第6話:身に覚えはあるけど

 扉の向こうへ、豊かな畑が広がっていた。実のたわわなものや、これから伸びるのだろうというもの。僕より背の高いようなのも混ざって、ちょっとした森とさえ。

 L字に折れた修道院の建物を除けば、ここが街中というのを忘れさせる光景だった。


「こっちだよ」

「早くおいで!」


 畝と畝の間は狭い。ほとんど直線を描くように、足を動かさなければ進めなかった。それをマルムさんは慣れた感じでスッスッと歩く。

 ホリィも跳ねるような歩みでいて、畝を傷付けることはない。彼女に手を引かれた僕などは、柔らかい部分へ足跡をいくつも付けてしまったのに。


「これなんだけどね。いつもここへ植えているのに、今回は育ちが悪いんだ」


 指さされたのは、赤い葉が地面から直接に生えたような作物。他のもそうだけど、葉や実の形に馴染みがなかった。

 けれどもたとえば、キャベツっぽいけど黄色くて小さいとか。タケノコに見えるけど竹はなくて緑色とか、知っている野菜の亜種に当たるのかもと思う。

 しかしどうであれ。自慢じゃないが、僕は土いじりなどしたことがない。

 小学校でアサガオなどは育てたけど、あれは必要なことを言われるままにやっただけだ。これだけ立派な畑を前に、経験などと言えたものではないだろう。


「いつも、ですか。れ、連作障害とか?」

「それはないと思うんだよ。肥料は与えているし、季節で違う物を植えるしね」


 ――唯一の可能性が外れた。

 可能性というか、何かの漫画で読んだだけの俄か知識なのだけど。

 これが違うとなると、お手上げだ。何せ僕が得た能力は治癒術で、人の怪我や病気を治す為のもの。農作の知恵など出てくるわけがない。

 しゃがみこんで葉っぱを睨みつけても、たしかに元気がなさそうだなと思うくらいで、改善策は浮かばなかった。


「すみません、僕にはやっぱり――」


 諦めて、役に立てないのを詫びようとした。同時に葉を摘んでみたのは、たまたまだ。

 その僕の脳裏に、言葉が溢れる。知らない筈の情報が、波となって押し寄せる。

 誰しも一つくらいはあるだろう、いわゆる推しを見たときのように。触れた作物へ向けられた、この身体の愛情が熱いほど。


【ショゴン。春から初夏にかけて収穫できる根菜。特別な薬効はないが、消化を助ける効果を持つ。ワギネとの隣接した混植こんしょくにより、生育不良を発生中】


 ――何だこれ。ショゴンって何だ。僕はこんなこと、見たことも聞いたこともないのに!

 収穫時期とか消化を助けるとか、そんなことももちろん。混植という言葉も、初耳の筈だ。

 でも知っている。種類の違う作物を、隣り合わせて栽培することだと。


「分からないかな? 私たちも専門家ではないけど、長く土いじりはしてきたんだ。だから仕方ないよ。君はまだ若いんだし、これから勉強していくのさ」

「いえ、たぶん分かりました。念の為に聞きますけど、これはショゴンですよね?」


 それがこの作物の名前だろう。そこだけ自信がなかったけど、マルムさんはにこやかに頷いた。「それなら」と前置いて、ワギネを探す。

 どうやらマルムさんが言ったように、治癒術師とは薬草などから薬を作る技術らしい。

 この身体は、その経験を積んでいる。それは、痛いほど――いやさ鬱陶しいほどの情熱として感じた。

 僕の知らない経験と知識。とても不思議な感覚だけれど、だからと誰かの身体を乗っ取ったとかでもなさそうだ。

 僕を僕と認識している、この意識。それ以外はここにないと、身体の隅々まではっきり見通せた。


「うん、これです」

「ワギネ? ワギネがどうかするのかい。それもいつも作っているんだが」


 見回しても、誰かが教えてくれるのでない。あくまでこれは、僕の知識と経験だ。

 ワギネはどれだろうと目を向けると、すぐ隣の畝にひょろり生えているアスパラガスみたいな格好の野菜に勘が働いた。

 触れてみると、意外に柔らかい。そしてやはり、正しい名前やその性質が頭の中に羅列された。


「混作には相性があって、ワギネとショゴンは離さないとダメです。ワギネの出す成分で弱ってしまうんです」

「ええっ、そうなのかい?」


 一歩離れていたマルムさんが、慌てたように僕の隣へしゃがみこむ。それから僕と同じようにワギネの葉を摘んで、さらにひと株を引き抜いた。


「そうだ、院長。ワギネは去年、向こうに植えてたよ。ジョネンをやってみたいからって、こっちに移したんじゃないか」


 畑の奥を指して、そんな証言をホリィもしてくれる。

 良かった。少なくともさっきみたいに、もう検討した案ではないらしい。


「ああ――そうだった。なるほど、そんなことがあるんだね。すると移植すれば治るのかな?」

「うぅん、そうですね。ショゴンのほうを、なるべく根を切らないように動かせば持ち直すと思います」


 僕の知識はそれで間違いないと言っている。でも相手は生き物だ。思った通りにいくとは限らない。

 それにやはり、妙な感じで半信半疑だ。身に覚えはあるけど、得た記憶のない知識というものは。


「よし、やってみよう。ホリィ、みんなを呼び戻してくれるかい」

「行ってくるよ」


 それから彼らの行動は早い。言われた通りホリィは、L字の長いほうにある扉から建物に入った。

 すぐにそこから、レティさんと同じ服の女性が三人。マルムさんと同じような服を着た男性が二人、顔を見せる。

 僕を除く七人は手に手に農具を持ち出し、あっという間にショゴンの植え替えを終えてしまった。


「実は彼が不良の原因を教えてくれてね。行くあてがないというから、しばらく居てもらおうと思うんだ。治癒術師だから、何でも聞くといい」


 作業を終えて、ようやく事情の説明がされた。聞けば彼らは侍祭じさいと言って、聖職者としてはいちばん下の地位にあるらしい。

 院長で司祭しさいであるマルムさんを慕って、貧しいながらもこの修道院を支えているのだと。


「治癒術師かい、そりゃあいいね」

「色々と教えてくれよ」


 口々に、僕を頼る言葉が発せられた。

 どう見てもみんな、僕よりいくつも年上だ。それに実際の経験なんて、僕はゼロなのに。

 そういえば結局ここへ留まるのも、きちんと返事をしなかった気がする。

 ――これじゃダメだ。こんな成り行き任せじゃいけない。


「え、あの。その……よろしくお願いします」


 心がけは上向こうとしているのに、言葉にできない。治癒の能力以前に、僕は対人的な経験がまるでないのだといまさらに気付いてしまった。

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