1-12 激突

 山瀬は声もなく崩れ落ちた。

「な……!」

 目の前の事態を受け止められずに絶句する。

「こうも上手くいくなんてな」

 円藤がくつくつと笑う。

「何……やってんだよお前、ようやく加藤のやったことを――」

「あ? マジで鈍いなお前。なんでそんな奴が山瀬とつるんでるんだか」

 呆れたように首を振り、山瀬が倒れたことで解放されてよろよろと起き上がっていた加藤に手を差し出す。

「ほら、さっさと立て」

「くっ……すんません円藤さん……」

「全くだクソが」

 加藤は円藤の差し出した手を、しっかりと掴んで立ち上がった。

 ――――俺は今の今まで、とんでもない勘違いをしていた。

 何もかも上手くいっていた。上手く行き過ぎていた。俺はそれを山瀬の筋書きが完璧だったおかげだと思っていた。――何のことはない。加藤と円藤はグルで、全てが八百長だったのだ。

 円藤が完璧なタイミングで現れたのも、加藤がすんなりと公園におびき出されたのも……全部、あちらの計画通り!

 山瀬は倒れたまま、ぴくりとも動かない。黒いフードの下がどうなっているのか――――最悪の想像が、俺の頭を埋め尽くす。

「あ……あぁ……」

 唇が震えて、上手く声が出ない。

 出会いからして最悪で、俺には無いあらゆる物を惜しげもなく悪事のために使う邪悪な奴で。……けれどもこいつは確かに、世界で唯一俺を助けようとしてくれた奴で。

 そいつが……とんでもなく卑怯な裏切りに遭って地面に倒れ伏しているのに、俺は数の暴力を前に一歩も動けない。

 円藤は全てが綺麗に片付いたと言わんばかりに鼻で笑った。

「どっちも連れて行け」

 円藤が背後に指示すると、仲間の巨漢が前に進み出て、土の上に倒れた山瀬にずかずかと近寄っていく。山瀬の腕が掴まれ、物のように引き起こされる。

 山瀬を担ぎ上げようとした巨漢が身をかがめた途端、糸の切れた人形のようにだらんとしていた手が、そっと男の手の上に被さった。

「! やま――」

 次の瞬間、絶叫が上がった。

 俺が状況を把握する前に、巨漢の顎下に容赦なく掌底が叩き込まれた。手の指を不自然な角度に曲げた巨漢が白目を剥いてドサリと倒れる。

 ゆらり。

 誰もが絶句する中、山瀬が立ち上がった。フードがぱさりと落ちて、一つに束ねられた髪が外にこぼれ落ちる。

「……なかなか良い線いってたよ、円藤。特に加藤の演技がよかったね、もしかして元役者? アドリブはウチのカラスに負けるくらいに酷かったけど」

「誰が『ウチの』カラスだ!」

 叫んだ拍子に体のこわばりが解けた。山瀬がわずかに振り返り、少しだけ微笑んだ。

「山瀬テメエ……」

 犬歯と敵意を剥き出しにして唸る円藤を、山瀬は鼻で笑う。

「おかげで全部の裏が取れたよ。……にしてもさ、人の安否も確認しないで全部喋っちゃうなんて間抜けすぎない?」

「ざっけんな死ね!」

 円藤が黒い棒――特殊警棒で山瀬に殴りかかり、徒手の山瀬と激突する。

 ……俺の心配を返して欲しいくらいにキレッキレの殴り合いだった。円藤が手数に任せて殴りまくるのを、山瀬は躱して捌く合間から鋭い突き蹴りで応戦する。もう一人の仲間は入れ替わり立ち替わりの大立ち回りに入って行けず、たまに繰り出す遠慮がちな一撃を山瀬に弾かれている。あまりにもあんまりな展開を呆然と見ていた俺を、背後から羽交い締めにする腕があった。

「なっ……」

「お前……そうだよお前だ、お前さえいなきゃ何もかも上手くいったんだ……!」

 加藤が耳元で恨み事をつぶやきながら、俺を締め上げる。

 ――ああ、そうだな。お前の言うことをそのまま返してやる。お前さえいなきゃ俺は今もごく普通の日常を甘受し続けられていたんだ。そして――

「……俺なんかいなくても誰かが気づいてたさ、大ベテランの木村さんも新入りの関も仕事熱心だからなッ!」

 大きく膝を弛めてしゃがみ、後先考えずに思い切り後ろに飛び上がる。脳天に衝撃。俺の頭と加藤の顎が綺麗にぶつかった。勢い余って真後ろに倒れ込んだ俺のクッション役は加藤が演じた。「ぐぇッ」という声を最後に静かになった加藤の上を転がり、地面にへたり込む。

 …………勝った、勝ってしまった。心臓が今更バクバクいっている。

 山瀬は、と首をめぐらして街灯の下を見ると、丁度山瀬が円藤の顎に綺麗なハイキックを喰らわせたところだった。受け身も取れずに円藤が倒れ、全ての力を使い果たしたように気絶した。

 山瀬が俺を見る。地面にへたり込んだ俺と視線がかち合う。トラウマの夜の再現。

 違うのは、恐怖の対象でしかなかった相手が俺に手を差し伸べてきて、俺もその手を素直に取ったことだった。

 辺りを見回す。円藤と二人がかりで山瀬を殴ろうとしていた奴は股間を押さえながらダウンしている。最初の巨漢も復活する気配がない。加藤は白目を剥いて倒れているし、円藤もダウンしている。――完全勝利だった。

「マジで勝ったのか、これ」

「マジだよ。カラスもお疲れ様。すごいね、こんな綺麗に漫画みたいに白目向いて倒れてるの初めて見たよ……って、あんまり巫山戯てる暇はないか。カラス、一一〇番」

「……いいのか?」

「円藤は気持ちよくぶちのめせたし、そもそも警察が頼れないから今まで証拠集めをしてたわけだしね。殴りかかってきた奴らと俺ら、どっちに非があると思う?」

「そういうもんか……わかった、かけるぞ」

 カバンの中からスマホを取り出す。録音機能はこの乱闘の間もずっとオンのままになっていた。山瀬に確認して録音を切り、三桁の番号を押す。一体どうやってこの惨状を伝えようかと考えているうちに、オペレーターが電話を取った。

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