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  • カメムシは賢いへの応援コメント

    はじめまして。

    昨夜、ふと、カメムシは賢い と検索し、あなたの文章を見つけて、いいね!したくなり、ここが何なのか分からないまま、とりあえず登録した者です。

    数年前から、時々、カメムシ感情表現、とか、カメムシかわいい、などと検索してみているのですが、そんなことを書いた記事はありません。だから昨夜、とても嬉しかったです。
    文章力がないので、普段コメントを書いたりしないのですが、とりあえずお伝えしたくなる気持ちが溢れまして、コメントも残します。

    数年前の年末に近い日、部屋の丸型の電気の笠?ペンダントライト?の掃除をした時に誤って落とし、丸型の一部が欠けてしまいました。週末に電気屋さんに行くまで、と、とりあえず欠けたまま元に戻していた数日の間のこと。
    傘の淵をカメムシが歩いてました。
    欠けたところまでたどり着いたカメムシ。飛ぶのか?と固唾を飲んだのですが、カメムシは飛ぶことなく、向きを変えて反対回りをはじめ、その後も飛ばずそれを繰り返していました。一周するのにかなり時間がかかるので、欠けたところまで来てUターンして歩き続けるカメムシを、最初は監視、そのうち可愛らしくなってきて、20分以上は見続けていたかもしれません。
    随分落ち着いてるし、何だか、我慢強いなと思って見てました。
    で、いつまで続けるつもりなのか。と、ふと思いつき、カメムシが中間地点を歩いているとき、欠けた所に割り箸を置いてみたところいい具合に橋をかけたような形になりました。
    橋にたどり着いたカメムシはビクっとして、立ち止まりました。しばらくじっとしてから、そっと前足を出し、ひっこめてを繰り返し、ついに橋を渡り始めました。お尻が下がり、ソロソロ慎重に歩みを進めていきます。橋の中腹までくると、最初よりは慣れた感じながらも、まだ慎重です。
    そして渡り終えると、歩みが大きくなりました。
    スキップというとかなり大袈裟なのですが、徐々に、そう表現したくなるほどの歩きかたになりました。勇気を出してやり遂げた!迷子だったけど新しい道見つけた!みたいな感じだったのかもしれません。
    一周すると、2本目の橋(と思ってたか?)は、一瞬、え?また?となりましたが、もう余裕で渡れます。そして、渡り終えるとスキップ状態になりその時が最高潮でした。
    ところが、さらに一周し、また橋まで来た時ピタリと歩みが止まりました。
    何となく分かったのですが、ああ、今何かに気づいた。まだ迷子だと気づいた??喜びからの一気に落胆、苛立ち。悲しみ。分かるかも。と思った瞬間、ブーンと飛び始めました。
    カメムシって、のべつまくなしに飛ぶのではなく、怒った、混乱した、興奮した、とか理由があって飛ぶのかなと思いました。
    飛びまくって床に落ちたカメムシは、私が座っている椅子の脚を登りはじめ、座面まできたとき、カメムシが可愛らしくなってしまってはいたものの、まだ、そこまでは。。と我慢できなくなり、ついにそっと外に出しました。あと少し我慢すれば、親しくなれたのかもしれなかった??カメムシを振ったかも。。終わり。

    ということがあったと、何人か話したのですが、分かる分かるとは到底ならず、時々軽く変人扱いされたり、また、同じようなカメムシにも遭わないまま、数年たちました。

    虫って綺麗だと見とれてしまうことはあっても、虫の生態に興味があるわけでも、虫が好きなわけでもない私でも、ありありと分かったカメムシの喜び、勇気、怒りの姿をどうして誰も見てないんだろう。。と、不思議に思っていたところ、あなたを見つけて、数年来の鬱憤を晴らすかのように、長文を書き殴ってしまいました。

