[1-6]いにしえの竜を追いかけて


 人が使う精霊魔法も中級以上になれば、呪い効果を持つものが混じり込んでくる。中には行動を制限したり、無理やり命令を聞かせたり、狂気や病を付すようなものもある。総じて扱うために技量が求められ、解呪の方法は少ないが扱える者も多くはない。

 ちなみに、医師であるイーリィが使っている暗示は魔法ではなく『催眠法』と呼ばれる医療技術だ。医師であっても習得するのにある程度の練度が求められ、使いこなすには相当の熟練が必要となる特殊技術だった。


「とりあえず、対症療法だけど彼女の強迫観念を暗示で抑え込んだ。長くは保たないとしても、今は大丈夫だよ」


 カルテを記入し終えたイーリィがそう言って顔を上げた。すっかり落ち着いたヴィヴィは、今は彼女の母が眠るベッドの側に座っている。スイも安心して気が抜けたのか、空いたベッドに腰掛けて肩を落としていた。

 どこから、何から手をつけたものか。

 アサギは迷ったが、自分がまだハサミを持ったままだったことを思いだし、事務机に近づくとペン立てに戻した。そこで父に、くいと袖を引かれる。


「アサギ、ドタバタしているうちに午後の診療時間だから、スイと一緒にアティスの屋敷へ行ってこの報告書を渡して来てくれる?」

「うん、わかった。……ヴィヴィとロウルは、どうしたらいいかな」


 不安げにうさぐるみを抱きしめていたヴィヴィが、話に反応して視線を向けた。イーリィは泣きそうな少女に笑顔を見せたあとで、アサギに向き直る。


「ヴィヴィは、念のために検査入院。ロウルは連れていっていいよ。おそらく君の中の『ウツギ』は、フラウリーみたいな憑依ひょういか、君自身のだと思う。ロウルは何かを知っているようだし、彼女に聞けばはっきりするんじゃないかな」

「うん、わかった」


 素直に頷き、アサギは隣で自分の様子をうかがっているロウルを見た。当然目が合い、少女はぱちりと瞬きしてなぜか目を逸らす。


「ロウルはそれでいい?」

「……アティスって、だれ?」


 思った以上に不安げな声だった。それでアサギは、彼女と出会った経緯を思いだす。

 いにしえの竜、という存在はよく知らないが、人身売買が固く禁じられているこの地区で彼女は首輪をはめられおりに入れられて、目立つ店先に置かれていたのだ。それは、竜の売買が違法ではないからだ。

 もやもやと胸を満たしてゆく不快感と怒りの混じった感情は、自分のものだろうか。それともウツギのものだろうか。

 内側に沈み込んでゆくような割り切れなさに耐えられず、アサギはロウルの手をつかんだ。見あげてくる少女の目をしっかり見返し、答える。


「アティス様はスイのお父さんで、この地区テリトリー首領ボスをしている方だよ。優しくて誠実な頼れる人物だから、大丈夫」

「……国王さま?」

「え、いや、それは違うけど」


 眉を下げ、どこかうれいを帯びた表情で自分を見つめる半竜の少女は、何かを言いかけてやめたようだった。ん、と喉の奥から曖昧あいまいな声を漏らし、それから頷く。


「わかった、アサギに任せる。……どっちにしても、ぼく、首輪されてるから竜の力を使えないし」

「ああ、それもアティスに見せるといいよ。僕は魔法道具マジックツールの鑑定は専門外だけど、彼ならその筋の伝手もあるだろ」

「……うん、そうだね。今すぐ外してあげられなくってごめんね、ロウル」


 父の口添えで行動方針も決まった。話を聞いていたのだろうスイが身軽くベッドから立ちあがり、ヴィヴィの側へ行って遠慮がちに声を掛ける。


「ヴィヴィ、先生の所なら大丈夫だと思うけど……気をつけろよ。フラうさ、ヴィヴィをしっかり守るんだぜ?」

「……ん」

「オマエ、何サマ気取りだよ! イマシメから解かれて自由を取り戻したオレさまに、もう不覚なんて文字はねーぜぃ!」


 フラウリーは何を言っているんだろう。

 困惑した顔をこちらに向けるスイからも同じ疑問が見て取れたが、残念ながらアサギは答えを持たない。そっと首を振って意思表示を返す。よくわからないけど、フラウリーの中で真の力か何かが目覚めた設定かもしれない。


