第27話

 覚醒しかかる酒井の視界に、ぼんやりと骸骨の姿が入った。骸骨は、注射器を持っている。

 最初酒井は、状況をさっぱり飲み込めなかった。自分はコンクリートを打ちっぱなしにした密室にいた。

 やがて酒井ははっとした。彼は思わず大きな声を出してのけぞったが、身体の自由が利かず、自分が椅子に縛り付けられていることに気付いた。

 酒井は叫んだ。

「おっ、お前は誰だ」

 骸骨は窪んだ目で酒井をじっと見て、何も答えてはくれなかった。

 骸骨は注射針を上に向け、ゆっくりと軽くピストンを押す。透明な液体が、針の先から飛び出した。

「それは何だ、何をする気だ」

 相変わらず骸骨は、何も言わない。人間の言葉を理解できないように、彼は酒井を無視した。

 骸骨が酒井に近付いた。酒井は目を剝いて身体を前後左右に激しく揺さぶったが、椅子から逃げ出すことはできなかった。注射器が酒井の腕に近付く。

「おい、やめろ。それは何だ。やめろ。頼むからやめてくれ」

 注射針が酒井の腕の血管にすうっと入る。そしてピストンが静かに押され、中の液体が酒井の身体に注入された。その間も酒井は、声にならない声を出して、じたばたした。

 お決まりの、拷問ショーである。

 酒井はナイフで身体を切り刻まれ、爪を剥がされ、指や腕を逆側へ折り曲げられた。ノコギリで折り曲げられたそれらを一本一本切り落とされた。開口器具で口を開かれ、その中へ生きた大量のゴキブリを放られた。バナーで目を焼かれ、視界を失った。

 そこまでやられて、酒井の精神が壊れた。彼は尋ねられたことに、全て素直に正直に答えた。


 翌早朝、極西連合会長石井の自宅前に、三つのす巻きにされた人間が転がっていた。白戸組組長越智、ハイアットエージェント社長酒井、銀友会会長藤浪である。彼らをくるんだ麻袋の前に、それぞれビデオテープが置かれていた。

 石井の配下がそれを見つけ、三つのす巻きはすぐ様石井の自宅に引入れられた。

 縛り上げたロープを解くと、三人の男はいずれもよだれを流して熟睡していた。三人共、ズボンの股間が糞尿で汚れ、悪臭を放っている。

 石井は篠崎を呼び付け、二人で一緒に、届けられた三つのビデオを見た。

 いずれの男もビデオの中で、許しを請いながら、一円連合幹部暗殺、一円連合本部や五所川原邸、主だった一円連合傘下の組事務所奇襲計画を、一つ漏らさず正確に述べていた。三人の自白内容は一致し、もはや言い逃れはできない状況である。

 石井が篠崎に訊いた。

「一体こいつらは、何をされとるんや?」

「さあ、分かりません。強力な自白剤でも打たれてるんじゃないですかね。前の大田のときも、全く同じ状況でした」

 三人共に、泣き叫びながら、次々事の真相を自白していた。

「自白剤でこんなに怯えるもんか? 何か拷問を受けているように見えるんやがな」

「確かにその通りです。あの豪傑な藤浪までこの有様ですから。大田のときはすぐに殺ってしまいましたが、今回は、三人の目が覚めたら確認します」

 石井と篠崎が蒼白になっているところへ、篠崎の携帯電話が鳴った。番号は猪俣のものだ。

 篠崎が石井に携帯電話を見せると、石井は唾を飲み込んで頷いた。

 篠崎が意を決して電話に出ると、猪俣の声が言った。

「篠崎か?」

 篠崎は電話音声をスピーカーにして、石井の前で話し始めた。

「そうだ。猪俣か? 海外にいると聞いていたんだが」

「昨夜帰国したら、粗大ごみが三つもあって驚いた。ビデオを見ると、どうやらお前さんのところのごみみたいなんで送らさせてもらったが、もう届いたか?」

 抑揚のない、低いどすの利いた声だ。

「ああ、一つはうちのじゃないが、全部こっちで処理しておく」

「そいつは助かる。返品されても困るんでな。ところで篠崎、うちの若旦那をあまり怒らせないで欲しいんだ。あの人が本気になると、俺にも手が付けられん」

「今回の件に、極西連合本部は関係ねえ。白戸組が単独で突っ走ってしまったようだ。今後こんなことが起こらねえよう、奴らはきっちり処分する」

 緊急幹部会議で確認した、トカゲのしっぽ切りという既定路線である。それに対して猪俣は、既に察しが付いていたように、特に追求しなかった。

「ああ、しっかり頼む。また若旦那が怒ったら、次はあんたら皆殺しになるからな。そうなったらもう、俺は口添えもできんぞ。それとなあ、水上さんの件は気の毒に思ってる。あんたも周囲が騒がしくなると思うが、まあ頑張ってくれ」