    こんな時間になり、今朝は弁当を作りませんでした。今日は子どもには学食で何か買ってもらうことにします。

    仕事から帰ったら、ほかのも読みます。楽しい記事をありがとうございました。

    作者からの返信

    @ramunedonさん
    はじめまして、こんにちは。思いのこもったメッセージ、ありがとうございます!
    カメムシのために登録して、いいねやコメントをくださって嬉しいです(*^-^*)

    電気の笠を歩くカメムシさん。欠けたところに橋をかけてあげたramunedonさん。微笑ましい光景ですね。
    突然現れた橋にビックリ、ちょっと警戒しながらも、無事に渡れたカメムシさん。嬉しくなったけれど、同じところをグルグル回っていることに気づいたのかもしれませんね。

    そうですよね。基本的に「虫には感情も痛覚もない」というのが定説らしいのですが、見ていると、そうは感じません。小さな虫たちも大きな動物のように、色々感じ、考えているに違いないと思います。一歩一歩の脚の動かし方、触角の動かし方、きっと気持ちが表れていますよね。

    https://ameblo.jp/mamimujina/entry-12579721649.html
    ↑以前ブログにテントウムシの動画を載せたのですが、糸くずが絡まったテントウムシが立ち止まり、「どうしよう?」と考えているように見えます。

    あと、コメツキムシを眺めていたとき、ビックリしたように触角を引っ込めて立ち止まったり、ゆったり歩き出したりと、やはり感情があるように見えました。

    最近では、洗濯物によく羽の生えたアブラムシが付くのですが、指を差し出すと指に乗ってきます。そして、しばらく歩いたあと羽を広げて飛ぼうとし、風向きか体勢か、何か違うと思ったのか羽を閉じ、しばらくしたらまた羽を広げて飛んでいく……というような仕草を見せてくれます。すぐ飛ぶ子がいたり、よく見たら口を動かしていたりと、小さすぎてあまり見えないけれど、様々な行動をしているようです。きっとそれぞれ、性格も考えもあると思います。

    動物たちの可愛らしい仕草は、近年よく動画におさめられていますが、虫たちは、注目されるとしても姿形や生態や分類の話が多くて、気持ちや仕草にまで目を向けた情報はなかなかありませんね。「どうして誰も見ていないんだろう」のお気持ち、分かります。

    カメムシは、緊張したようにピーンとした姿勢になったり、触角を小刻みに震わせたり、慌てて走ったり、後ずさりしたり、感情豊かに見えます。魅力的な虫ですよね。

    貴重なお時間を使って文章をお読みいただき、カメムシエピソードを聞かせていただいて嬉しいです! ありがとうございます。

  •  興味深く読ませていただきました。
     1年近く前に投稿なさった記事ですから解決済みかもしれませんし、そうでなくても余計なお世話かもしれませんが、この記事を読んで僕なりに考えたことを書かせていただきます。

    「そんなに大事なアイテムなら……命に関わるものならくれたっていいのに、くれるわけじゃないんだよね。タダでもらえるのは情報ばかり」
     言われてみればそうですね。
     口では「お客様の健康と安全を守るため」「お客様にご安心いただくため」と言っておきながら、そうやって得た利益の一部さえタダでは社会に還元してくれないんですよね。結局のところ私利私欲です。金銭というご褒美がないと動かないくせに善人ぶっている訳なので、自分にも「お客様」にも嘘をついていると言えます。月澄狸さんが挙げていらっしゃるストレス社会の話がまさに良い例ですが、ストレス回復の商品を売っておきながらストレスフルな社会のあり方を問題視しないのは、自分たちの利益しか考えていないからにほかなりません。社会全体がストレスフリーになってしまっては自分たちの商品が売れなくなる、と戦々恐々としている可能性さえ考えられます。「俺たちだって商売だから」と言って反論した気になっている人もいますが、商売のためなら人道や倫理に反してよいという理屈は(人道や倫理の中身を改めて定義しない限り)何も言っていないに等しいので、身勝手な開き直りでしかないでしょう。仮に資本主義社会がそういうものだから仕方ないと言う人がいたとしても、だからといってその現状を肯定したり倫理的に擁護したりする理由にはなりません。麻薬のような思考停止に溺れているという意味では、グロテスクで醜悪と言ってしまって良いかもしれません。