「行くかアサギ。親父オヤジ、今日は屋敷にいると思うけどな」

「うん。それじゃ行ってきます、父さん」


 ひらりと手を挙げる父と、フラウリーの丸っこい手を摘んで振るヴィヴィに手を振り返してから、アサギはロウルを促した。

 少女の青い翼は、緊張のためか固く縮こまっているようだった。




  ***




 息子たちを送りだし、診療所のスタッフにヴィヴィの入院準備を任せたあと、イーリィは事務机の前でぼんやり思いにふけりながら頬杖をついた。竜の少女が口にした「文字魔法」という名称は、懐かしい記憶を想起させる。

 ひどい弱視のイーリィは人を容姿で判別できない。代わりによみがえるのは、耳触りのよい甘え声と、蒼海を思わせる海の精霊力だ。十五年前、置き手紙一つを残して行方をくらませた妻との何でもない会話。


『君って、本当に料理が下手だよね。下手っていうか……火も使ってないのにオーブンが爆発するって、どういうことさ』

『えへへ……なぜかは私にもわからないんですよぅ。たぶん、契約の代価じゃないでしょうか』


 平均して千年もの寿命を持つ自分と彼女にとっては、十年、二十年などほんのわずかな期間だ。嬉しそうに――めたわけではなかったのだが――照れ照れと話す彼女の声も、昨日のことのように思いだせる。

 しかし、産まれたばかりの息子アサギにとっては、赤子から少年へと成長するほどの長い期間。一緒に過ごした期間が二年にも満たないアサギは、母親の顔を覚えていない。何度か魔法で手紙を送ってみたものの、届きはするが返事は一度も来なかった。

 研究者、執筆家という側面を持つ彼女は、一児の母親になっても倫理観や常識というものがズレている。

 食に興味がなかったのも、その一つ。


『契約? 異界の悪魔アナザーデーモンとでも取り引きしたわけ?』

『違いますよぅ。イリは、私をなんだと思ってるんですか! あのですね、私は料理の才能と引き換えに精霊から「竜語文字を扱う才能」をもらったんです!』


 なかなかに阿呆なことを言いだしたな、と思い、冗談混じりに尋ねたら、とんでもない事実が発覚した。料理のなんて大したものは元々なかったので、彼女の話が真実なら引き換えたのは「料理をする行為」そのものではないのか。

 まさに、呆れて物も言えない心境だ。しかし、夫として識者として父親としては、叱らずにもいられない。


『ねぇ。人族ってものは誰でも食べなきゃ生きていけないのに、どうしてそんな馬鹿な取り引きしたのさ、君は』

『馬鹿じゃないですよ! これで竜の呪いを解明できるようになりますし、ひいては竜の呪いを扱うことだって――、』


 得意げだった。彼女が、竜――と呼ばれる存在が絡むと暴走するのは常だったが、学術的な興味というより執着なのだと薄々気づき始めたのは、この事件が切っ掛けだったように思う。


『君は今、妊娠中なんだからさ? 危ない橋を渡るのはやめなよね。料理は僕がやるから、部屋に戻って本でも読んでてよ』

『いいんですか? じゃ、そうします!』


 反省の色もない様子には言葉もないが、自身も研究者であるイーリィはその感覚に馴染みがある。だからこそ大目に見てしまったのだし、歪みを矯正しないまま甘やかしたことを、後になって後悔もしたのだけれど。

 当時は彼女の「いにしえの竜」への執着が、夫や子供への愛情にも勝るなどとは思わなかったのだ。


 だがここにきて浮上した「文字魔法」と「竜の呪い」。彼女が残した置き手紙には、『竜の呪いを解く手掛かりが見つかったので、いってきます。』と書かれていた。このすべてが無関係だなんて考えられない。

 あの時もっと詳しく聞いておくべきだった、と今さらながらに思い、ため息をつく。


「まったく。君は今どこで何をしているんだ、ユークレース」




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