右アッパーで追い打ちをかける。
相手の左足が少し後ろに下がる。
その隙を狙って、コーナーまで連打を繰り返しプレッシャーをかけていく。
カウンターを少し顔面に浴びつつも、回り込ませず素早い連打を浴びせ続ける。
「うらぁぁぁッ!!」
声を上げながら、鬼気迫る顔でボディや顔面にパンチを叩きこむ。
ガードを固める相手の体がロープにバウンドした。
そのバウンドした体に、さらなる1発を――。
「ストップ!スト―――ップ!!」
刹那、レフェリーの体が2人の間に入り込み、ゴングが鳴り響いた。
1ラウンドTKO勝利。
上出来じゃねぇか。
ローブに寄りかかって項垂れる相手選手にセコンドが急いで駆け寄る。
レフェリーに腕を掲げられた五十嵐がグローブで股間を掻きながらリングサイドへ帰ってくる。
「降りるまで我慢できないのか?」
「お前、女の子の気持ち考えろよ」
「お前から女の子というワードが出てくるとはな」
「ローブローいるか?」
「ノーサンキュー」
会話のあと、お互いクスッと笑みを溢した。
五十嵐のヘッドギアとグローブを外し、開いた口からマウスピースを取り出す。
引いた唾液の糸が唇で途切れる。
ふーっ、と息を大きく吐いた彼女は颯爽と控室へと歩いていく。
「よくやったな、五十嵐」
「エセギャル、やるじゃん」
そのあとを、俺とソフィも追いかけて行った。
「準決勝まで絶対に負けられねーからよ」
振り向き様に、真剣な顔つきで呟いた。
そうか。
「お前の……因縁の相手が待ってるのか」
「おう……
「…………」
その名前は、俺も組み合わせ表を見て知っていた。
同ブロックにその名前は記されていた。
――
五十嵐が中学時代2度決勝で負け、1度ボクシングを挫折した理由。
その女が、東京代表としてこのインターハイに出場している。
「待ってろよ……あいつ……!」
五十嵐の目は、出会ってから最も燃えていた……と思う。
「風音ちゃん、おめでとう! 2回戦も頑張るんだよ~!」
「あら、よいスタートを切りましたわね! わたくしも頑張りますわ」
「あざす! 任せてくださいよ、長谷川サンは午後ファイトっす!」
控室にて、輪島さんと長谷川さんが拍手で五十嵐を迎えた。
ミットを持った輪島さんが、長谷川さんのウォーミングアップに付き合っているところだった。
長谷川さんが、拍手した手をそのまま股下へと下げ、1度遠慮がちに股間に触れた。
「いや、アンタもかよ」
「お恥ずかしい限りですわ……」
なんか違う病原菌とか発生してないよね、このボクシング部!?
俺は何もしてないよ!?
たしかに、暑さによる股のムレは死活問題だ。
「あーっ……マッパで行動したいくらいだぜ~」
「お前はちょっと違うだろ、理由が」
「わたしも……」
「ソフィ、お前はもう一生ケツ出すんじゃねーぞ」
「…………」
気を取り直して、次は長谷川さんの番だ。
1回戦の相手は強い。注意点を今一度確認しなければ。
「長谷川さん、お昼を食べながら作戦のこと色々話しあいましょう」
「承知ですわ」
リュックから弁当を出そうとした瞬間、長谷川さんが俺の耳に口を近づけた。
当たってる、当たってるよ、乳が!
「そういえば、ミスター拳弥」
「はい?」
「この前、騎乗位の練習をしてみたのですが……スパイダー……ってやつ、難しいですわ」
「なにしてんの!?」
え、てか練習って……。
「そんな練習誰と!?」
「1人ですわよ……野暮なことを聞かないでいただきたいのですわ」
「1人って……もしかしてディルーー」
「そういうのは直接言うものではありませんわ」
「練習場にAV持ってくる人が何言ってんだ……てかスパイダー騎乗位の話はいいんですよ」
なんとなく話に合わせられる自分が憎かった。
この人、本当に大丈夫かなぁ。
「その話は試合後にしましょう……弁当食べながらミーティングしますよ」
「もー……わかりましたわ、まずは頑張りますわ!」
「はい」
長谷川さんは、今日、ボクシングを好きになる。
彼女を奮い立たせる、そんな試合が始まろうとしていた――。
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