第8話:人を癒やす理想の姿

 レティさんと同年代に見える男性。あれは鎧なのだろう。分厚い革のベストのような物で、胸が守られている。重そうな斧も、床に投げ捨てられた。

 男性は顔を青くして、息も荒い。見ている僕にまで、つらさがうつりそうだ。


「メナ。どうしてこんな時分に帰ってきたんだ!」

「すみません、院長――」


 ホリィとレティさんが、男性の衣服を剥ぎ取る。それを待つ間、同行の女性をマルムさんは一喝した。

 その女性。メナさんが言うには、修道院へ来る約束が今日だったからと無理に急いだらしい。

 言い出したのは男性。つまりメナさんの夫だけど、自分も強くは止めなかったと彼女は悔いた。


「たしかに約束はしたが、自分の命をかけてまで守れと言った覚えはないよ」


 マルムさんは怒っている。だがそれで話は終わりだというように、背を向けた。男性はすっかり裸にされて、準備が整ったらしい。


「首も傷付いているが、問題ない。まずいのはこっちだな」


 陸上やレスリングの選手みたいに筋肉の盛り上がった、逞しい身体。その首と左脚が血に染まっていた。

 マルムさんは水を絞った布で両方を拭き取り、まずいと言った脚に手をかざす。たしかにそちらは、脈打つように血が溢れ続けている。


「ねえ、一応聞くけど。こんなときに役立つ薬とか、ないんだよね?」


 呆然と眺めていた僕に、ホリィが問う。マルムさんの邪魔をしないよう、声を潜めて。


「えっあっ。そう、だね――」

「うん。だろうと思ったけど、一応ね。気にしないでいいよ」


 そうか。僕は治癒術師だった。こんなときにどうにか出来るよう、薬を用意しておかなきゃいけなかった。

 あらためて自分を見ても、粗雑な作りのシャツとズボンしか持ち物はない。手を当ててたしかめても、どこかに物を入れたりはしていない。


「天に在る者。至高の彼方をくオムニアよ。あなたを慕う我らに、御許みもとへと向かう力を分け与えてください」


 聖職者の祈り。朗読とはまた違った、独特のイントネーション。左手は小指と薬指を折って、上に掲げられた。右手はずっと、男性の脚に向けられている。

 やがて傷口が、白い光に照らされた。袖口に強力なLEDライトでも仕込んでいるかのような。


「願わくば。の失われた命の欠片を、いま一度蘇らせてください」


 光が照らしている部分に、健康な皮膚が戻る。傷付いた皮膚の上へ、健康な皮膚を上書きで印刷しているみたいだ。

 ゆっくり。十を数える間に、一ミリほども進むだろうか。それでも確実に傷は消えていった。

 口に含んで押し出すような、男性の苦しい息。それが大きな深呼吸のように変わった。彼が死の淵から生還したと、僕にも分かる。

 ――ああ、あれが治癒魔法なんだ。


「話はまた、ダレンが起きてからだ。私は疲れたのでね、休ませてもらうよ」


 あとは任せたとレティさんに告げて、マルムさんは部屋を出ていく。足取りはよろよろと、遠巻きにしていた侍祭が肩を貸した。


「誰か、毛布を!」


 レティさんの言葉に、大きな子どもたちがどこかへ走っていった。ダレンというその男性は、このままここに寝かせられるようだ。


「あんたはこっち」

「え?」


 準備をしておけば、僕にも何かできた筈なのに。本来やりたかったのは、マルムさんのしたことなのに。

 悔やむ思いに、縛られていた。

 そんな棒立ちの僕を、ぐいっと引っ張るのはホリィ。どうしたのか聞く前に、畑に出る扉の前まで引きずられてしまった。


「これ、ランタンと収穫袋」

「首の傷を?」

「そう。慌てなくていいみたいだけど、手当てはしなきゃね」


 蝋燭から火を移した、手提げのランタン。それに麻袋みたいな、ただの袋。ホリィは今からでも材料を採って、薬を作れと言っているのだ。


「そうだね、やってみるよ。手伝ってくれるの?」

「いや、あたしはやることあるから」


 扉に手をかけると、彼女は逃げるように去っていった。別に構わないけど、ちょっと寂しい。


「さて、どうすればいいかな」


 外に出てはみたものの、畑は広く作物の種類も多い。この中から、傷の治療に使う材料をどうやって探せばいいのか。

 一つずつ触れていけば出来るけれど、それではどうにも効率が悪い。日が暮れて、ではなく夜が明けてしまう。

 ワギネを探したように、勘が働かないか。そう考えて目を凝らす。が、そうそううまくはいかない。

 ダメで元々。目の前の葉に触れてみても、やはり食用の作物でヒントにもならない。


「やっぱりハーブっぽいやつなのかな……」


 それにしたって審哉だったときには、全く知らない分野だ。植物園にだって行ったことがない。

 料理の番組で映った姿を思い出して、それっぽい物を探す。


「これなんか良さそうなんだけどな」


 畑の外周をちょっと歩くと、背の低い作物ばかりのエリアを見つけた。その中の一つが短い棘のような葉をたくさん生やしていて、いかにもハーブっぽい。


【ヒービス。厳冬を除いて、いつでも採取可能。ハゴンと合わせて煮潰すことで、止血薬と外傷の治療薬に用いる】


「これだ!」


 ようやく誰かの為に。他でもないダレンというあの人の為に、何かが出来る。望んだ方法ではないけれど、まずはやってみよう。

 力強く茂った葉から、良さそうなものを。僕は一枚ずつ選定していった。


「ホリィ。調理場を借りられるかな」


 必要な物を全て採り終え、屋内に戻る。ダレンさんの居る処置室には、ホリィとレティさんが残っていた。


「いいよ。おいで」


 毛布をかけられたダレンさんには、まだ息苦しさが残る。額には濡らした布が置かれて、経過を見ているという感じだ。

 ホリィに着いて、また部屋を出るとき。レティさんの視線に気付く。やはり睨みつけるような厳しいもので、すぐに「いやいや」という風に自分を窘めていた。

 ――ちゃんと薬を作れば、信用してもらえるのかな。

 そうでなくとも、できる限りはするつもりだ。しかし、より一層。僕自身に緊張感を課した。

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