    「私の今の願いは、やっぱり大金持ちになることだと思う」「小さい頃は「お金がすべて」みたいな意見を言う大人を見て「大人ってなんでこんなに心狭いんだろう」と思っていたけれど、ようやく分かった。/私もそっちの人間だ。/大金持ちになってしがらみから解放されたい」
     この部分は、おそらく月澄狸さんがご自身で醜悪だと思っている感情と向き合ったが故の記述なのだろうと思いましたが、失礼ながらちょっと理屈がおかしいようにも感じました。
     経営学のフレーズを借りれば、「ドリルを買いに来た客が求めている物は(ドリルという商品ではなく)穴」です。願いというのはその言葉の定義上、個人が最終的に達成したい(あるいは誰かに実現してほしい)と強く思う目的であるはずで、手段ではありません。そして、本文を見る限り、月澄狸さんにとって大金持ちになることは手段(通過点)であって最終的な目的ではなく、最終的な目標はむしろ「しがらみから解放されること」の方だと読めました。
     もちろん、目的や欲望が複数あってそれらがどれも金銭で実現できることならば、「自分の願いは大金持ちになること」という話になるかもしれません。ですが、月澄狸さんの場合はそういう訳でもなさそうですよね。人間関係や社会のあり方、ヒト以外の命たちとの付き合い方などに対する違和感や不信感が根っこのところにあって、それらとの折り合いがつかない限り悩みが尽きることはないのではないかと思います。仮にそうだとすると金銭で解決できる問題ではないかな、と。

     ちょっと主語の大きい話をさせていただきますと、現代日本の社会は資本主義に侵食されつつあるので、我々は自分自身に対して目を凝らさなければ、資本主義の理屈に飲み込まれてしまいます。資本主義社会、特に戦後の日本社会においては、道徳的な共通認識が良くも悪くも崩壊し、欲望を満たす(快楽をもたらす)ものが善とされがちです。「人間はどう生きるべきか」、「個人は社会の中でどのような役割を担うべきか」、「自分はどのような人間になりたいか」といったことを真剣に考える人は少なくなりました。現代の日本社会においては、「自分は何をすべきか」の代わりに、「自分は何をしたいのか」を考えることが正直で、誠実で、人間として真っ当な態度だと思われるようになってきています。その証拠に、いまどき、「人間はただ漠然と生きるのではなく、人として正しい道に沿って生きなければならない」、「自分の能力をこの社会のために役立てたいと思って入社を希望しました」などと言っても美辞麗句を並べているだけだと思われて相手にされませんが、「世間が決めた枠組みなんかぶっ壊して自分らしく(=自分のしたいように)生きようぜ」というメッセージは世に溢れていて、そういう楽曲はよく聞かれています。しかし、道徳的な共通認識を失ったからといって私たちは中学や高校できちんと哲学や倫理学を勉強する訳ではないので、「自分とは何か」、「自分はこれからどう生きるのか」ということを真剣に考えないまま社会人になってしまいます。そのため、「自分は何をしたいのか」を考える際、我々のアプローチは2つに分かれます。ひとつは「『みんな』なら何を求めるのか」、もうひとつは「自分はどんな即物的な欲望を満たしたいのか」です。
     個々人が好きなように生きる時代と言いながら「『みんな』なら何を求めるのか」を気にするのは矛盾に見えるかもしれませんが、大学受験も就活も、大半の人はこれです。中学・高校では進路指導ということでアリバイ作りのように「あなたは何をしたいの」「将来どうなりたいの」ということを聞かれますが、大半の学生はまともに考えない(考える術を教わらない)まま、得意科目で文理を決めて、偏差値で入学先の大学と学部を決めます。「みんな」がそうしているからです。就活にしてもそうで、自分が働きたい職種や自分が勤めたい職場についていちいち吟味することはなく、なるべく給料の良いところ、なるべく大きな企業を選ぶ人が多いと思います。給料が良くてもその分サービス残業が多ければ趣味に使える時間や体力はなくなってしまいますし、大企業でも自分の適性に合わない職種に入社すれば苦労するだけですが、「みんな」がその指標で動いているので何となく自分もそうしてしまうのです。このとき、自分の欲望は「みんな」に取り込まれて、「みんな」が求めるものを自分も求めているかのように錯覚してしまうのです。
     また、「自分はどのような人間になりたいか」という問いには、「自分がどのような人間になれば自分で自分を肯定できるか(自分自身について胸を張れるか)」という道徳的な側面が含まれているはずなのですが、現代日本人はこの問いを「自分はどんな即物的な欲望を満たしたいのか」という問いと混同しがちです。これは先述の通り、戦後の日本社会が(良くも悪くも)道徳的な共通認識を失ったからでしょう。
     で、やっと本題に戻ってくるのですが、失礼ながら、月澄狸さんもこの罠にハマっていらっしゃると僕は感じました。「大金持ちになりたい」というのは「みんな」の欲望であり、即物的な欲望でもあって、だから月澄狸さんもご自身の中にある最も分かりやすい願いとしてそれに言及なさったのだろうと思います。しかし、同時に、月澄狸さんはそれだけでは納得していらっしゃらないはずです。というのも、このエッセイを見る限りでも、「みんな」が蔑ろにしているヒト以外の命も大切に扱われるべきだと考えていらっしゃるようですし、ご自身の即物的な欲望よりも小さな命を慈しみ敬意を払うという「道徳」を優先して生きていらっしゃるからです。その意味で、月澄狸さんの究極的な願いはやっぱり「大金持ちになること」などというつまらないものではないのでしょうし、「『お金がすべて』みたいな意見を言う大人」たちとは違うんだろうな、と僕は思います。
     青臭い話を長々と、すみません。