 石井と篠崎は、意表を突かれた。

「水上さん? 何のことだ?」

「知らねえのか? そいつはますます気の毒なこった。テレビを付けたらワイドショーが騒いでるぜ。せいぜい気張ってくれや。またな」

 電話は一方的に切れた。篠崎と石井が顔を見合わせる。

「何や、水上さんの件って?」

「分かりやせん。テレビを切り替えても宜しいですか?」

「おお、早うせい」

 テレビをビデオから放送に切り替えると、朝のワイドショー番組が、慌ただしく何かを報道していた。女性レポーターが、国会議事堂をバックに映し出されている。

 彼女が「現在、水上幹事長の事務所は沈黙を保っています」と言い、画像がスタジオに切り替わった。

 スーツに身を包み清潔感を振りまくアナウンサーが、深刻な顔で言う。

「今朝は、民民党水上幹事長と関西系暴力団極西連合との密接な関係について特集しております。さて、昨日テレビ局に届いたビデオや録音音声、写真、数々の書類コピーですが、どれも内容が具体的で、しかも私たちが調べた限り、それらの一部は本物であることが分かっています。テレビ局に寄せられた資料は、水上幹事長のインサイダー株取引や収賄など、検察がそのまま証拠として使用できるほど詳細を極めていますが、それ以外に、これまで水上幹事長が暴力団関係と一緒に、数々の土地再開発を手掛けてきた実態も浮き彫りになってきました。それらが、謎の自白テープの中で語られています。兵庫にあるハイアットエージェントという会社社長の話ですが、先ずはそれをご覧下さい」

 そこで画面が切り替わり、暗い部屋にいる酒井が映し出された。テレビ局は彼の素顔をぼかし、音声も変えているが、見るべき人が見ればそれが酒井だと分かる。

 酒井は、画面の外にいるインタビューワーの質問に答える形で、説明した。

 酒井は水上と組んで、どのように土地再開発利権に食い込み、どうやって大金を作り水上にキックバックを進呈していたのか、ありのままを語っていた。土地の買い占めに暴力団がどのように関与し、水上の口利きで金を貸した銀行名まで明らかにした。

 もちろんハイアットエージェントが白戸組のフロント企業であることや、フロント企業の役割まで説明している。白戸組が極西連合傘下の組織であることや、こうしたハイアットエージェントの活動は白戸組組長の越智、極西連合会長石井、若頭篠崎も承知していること、そもそも水上を紹介したのは、若頭篠崎を通してはいたが、会長の石井であったとまで話していた。

 話をする酒井は落ち着いて、誰かに脅されながら、仕方なく自白しているという様子ではない。

 この放送を一緒に見た石井と篠崎は、貧血を疑いたくなるほどますます蒼白になり、啞然とした。

 マスコミに情報を提供したのは、一円連合に違いなかった。彼らは極西連合に直接手を出さず、世間や警察、検察特捜に悪事の数々を追求させることにしたのだ。

 驚いたのは、酒井が新宿歌舞伎町再開発に絡む陰謀についても、ビデオの中で赤裸々に語ったことだった。

 水上の次期総理の椅子を狙う魂胆、薬の販売を通じた鬼瓦組鬼瓦組長の懐柔、銀友会との共謀、郭協志グオ・シェーチーの関わり、そして中国人娼婦殺人事件についてである。

 一円連合は、傘下である鬼瓦組まで、薬の販売という悪事に手を染めていたことを世間に晒したことになる。

 白戸組や銀友会奇襲の凄まじさには驚かされたが、自分の身内まで警察の手に委ねるやり方も、これまた業界の常識外だ。そうした一円連合の徹底ぶりは、石井や篠崎にとり、一層不気味であった。

 何やら外が騒がしかった。窓から様子を伺うと、早くもマスコミの報道車が石井宅の前に数台駆け付け、カメラを構える報道者が多数集まっている。

 そこには、まるでハイエナのように、何かを嗅ぎ付けおこぼれにありつこうとする逞しさが垣間見えた。この分では、関係各所は全て火事場の大騒ぎになっているのだろう。

 そこに今度は、石井の携帯電話が鳴った。発信者は水上だ。石井が応答すると、水上の烈火のごとく怒鳴り散らす声が飛び出した。

「これは一体、どうゆうこっちゃ。お前のとこを信用して任せたというのに、えらいことをしでかしてくれたもんだな。いいか、せめてこれからは、誰にも余計なことを喋らせるな。お前も同じだぞ。分かったな」

「へい、この度は下のもんがえろう御迷惑をお掛けしました。今篠崎と善後策を検討しとるところです」

「馬鹿野郎。今更善後策などある訳ないやろ。俺はすぐに入院する。お前には、きっちり落とし前を付けてもらうぞ」

 またしても、電話は一方的に切れた。

「親父、水上さんは何て?」

「落とし前付けろやて」

「しかしどうやって」

「なに、気にせんでええ。どうせあの人はもう終わりや。なんもできへん」

 確かにその通りだ。水上の政治家生命は、もはや風前の灯という状況だ。これだけの悪事が明白なら、検察と世間の追求はかわせないだろう。

 もっとも、極西連合に対する世間やマスコミの風当たりも、相当激しくなることが予想される。

 二人は重い気持ちを抱えたまま、特に何をするでもなく、お届け物の三人が目覚めるのを待つことにした。

 今更慌てても、することは何もないのである。

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