第2章

第29話 消えない気持ち

「それにしてもおにーちゃんにそんな勇気があったなんて。何回思い返しても信じられないよ。」


「どういうことだよ。」


「だっておにーちゃんいつも頼りないし、コミュ障だし、トイレ長いし。」


「頼りない兄で悪かったな!それに今トイレ長いのは関係ないだろ。」


「とにかく、おにーちゃんが面と向かって告白するなんて思わなかったの!」


「ま、まあ俺もハッキリ言える自信はなかった。それに直前まで気がついてなかったしな。」


「何に気がついてなかったの?」


「いや、分かってるだろ。俺自身の気持ちにだよ。」


「おにーちゃん自身の気持ちってなに?」


「もうそろそろ俺をいじるのはやめてくれよ柚葉。」


「え?なんのこと?ゆずはおにーちゃんに質問してるだけなんだけどなぁ。」


美結と付き合うことになってかれこれ1週間が経過した。その間柚葉はことあるごとに俺をいじっていた。今日も朝からいじり全開だ。そろそろ勘弁してもらいたいものだ。


「ねーおにーちゃん、美結ちゃんとは何か進展したの?ねえ?ふふふふ。」


不気味な笑い声とともにニヤニヤと俺の顔を覗き込んでくる。


「何もないって言ってるだろ!そもそもあれから美結も家には来てないし、学校から途中まで一緒に帰ってきてるだけだ。断じて何もない!」


そう。大変残念なことにまだ恋人らしいことは何1つ出来ていない。昨日も一緒に帰る際にさりげなく手を繋ごうと決心していたのだが、いざ美結を目の前にすると恥ずかしさの方が勝ってしまって結局手を触れることすらないまま帰ってきてしまった。つくづく自分のヘタレっぷりに嫌気が差す。


「やっぱりおにーちゃんはダメだねー。あんな告白が出来たんだからせめてハグぐらいはできるでしょ?」


「い、いや無理だって。正直手すら繋げてないんだぞ?」


「はぁ、そんなことだろうと思った。そんなんじゃ美結ちゃんがかわいそう。」


「うぅ…」


痛いところを突かれ何も言い返せない。そんな様子を見ていた柚葉がとんでもないことを口にした。


「じゃあさ、おにーちゃんがそういうことに慣れるためにゆずが練習相手になってあげるよ。」


「はっ!?練習ってなんだよ。」


「ほら、いいからいいから。」


柚葉はそう言って急に俺の手を握ってきた。


「ちょっ!」


「ほら、練習なんだからしっかりする!」


柚葉の手は柔らかくて小さくて優しくそっと俺の手を包み込む。そのまま俺の指と指の間に柚葉の指がそっと入ってくる。


「ほら、恋人繋ぎ。簡単でしょ?」


そう言って柚葉は優しく笑い、そのクリクリとした瞳で俺をじっと見つめる。直視できない。心臓が高鳴り始め、顔が紅潮していくのが自分でも分かった。ダメだ。俺は美結と付き合ってるんだ。柚葉にドキドキしてどうする。落ち着け、これは練習だ。美結と手を繋ぐための練習なんだ。俺はそう自分に言い聞かせ、なんとか心を落ち着かせた後、ふと柚葉の方を見た。


「柚葉…顔赤いぞ?」


「っっっ!?」


柚葉は慌てて俺の手を放して自分の頬に手を当てる。


「あっ…その…」


慌てた素振りで手をわちゃわちゃと動かし、何か言おうとはするものの、柚葉からそれ以上何も言葉が出てくることはなく、学校へ行く準備を始めた。


「じゃ、じゃあ行ってくるね。」


柚葉はそう言い残して家から出て行った。いくら察しの悪い俺でもここまであからさまな反応には気が付いてしまう。俺が美結と付き合い始めて1週間。それは柚葉を振ってから1週間だということだ。柚葉は本当に俺のことを好いていてくれたみたいだから、1週間なんて短い期間で割り切れるとは到底思えない。振った時はスッキリしたと言っていたが、それでも好きな気持ちを完全に消すことは難しいだろう。俺だったら絶対に不可能だ。ここ1週間ずっと俺をからかっていたのも、その気持ちを押し殺すためだったのではないだろうか。そうだとしたら俺は本当に悪いことをした。兄が妹を傷つけるなんて、1番やってはいけないことだ。俺はどうするべきだったのだろうか。他にもっといい選択肢があったのではないだろうか。俺は心の隅に残る罪悪感とともに学校へ向かった。

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