[1-8]企みの出どころは


 噂によるとアティスは幼少時代、豪商に奴隷として囲われていたという。

 現在ではだいぶ減ったが、当時は人をらって力をつけた魔族ジェマたちの支配力が強く、人族ひとを家畜か愛玩動物のように売買する行為が横行していた。獣人族ナーウェア鱗族シェルク翼族ザナリールなどの他種族だけでなく、外観や能力が珍しい魔族ジェマ――妖狐ようこなどの希少部族も狙われることが多かったらしい。

 他種族に人以下の扱いを強いるのも悪に違いないが、同じ魔族ジェマ同士でさえ差別的な扱いがあったという事実には、胸が悪くなる。


 アティスは蜥蜴王バジリスクという希少部族で、彼の美しい真紅の両目からはなんと、石化光線が出る。そのせいで幼少時に囚われの身となり、豪商の道楽で首輪と目隠しを付けられ展示コレクションされていた。

 人は、一部の感覚を遮断されると他の感覚が鋭敏になるという。元々の才能もあっただろうが、身体的にも情緒的にも拘束され圧迫され続けた少年アティスは、奴隷状態でも制限なく交流できる精霊たちと友情を育み深めていった。

 やがて状況が変化し自由を得た彼は、魔法関連の知識をむさぼるように蓄え、人脈を広げて、赫眼あかめという二つ名とともにティーヤ地区最上位へ上り詰めたのだという。


 奴隷からの成りあがり、などとさげすむ者は、ここシーセス国にはいない。政権が崩壊したのはとっくの昔で、同時に身分や階級などといった制度もぜんぶ崩壊したのだ。国家とも呼べない無法地帯で物申すつもりなら、力で周囲をくだすしかない。

 今やアティスは国内一の権力者であり、君主不在の国にあって一番王に近い存在だった。


 人喰いの魔族ジェマたちをも圧倒する魔法の才と人脈でティーヤ地区に君臨するアティスだが、普段は血のつながらない息子スイを溺愛する、優しくて物腰穏やかな優男だ。一応、父イーリィに聞かされて彼の出自を知っているものの、アサギは今まで彼を恐ろしいと感じたことはない。が、ここにきてはじめて、その片鱗を垣間見た気がした。

 宝石のような真紅の瞳が鋭さを増している。形のよい唇は引き結ばれていて、いつものやわらかな微笑みは失せていた。無言のまま真剣な表情でロウルの首輪を解体しているアティスからは、冷たい怒りがにじみ出ているようにも見える。

 時間にして半刻ほどだろうか。小さな金属音が響くと同時にアティスの肩が動いて、深いため息が彼の口から漏れていく。


「よし、ミスなく外せたよ。よかった、君の無垢むくな肌に傷など残らなくて」

「むくなはだ」

「念のため、帰ったらイリにてもらうといいかな。人身売買の件も調査と処理が済んだら、報告書の写しを診療所に送るね。……アサギ、もう大丈夫だよ」

「ありがとうございます、アティス様」


 アティス語録に解説は野暮だ。ロウルはしきりに首を傾げていたが、アサギが流して感謝を伝えればならうようにアティスへ向きあった。


「ありがとう、王さま。これなら、禁術の解析とかもできそう」

「うん? 禁術ってまた、いとけない小鳥ちゃんの口から聞くには物騒な話だね」

「ぼく、鳥じゃなくて竜だもん」


 アティスに悪気は、おそらくまったくないのだが、ロウルはからかわれたと思ったのだろう、ねたように唇をとがらせる。フォローしようにも、アティス語録に解説は野暮なのだ。というのは言い訳で、突っ込み所がアサギには触れにくい分野だというのが本音だった。

 朱翼を震わせてソファで悶絶もんぜつしていたスイが、ついに耐えかねたか、がばっと立ちあがる。バシバシと革張りソファの背を叩いて、甘い笑みを向けてくる父親に訴えた。


「父さん! だから、物騒なことになってるんだよ! ヴィヴィが大変なんだって!」

「翼バタバタさせるスイも可愛いらしいけど、本棚のほこりが舞うから落ち着こうね。一段落のついでにお茶のおかわりをれようかな」

「もう、お茶はいいからっ」


 しびれを切らしたスイが翼をばたつかせながら声をあげるので、アティスも観念したのだろう、苦笑しつつ向かい側に腰を下ろす。アサギはロウルに目配せして席を立った。

 魔道具マジックツールの解除には技術だけでなく、魔法力も必要だという。万が一にも反動を引き起こしてロウルを傷つけたりしないよう、アティスは集中をらして慎重に解除を行なってくれたのだ。彼が疲労しているのは本当だろう。


「僕がお茶いれます。スイ、アティス様に、父さんが書いた報告書を読んでもらうといいんじゃないかな」

「ありがとう、アサギ。君はイリに似てよく気配りができる優しい子だね。無愛想なイリと違って愛らしいし、本当にできた――、」

「父さん! これ報告書」


 滔々とうとうと語られるめ言葉はくすぐったいが、愛らしいは余計だ。とは思っても言えないけれど。スイが、突っ込む代わりに紙封筒をアティスの前に突きだす。中から数枚綴りの用紙を出して読みだしたのを見届けて、アサギはポットを手に取った。スイとアティスの会話を聞き流しながらお湯を沸かし、茶葉を準備して時間を待つ。

 新しいお茶を持ってアサギが戻った頃には、アティスがあらかた報告書を読み終え、状況の確認を済ませたところだった。


「なるほど。ヴィヴィに掛けられた呪いが精神操作のたぐいで、与えられた命令が『スイを殺せ』だとしても……妙に回りくどいやり方だね。あの子がスイに勝てるはずないし、スイも自分の命を差しだす子じゃない。俺の元には何の要求も届いていないし、嫌がらせにしては随分と独特マイナーだ」

「王さま、あの呪いにはたぶんだけど、いにしえの竜が関わってると思う」


 予想を巡らすアティスに、ロウルがそっと意見を挟む。真紅の瞳が視点を移し、ロウルを見た。


「いにしえの竜が? でも彼らは、人族を害せないんじゃなかったっけ」

「できないわけじゃないの。生命を加害しなければ、または、人族が使役することで、ギリギリの線を攻めることはできるよ」


 使役、という言葉に、背中がざわりとあわ立った。

 アティスの内側に強い憤りが生じ、それに感応した精霊たちが騒ぎたったのだと、同じく精霊たちと相性のいいアサギにはわかる。しかし、彼の燃えるような瞳がまっすぐ自分を見ているのは、どういうことだろう。


「なるほど。そういうことなら……心当たりがないわけでもない。イリももう勘づいているかもね。アサギ、俺もイリも君につらい思いをさせるのは本意じゃないけれど、気構えは必要だろうから、心して聞いてくれるかな」

「は、はい!」


 思わず姿勢を正して向き合えば、怒れる麗人はひと息を挟むようにティーカップに口をつけ、深く息を吐きだした。心配そうに見守るスイ、ちまちまとクッキーをかじるロウル、緊張しているアサギを順に見回し、口を開く。


「実はね。別件で調査依頼をしていた探偵に、『監獄島にも解ける竜が封印されている』という話を聞いたばかりなんだ。ぜんぶ話すと長くなるから、結論だけ言うと」


 アティスはそこで言葉を切り、ためらうように視線を揺らし、アサギを見て、小さなため息をひとつこぼした。そして続ける。


「おそらくこの件には、アサギ、君の母親……ユークレースが、一枚かんでいると思うよ」



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