[1-3]妖精族の闇医師


 綺麗にみがかれたタイルが敷きつめられている廊下を通り抜け、待合室に入ると、長身白衣姿の妖精族セイエス男性がソファに座って雑誌を眺めていた。

 アサギの父、この診療所の医師であるイーリィ=ライローズ。診療所に掲げられた看板の『夜鳶よとび』は、彼の昔の通り名だという。


 長身で姿勢も良い父は、白シャツと白衣の姿がよく似合う。

 癖のない黒銀の髪は肩につかない長さで切り揃えられ、うつむき加減の今は表情を隠していた。屋内に引きこもり気味なためか肌は陶器のように白く、銀色に濁った瞳は極度の弱視だけれど、妖精族セイエスの生来の能力で精霊と魔力の動きは見えているらしい。

 全盲ではないのであんなふうに精霊の助けを得つつ本や雑誌を読みもするが、日常生活においてできないことも多いため、息子のアサギがあれこれと世話を焼いている。


「父さん、ただいま」


 物の輪郭りんかくと明暗と色具合程度しか見分けられない父は、文字を読み書きするとき常人以上の集中を必要とする。彼の読書を妨げていいものか悩みつつそっと声をかけると、イーリィは雑誌から目を上げ、こちらを見た。


「……おかえり、アサギ。なに、君、どこで竜なんて拾ってきたのさ」

「え、竜?」


 開口一番にそんな指摘をされて、アサギは戸惑い答えにきゅうした。自分の中の誰かが父の言を肯定しているものの、それをどう言葉にしていいかもわからない。

 アサギの後方にいたロウルが、すすっと前に進みでてアサギの隣に立つ。


「あなた、竜を知ってるんだね」

「治療に使う幻薬は、材料に竜石を使う物があるからね。でも、本物に会うのははじめてだよ。……話で聞いていたより、人族ひとっぽいんだな」

容貌カタチの話? それとも、組成つくりの話?」

「造り……かな。君の中に、精霊の巡りを感じるから。もしかして君、人工竜なの?」

「ちょ、ちょっと待って! 父さん、ロウルは精霊じゃなくって竜なの?」


 初対面ながらトントンと話を進める二人についていけず、アサギは慌てて会話に口を挟む。竜、人工竜。耳覚えのないその単語にどこか混じる不穏さが、胸を圧迫した。

 竜というのは、いわゆる巨大幻獣のドラゴンやワイバーンとは違うものなのだろうか。

 イーリィは口をつぐみ、何かを考えるように瞳をさまよわせてから、立ちあがる。


「何やらアサギも様子が変だし、順を追って説明してもらおうかな。二人とも、座ってて。僕もまだお昼を食べてないから、先に食事にしよう」

「……うん。ごめんね、父さん」


 何ひとつ上手く話せない自分がもどかしいが、父は口元に綺麗な笑みをいて、ひらひらと片手を振って見せる。気にするな、大丈夫の意味だ。

 この診療所には医療関連のスタッフや研究員が多く働いていて、アサギ一人では手が回らない日常の雑務を手伝ってくれる。今日はアサギが外出していたため、スタッフの誰かが食事を準備してくれたのだろう。


 白衣姿が部屋の外へ消えると、隣に座ったロウルが身を寄せるように顔を近づけてきた。宝石のような深青色サファイアの瞳が上目遣いにアサギを見ている。

 間近で見ると、彼女の両目は左右で青色の濃さが違っているようだった。


「……あの、ウツギ」

「な、何? っていうか、僕はアサギだよ? 今の僕は、


 口から勝手に出た言葉が突き放すような言い方で、アサギは慌てた。少女は一瞬だけ瞠目どうもくし、それから「そか」と呟く。


「じゃ、アサギ。……ぼく、チョコレートが食べたい」

「な、言い方キツくてごめんね? て、え、チョコレート?」


 傷ついた様子がなく安堵あんどすると同時、まさかのおねだりに思わずオウム返ししていた。

 チョコレートって、あの、お菓子のチョコレートだろうか。父ならお茶うけに常備してそうだけど、昼食前にチョコレートはないだろう。栄養バランスを考えても、嗜好品おやつを主食にしてはいけない。


「……ダメ?」

「先に甘いもの食べちゃうと、ご飯が食べられなくなると思うんだけど……」

「ぼくは竜だから、チョコが主食でも大丈夫なんだよ?」

「えぇ、そうなの……って、


 変な沈黙が辺りを支配する。ロウルはぱちりと目を瞬かせ、不満げな表情で唇をとがらせた。


「……バレてた」

「僕が知らないと思って騙そうとしたの!?」

「ウツギじゃないなら知らないと思ったの。嘘じゃないよ?」

「論点ズレたよね?」


 ふふふ、とくすぐったそうに少女は笑い、伏せがちな瞳を前方へ向けた。

 彼女とは間違いなく今日が初対面なはずなのに、このやり取りがひどく懐かしい。機嫌良さそうに口をつぐんだロウルをちろちろとうかがいつつ、アサギは、彼女の言葉と自分の発言を思考の中で反芻はんすうする。

 竜、半竜。彼女が呼ぶ、ウツギという人物。得体の知れない、この既視感。

 自分の中のは間違いなく、彼女を知っている。


「お待たせ。食堂ダイニングが空いてるから、そこに移動しようか」


 戻ってきた父にそう声掛けられて、アサギは思考の沼から慌てて浮上した。立ちあがり、隣の少女に手を差し伸べる。


「行こう、ロウル。

「……今は、果物よりチョコだよ」


 素直に手を預けつつも、言い返してくるロウル。その甘えるような口調をどうしようもなく愛しいと思ってしまうのは――いったい、誰の想いなのか。この気安さは、どこから来たものなのか。

 アサギ自身のことなのに、わからない。もどかしい。


 父はそのやり取りを怪訝けげんそうに見ていたが、口を挟むことはしなかった。





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