     蛇足かもしれませんが、上に述べたことは僕自身の思考から出たものではなく元ネタがあるので、出典について述べておきます。「大金持ちになること」という願いに違和感を持ったのはミヒャエル・エンデの児童文学『モモ』があったからであり、それを取り上げた『100分de名著』というNHKの番組を最近見たからです。現代社会が資本主義に侵食されているという話は哲学者ハーバーマスの学説が元ネタですが、彼自身の本はどうにもふわっとしている印象を受けたので、僕は簡単な解説書や短い論文しか読破していません。「みんな」の欲望云々の話は上田紀行という人の『生きる意味』(岩波新書)に書いてあったことが念頭にあります。
     また、今回の応援コメントとは別の話ですが、月澄狸さんのエッセイを拝読していると、藤子・F・不二雄のSF短編『ミノタウロスの皿』が何度となく思い出されました。月澄狸さんが投げかけていらっしゃる問いは、まさにこの作品で藤子・F・不二雄先生が読者に投げかけた問いと共通していると感じます。未読なら一度読んでみていただければと思います。もう既に書かれているかもしれませんが、月澄狸さんがレビューやオマージュ作品を書かれるなら、ぜひ読んでみたいです。

     長文失礼しました。

    作者からの返信

    >あじさいさん
    とても丁寧なコメントをありがとうございます。頭が悪くて学のない私にとっては、こういった貴重なご意見をいただけることが新鮮です(この発言が何かの差別に当たったらすみません)。

    「社会全体がストレスフリーになってしまっては自分たちの商品が売れなくなる、と戦々恐々としている可能性さえ考えられます。」というお言葉にはたしかにと思いました。商品の多くは、それを売って世界を良くしたいという考えより、何でも良いから売り続けなければならない、生き残らなければならない、食って行かなくてはならない、成功したい(勝ち組になりたい)などという意志が先行しているように思えます。本当はもっと全員が幸せになれる道があるとしても、「そんなことをしたら『自分たち』の商品が売れなくなる」というところが行き止まりになり、それ以上の発想が育たなくなってしまいますね。

