第58話:誰でもない唯の一人
しばらく、町のみんなは互いに話していた。すぐ隣の数人で、こそこそと。
「だからって勝手に」
「いや酷い話なのもたしかだ」
「うちの子は、マルムさまに救ってもらったわ」
「それより領主さまは、これからも手厚くしてくださるのか?」
漏れ聞こえるのを聞くと、否定ばかりではなかった。
非道はさておき、マルムさんが癒しを行ってきた事実。街の発展を促進させた事実。そういう、恩恵をありがたがる声が圧倒的だったけれど。
「あの子どもが、何かしてくれるっていうのか?」
「領主さまとも面識はないんだろ?」
「修道院はどうするんだ。司祭も助祭も居なくなってしまった」
現実的な問題。みんなが懸念する通り、僕が何をすることもできない。こうすれば良いのではと、案を出すのも難しい。
――やっぱり僕の身勝手だったのか……。
「こら、待ちなさい!」
背中の側から、慌てた声がする。振り返ると、侍祭の一人がこちらへ駆けてくる。あの人たちも指導者を失った。けれどいま走るのは、関係がないようだ。
「ねえ、シン」
ばたばた足音を鳴らして、僕は取り囲まれた。でも威圧感はない。みんな僕より背が低い、修道院の子どもたちだから。
「シンは何か悪いことをしたの?」
「いじめられてるの?」
眉を寄せて、両手をぎゅっと組んで、心配そうに見上げる目。一番なついてくれている子が、僕の手を取った。
「どこかへ行くの? 行っちゃやだよ」
体格はそれほどの僕よりも小さな手。今まで感じたことのない力強さで、とても熱い体温を押し付けてくる。
――このまま行けば、この子たちが襲われる未来だってあったんだ。
そう思って、あってほしくない未来が頭を過る。そのイメージを、ぶんぶん頭を振って追い出した。
「あのね、僕が間違えちゃったかもしれないんだ。だから――」
だからみんなに、どうだったか聞いている。などと伝えれば、町の人たちを悪人だと言ったことにならないか。
いや違う。そう思うことが、自分を正しいと思い込んでいる証拠だ。
膝を折って、きらきらと濡れた目を見ているうち。正しいかなんて考えるそのものが不粋に思えた。
「シンは優しいよ!」
「お薬をくれたんだよ!」
「知らない遊びを教えてくれるんだよ!」
町の人の睨む目に気付いたのか。子どもたちが僕を守るように、立ちはだかってくれる。
――ありがとう。嬉しいけど、違う。違うんだよ。
「いいんだよ、みんな。僕たちはこれからのことを話してるんだ。いじめられてなんかない」
「本当?」
「本当だよ」
頷いてくれたけど、子どもたちは離れてくれない。随分と信頼されていないものだ。
手を繋いだまま立って、住民たちに向き直る。
「僕はマルムさんを追い出した人間です。そうでなくとも、代わりが出来るほど優れてはいません。でも皆さんの健康を守ることはできます。どうか他に何が出来るのか、僕に教えてください」
深く、頭を下げる。この世界に日本のような、おじぎの文化はない。だけど子どもたちも、倣って頭を下げてくれる。
結果、何だかカーテンコールみたいになってしまった。
「なあ、みんな。シンは俺のところに来てくれた。あれもこれも、目につく物全部を触らせろって。迷惑したもんさ。みんなのところには来なかったか?」
急にそんなことを言い出したのは、道具屋のお兄さん。申しわけないけれど、居ることにいま気が付いた。
しかし詰め寄ってくる先頭辺りに居るのは、きっとそういうことなのだろう。
「ああ、うちにも来た。倉庫も見せろ、家の中にはないか。二度手間になってもいいから全部ってな。手間はこっちだってんだよ」
「私のところもよ。触るだけって言ったのに、棚の隅々まで掃除したのよ。私だってやってるのに」
次から次。僕の悪行が暴露されていく。この町で、少なくとも戸を叩かなかった建物はない。それを言われては、言いわけしようもなかった。
「呆れてたんだがな。俺の拵えた道具で、あの呪いを解いちまった。マルムさまも消せなかった、獣の病をな」
「それだけじゃねえ。俺のおふくろは、最近調子がいいって仕事に復帰しやがった。口うるせえったらありゃしねえ」
「あらやだ。あたしの旦那なんかもね、前の二倍働くんだよ。食う量も二倍になったけどさ!」
これは褒められてる、のか?
怒った口調だったので、首を竦めていたのだけど。どうも空気が変わってきた気がする。
「頼むよみんな、俺ももっと頑張るからさ。誰か一人に任せるんじゃなく、みんなで町を守ってみないか」
ダレンさんも横に並んで、頭を下げる。隣に師匠も。
こうなると頼みというより、強要めいてくる。ここまで仕切り直って、やはり暴力に訴えようとはならなかった。
「はあっ。仕事に戻るかな」
「ふうっ。そろそろ食事の準備を始めなくちゃ」
示し合わせたように、誰もがため息を吐いて散らばっていく。どうしたことか見ている間に、町の人たちは誰も居なくなってしまった。
「ええと……」
「元通りってことだと思うよ」
「町の一人を、いちいち誰も気にしねえわな」
ダレンさんの大きな手が、肩を叩く。師匠の手は腰を打って、ぱあんと大きな音を鳴らす。
「いたっ!」
「さあ、まずはメンダーナ嬢ちゃんを起こさなきゃな。それともダレンの怪我からか?」
「手間だけど、頼むよシン」
どうやら僕は、この町に住むただの一人と認められたらしい。
◇◆◇
二人の治療を終えて、僕は洞窟に向かった。ダレンさんも着いてきてくれたけど、入り口で待つと言った。
だから一人で奥へと進む。きっとそこに、ホリィが待っている。
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