第25話 おんぶは仲直りのしるし

家を飛び出して数日が経った日曜日。俺は昨日と変わらず駅前のネットカフェの一室でケータイをいじっていた。家を飛び出した日、春とはいえ夜も更けるとかなり寒くなり、軽装で出てきた俺の体にはかなりきつかったので、とりあえず駅前まで歩いてどこか休める所はないかと探し歩いた結果、ここに落ち着いたというわけだ。ここに来てからの数日は、意味もなくケータイをいじり、面白くもない漫画を読みふけり、ただただ時が過ぎるのを眺めているだけだった。学校にも行かず、ずっとここへ閉じこもっていた。美結や柚葉からは何度もメッセージや電話が来ているようだったが、とても相手をする気にはなれなかったので一度も返信すらせずにいた。どうせ2人してありもしないことで俺を責めるんだ。えーくんはバカだのおにーちゃんは嫌いだのとけなされるに決まっている。まったく俺は信用されてないんだから。ただ気がかりなのは、このままネットカフェに滞在するとあと1日ほどで俺の所持金が尽きてしまうことだ。お金が無ければ泊まることはおろか、飯にもありつけなくなる。それならATMにでもお金をおろしに行けばいいじゃないかと言われるかもしれないが、残念なことに俺は今までバイトをしてこなかったため銀行口座には数百円の残高しかないのだ。これでは宿泊費どころか1食分の食費にもなるかどうかあやしい金額だ。かといってこの時期、公園のベンチで寝るのは過酷すぎるし、他に行く当てもない。それにそろそろ下着や服も替えなければならない。ネットカフェのシャワーは一応毎日浴びているし、シャツやズボンは一度近くのコインランドリーで洗濯したのだが、まさかパンツまで脱いで洗うわけにもいかなかったので、そのまま使いまわしていた。これ以上となるとさすがに衛生上よろしくない。あまり気は進まないが、一度家に帰るしかなさそうだ。家に帰れば正月にもらったお年玉の残りを手に入れられるし、洗濯だってできる。幸い明日は月曜日だ。柚葉は朝から学校に行くだろうから、昼前に家に入って夕方までに出ていけば鉢合わせすることもないだろう。よし、それでいこう。


翌朝、8時半に鳴り響いたケータイの目覚ましを重い目をこすりながら止め、トイレを忘れずに済ませて、家へ帰るべくネットカフェを出た。しかしこのまままっすぐ家へ向かうのは危険だ。学校へ向かう柚葉と鉢合わせするかもしれない。そうだ、先に軽く朝飯にしよう。そう思って財布を確認する。


「1000円ちょっとか、ネットカフェでだいぶ使ったなあ。コンビニでおにぎりでも買うか。」


いつもよく使っている駅前のコンビニに入ろうとしたその時、反対方向からやってきた人影に気づかず、そのまま、…バンッ。ぶつかった衝撃で相手はその場に倒れこんでしまった。


「すっ、すみません!大丈夫ですか。」


俺はそう言って、とっさに倒れた相手の手を取って起き上がらせようとした。


「いててて、大丈夫です、こちらこそごめんなさい。って、えーくん!?」


ぶつかった相手は美結だった。しまった、そういえばこの時間は美結も学校へ向かって駅に来る時間だった。やべ、逃げるか?でも倒したの俺だしほっとくのもな…などと考えていると突然、パンッ!乾いた音が響いてジンジンとした痛みが俺の左頬に広がる。


「えーくんのバカっ!どこ行ってたのっ!」


痛みをかみしめながら美結を見ると、顔を真っ赤にして怒っている。こんなに真剣に怒っている美結を見るのは初めてかもしれない。


「どこって…ちょっとそのへん。」


「ばかばかばかっ!ほんとに心配したんだからっ!」


そう言って俺の胸を何度もボカボカと叩く。


「何回もメッセージ送ったじゃん!電話も掛けたよね!なんで出てくれなかったの!もうばかばかばか!」


「痛い痛い、ごめん、悪かった。」


すると美結は叩くのをやめて突然俺の胸に顔をうずめて泣き出した。周りを歩く人々が何事かと怪訝そうに見ながら通り過ぎていくてのが見えたが、美結はそんなことはお構いなしで俺の背中に腕を回し、正面から抱きつくような格好でより強く顔をうずめてきた。