    また恐ろしいのは、人間は人間からしかお金を得られないのだから、誰も本当の意味で地球環境や他の生物の立場に立って考えられないだろうということです。
    殺虫剤とかでも売れる限りは売り続けるでしょう。世論が変われば売る側も変わらざるを得ないでしょうが、逆に言うと世論が変わるまでは売る側自ら変わることはないと思われます。創作においても「売れたいなら需要に合わせろ」「自分が書きたいものではなく人気のものを書くべし」といった意見がありますが、それと同じですね(?)。
    「こんなに次々と虫を殺していて、何か環境に与える悪影響はないのか?」とか、「人間以外の生物にも尊い命があるのに、殺虫や駆除の宣伝をすること自体が虫に対する悪いイメージを強く植え付け、人々に『虫は殺して当然だ』『虫は気持ち悪いものだ』と思わせ、命を軽んじる思想の原因になっている。虫を恐れたり嫌ったり殺したりする以外に方法はないのか?」という発想を持っている人は少ないように思います。
    こういった認識すらされない生物差別意識が人間社会での差別や多数決・排他的考えにも繋がっているような。世界は洗脳で溢れています。

    そして私自分も狭い範囲の思考に囚われていますね。「大金持ちになりたい」という願いは、この世界からの「逃げ」のように思えます。もう何もしたくない、考えたくない、自分に降りかかる大抵のことを解決・選択できて、残金や時間や人の目を気にせず心から遊べるだけの金銭的余裕が欲しいと……要するに現実逃避です。
    そして私が小さい頃から目にしてきた大人の願いや夢もそれであるような気がしています。命を左右する医療的なことですら、貧しくては受けられない世の中ですが、お金があればある程度自由に生きられるでしょう。
    また、お金があって、それを募金したりすれば、多少「問題に対して何かをしている」気持ちになれますね。(募金を否定する意図で書いていません。しかしもっと根本的に解決する方法はないのだろうかと思ってしまいます。世界から武器がなくなれば良いのにとか)

    お金持ちになりたいのは「みんな」の意見に染まったからというのはそうかもしれません。そして最終目標が「しがらみから解放されること」だというのも。
    どうせ願うなら「みんなが豊かになる」ことで良いはずですね。「自分だけ豊かになりたい」と願うようでは、「自分の商品を売り続けられればそれでいい」と言うのと同じです。

    私は小さい頃から何をやってものろく、人とコミュニケーションをとることも苦手な落ちこぼれでした。故に自信がなく、「自分に生かせる能力などない」という結論に達してしまったために、「この世界の中でこうしたい」という熱意よりも、「お金を得て、人に迷惑をかけず、指図されることもなく、一生好きにしたい」という枠に収まってしまったものだと思われます。本当は小さなことからでも、「自分のやりたいことを実現化する努力」をすべきだったんですけどね。

    また、私の詩集「良くも悪くも、星の回転は止まらない」の中の1ページで、「たとえ差別も戦争もいじめも 動物虐待も貧困も格差も すべて無くなったとしても 終わらない 止まらない 人の頭は星と共に回り続ける」と書いておりますが、そのような思考で「ゴールを見失った」というところもあります。命というのは微生物にもありますし、「かけがえのない命」「命は平等」といった理想(あるいは綺麗事)をどこまでも追求すると、ゴールや目標が見えなくなります。すべてに対して疑り深くなったりもします。少し前は「コロナをやっつけろ!」とか「見えない敵との戦い」みたいな戦闘的意見が多く感じましたが、コロナも平等な命であり「地球の声」であるという捉え方もあります。

    しかし現実的な概念は重く、一歩間違えば差別を助長したり誰かを傷つけたりします。とりあえず、思考の迷路にはまった今は、それを言語化し、文章として表す作業がやりたいというところです。(これも行動しない言い訳かもしれませんが……。)


