第28話:獣の呪いの退くとき
がらん、がらん。と、鈍い響きを混ぜて鐘が鳴る。二度を三回。それが集会を開くときの合図だそうだ。
レティさんの話を聞いた次の午後。雲の多い空に、その音は重々しい。
「ホワゾに住む人たちよ。誰も為すべきことのある中、集まってくれたことに感謝する」
修道院から川を挟んで向かい側に、広場がある。そこへ向けて、マルムさんは声を張った。
ちょうどアーチ橋が演壇のようで、隣に立たされた僕は所在ない。
「今日は皆に、一すじの光明の話をしたい。ここに立つのは、治癒術師のシン。若いが聡明で、腕もたしかだ。先日など、瀕死のダレンをたちどころに治癒させた」
おおお。
集まった人たちがどよめく。
瀕死から救ったのは、マルムさんの法術だ。僕は生死に直接は関係のない傷と、疲労を回復させただけ。
そんなことを言うとは聞いていなくて、かといってすぐさま否定するほど無神経でもない。
ますます居心地が悪いけれど、そうしたほうが信憑性が増すとでも言うのだろう。
――でも受け入れたら、またレティさんに何か言われそうだな。
大勢の前で緊張するのとは別に、気が重くなった。
「彼はこの町の者でない。それどころか、哀れにも記憶を失って行き先に迷っていた。これを私は、至高神オムニアの導きと感じたのだ!」
今度は歓声が上がった。口々に、神の名が唱えられる。マルムさま、院長さまと、個人的な支持の声も。
なるほどこれで、僕は神さまの使いというわけだ。迷子の男が言うよりも、そのほうが信じてみようかとはなるに違いない。
「彼は言った。この町を
「わあああああ!」
「いいぞ、シン!」
「オムニアの御使い!」
――いや僕はそんなのじゃ……。
歓声に歓声が重なって、大変な騒ぎだ。それぞれ拳を突き上げたり、手を振ったり。アイドルにでもなった気分だ。
これほどまでにすぐ、信頼を得られる。たぶんこれまでの、マルムさんの人徳なのだろう。
この中の誰も、僕のことなんか知らない。せいぜいあの、道具屋さんくらいだ。それにしたって、ちょっと挨拶した程度。
それをマルムさんが言っただけで、こんなことになる。
――怖いな。
「しかしすまない。今あるのは一人分だ。材料が特別で、すぐに多くは作れない。もしも今日、これから行う治療がうまくいけば、大量に作る為の援助を頼めるだろうか」
「任せてください!」
「要るのは人数か、道具か。何でも言ってくれ!」
我先に、手伝わせろと押し寄せる勢いだ。それをマルムさんは、まあまあと両手でなだめる素振りを見せる。
それですぐ、テレビのボリュームを下げるよりも早く静まった。
すると「さあ、シン」と、マルムさんが腰をひとつ叩く。僕に今みたいな演説をしろというのか。それは無理というものだ。
「ここに薬があります。見ず知らずの僕が作った物を、根拠もなく信用しろとは言いません。だからまず、僕が飲んで見せます」
役者が代わったせいか、静まり返った。沈黙した大勢の目が、僕を見る。震えそうな膝を、何とかごまかして立ち続けた。
メナさんが、水の入ったカップを持ってきてくれる。微笑んで頷いて見せてもくれた。
どうも指が、言うことをきかない。叱りつけてようやく、ロウ紙から丸薬をひと粒取り出す。
こんな小さなのを、見えはしないだろう。でもきっと、こんなときはこうするのだ。そう考えて、頭上に掲げて見せた。
やはり歓声どころか、咳ばらいさえも聞こえない。
ゆっくりと、天から落ちる雫を受け止めるように。口の中へ丸薬を投じる。上を見たまま手探りでカップを受け取り、飲み干した。
「この通り。病に冒されていない僕に、何も効果はありません。少なくとも、害はないことを信じてほしいです」
よく考えると。僕が飲んだのと、これから飲ませるのと。同じである保証がないのに気が付いた。
だからか町の人は、それでも黙ったまま待ち続ける。
「マルムさま。それで薬は、誰が飲ませていただけるので?」
誰か一人が、とても遠慮がちに問う。
なんのことはない。彼らはとうに、害があるとは考えていなかったのだ。一人分しかないという恩恵を、誰が受け取るのか。
その行方を見守っていた。
「良い質問だ。ここに居るシンは、優秀であっても人間だ。私と同じ、神に仕えるには愚かな人間だ。だから、失敗をすることもあるのを許してほしい」
薬を飲むのは、僕が最初に会ったキツネと決まっている。それを宣言するのに、マルムさんの切り出しは失敗もあると。
地下に長く居て、人間だったときが誰か素性が分からない。
キツネを選ぶのに出した条件は、そういうことかと唇を噛んだ。
「きっとうまくいきますとも!」
「オムニアの加護を!」
失敗など気にするな。とは誰も言わない。
もしも本当に、キツネが人間に戻らなかったら。いやそれよりも、死ぬようなことでもあったら。
――何が起こってしまうんだろう。
嫌な汗が、額に吹き出る。
しかしもう、やっぱりやめるなどとは言い出せない。キツネを抱いたホリィが、僕の後ろにやってきた。
「温かい言葉が身にしみる。では皆、見ていてほしい。我らが怖れる呪いの、退くさまを!」
華奢なホリィの手が、キツネの顎を握って口を開かせる。
やるしかない。大きく息を吸って、吐いて。鋭い牙の並ぶ狗の口に、ふた粒の丸薬を放り込んだ。
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