「ごめん…なさい。私、言い過ぎ、だった。」


「俺も、その…悪かった。俺、美結と柚葉にそんなに信用されてなかったのかなって思って逃げちまったんだ。」


「うん、ごめん、信じてあげられなくて、勝手に誤解して先走っちゃって。ごめんね、えーくん。」


後で聞いた話だが、美結は俺と喧嘩をした後、帰りの電車であの綺麗なお姉さんを見かけて声を掛けたらしい。そこで、戸井くんとどういう関係なんですかと聞いてみたところ、誰だそれはという反応が返ってきたそうだ。そりゃあお姉さんと俺は

あの日食堂でひとことふたこと話しただけなのだから当たり前なのだが。そのままお姉さんと話しているうちに、美結は自分の考えが誤解だったと気づいたらしい。


「いや、分かってもらえればそれでいい。」


「うん。えーくんももう勝手にどっか行っちゃうなんてことしないでね。」


「ああ、約束する。」


「うん。」


「それはそうと、そろそろ離れてくれない?周りからすげえ見られてるんだけど。」


「やだ。ずっと一緒にいるもん。」


美結は抱き着いたままニカっと笑いながらようやく顔を上げた。が、その顔はとても人に見せられる顔ではなかった。泣いていたせいで目の周りは涙でぐちゃぐちゃになり、俺の胸に顔をこすりつけていたせいで前髪はボサボサになってしまっていた。


「ひどい顔だぞ。」


「誰のせいだと思ってるの。」


「ごめん。」


「冗談だよ。」


そう言って美結はさらに強く俺を抱きしめてきた。


「ちょ、美結、離れろって。」


「やだもん。」


「みんな見てるから。」


「そんなの知らないもん。」


「恥ずかしいって。」


「だって離れたくないんだもん。」


「学校行くんだろ?」


「今日はもういいもん。このままえーくん家行くもん。」


「お前なあ。」


結局何を言っても聞きそうになかったのでそのまま美結に言われるがまま家へと向かった。俺も表面上は普通に取り繕ってはいたが、正直ちょっと嬉しかった。いや、かなり嬉しかった。


「ねーえーくん、おんぶして。」


「え、いや、それは…」


「いいじゃん、仲直りのしるしに。」


「いや、でもなあ。」


「ダメなの?」


そんな顔でお願いしないでくれ。断れるわけがない。反則だ。一発退場、レッドカード。


「はあ、分かったよ。」


「やったっ!」


「よい、しょっ。」


「重い?」


「いや、全然。むしろ軽くてびっくりしてる。」


「えーくん私に会えなくて寂しかった?」


「いや、別に…」


「寂しかった?」


「いや、だからそんなことは…」


「うそだ、寂しかったでしょ?」


「はい。ちょっとだけ。」


「えへへ。やっぱり寂しかったんだ。」


「うるさいな。」


「照れなくていいのにー。」


「照れてない。」


「照れたえーくん可愛い。」


「…」


「ほら、着いたぞ。降りろ。」


「やだー、おんぶー。」


「赤ちゃんみたいなこと言うな、まったく。ほら、入るぞ。」


「はいはーい。えーくんのけち。」


それから俺たちは柚葉が帰ってくるまで喋って遊んで笑った。美結が一部始終を柚葉にもメッセージで伝えていたので、これで柚葉の誤解も解けていることだろう。それと今日1つ分かったことがある。俺はどうも美結と一緒だと安心するらしい。ネットカフェにいた時はどこか心にモヤがかかったようだったのだが、美結と仲直りした瞬間からそれはどこかへ消えていた。いつも一緒にいて気づかなかったが、一旦離れてみたことで気づくことができたのかもしれない。喧嘩するほど仲がいい、か。それとはちょっと違うような気もするが、喧嘩する前よりも後の方が仲が深まるという点においてはそうなのかもしれない。美結の楽しそうに笑った顔を見ながらふとそんなことを思った。






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