    せっかく丁寧にコメントを書いてくださったのに、ちゃんとした返信になっていなかったらすみません。話が飛び飛びになってしまいました。うまく書けず申し訳ないです。
    そして今回書いてくださったご意見の出典について教えてくださってありがとうございます。ミヒャエル・エンデの児童文学『モモ』は読んだことはありませんが、よく作品名を耳にしますね。

    藤子・F・不二雄先生の『ミノタウロスの皿』は私も読みました。テレビ番組でこの作品を知ったときは衝撃を受けました。エッセイやブログに書いたことはありませんが、影響を受けていると思います。あのような素晴らしい作品と、このエッセイに共通するものがあると言ってくださって嬉しいです。

    ミノタウロスの皿では主人公が「ズン類」に「ウス」を食べることをやめるよう説得しようとしますが、「ズン類」とは話が噛み合わず、誰も聞き入れませんね。人間(ウス)視点で話が進むのでゾッとします。しかし主人公自身も、自分が牛を食べていることは棚に上げ、人間のみの視点で考えています。お互い何かがズレているような奇妙さ、そして私たちの行いや性質を再認識させられる作品だと思います。

    「人間と動物が逆だったら」で検索したこともありますが、出てくる画像が興味深いです。私の作品では「せいじん親子」がこれらのテーマに近いように思います(食べる・食べないの話ではないですが)。
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054912716588


    エッセイを最終更新話まで読んでいただいて嬉しいです。応援コメントもいただけて、勉強になりました。本当にありがとうございました。

  • 虫好きとして、激しく共感します。

    作者からの返信

    共感していただけて嬉しいです m(_ _*)m
    ありがとうございます!


  • 編集済

    カメムシ差別への応援コメント

     今更ながら、楽しく、そして興味深く読ませていただいております。
     ヒト以外の生き物たちを慈しみ、地球規模の視点からヒト社会の常識を問い直すことは、一般的には実践することも継続することも難しいように思いますが、このエッセイでは生活の一部としてそれが行われているところに、僕としては新鮮味を覚えています。

     ところで、余計なお世話かとは思ったのですが、エッセイのこのエピソードを読んでいて「今度からよく分からない虫に手を出さないようにしよう。あと、差別問題とかを軽々しく批判しないようにしよう。/自分の心にだって差別心はあるのだから……」という部分が気になりました。これが気になるのは僕が大学で政治学・政治哲学を学んだような人間だからで、おそらく他の人はさほど気にしないと思います。しかし、自分の心に差別心があるから差別問題を軽々しく批判すべきではない、というのはおかしな理屈に思えたので、一応報告しておきます。
     差別意識とは人間の心の中にごく自然なものであるかのように根付いているもので、差別に反対する人々は常に「今の社会で『当たり前』とされている常識にはおかしいところがある!」と叫んでいたはずです。差別は世の中にありふれたもので、日常の一部として当然視されて意識されないことさえあります。だからこそ、差別のない世界を模索するためには少しの違和感であっても見落とさずに声を上げることが重要になってきます。「自分も差別に加担しているから差別について偉そうなことは言えない」と黙ってしまっては本末転倒もいいところ、差別に加担し続ける結果にしかならないのではないかと思います。

     もちろん、エッセイの内容を書き直せとか、発言を撤回しろなどと申し上げるつもりはありません。
     ただ、そういう考え方もありうるということについて、頭の片隅にでも置いていただければと思います。

     長文失礼しました。


    <追記>
     すみません、まるで厳しく批判するような書き方をしてしまいましたが、単に僕の書き方がまずいだけで、怒っているとか義憤に駆られたとかそういうのではありません。
     エッセイが思索的なので、つい僕も何か言いたくなっただけです。
     不快感を与えるような書き方をして申し訳ありませんでした。
     月澄狸さんさえ良ければ今後もエッセイを読ませていただきたいと思っています。

    作者からの返信

    あじさいさん

    お久しぶりです。エッセイ集を読んでいただけてとても嬉しいです。いつも応援ありがとうございます。
    私は生き物が好き(?)で、つい生き物にばかり目が行ってしまうため、エッセイでも生き物と人間社会についての話になりがちです。今のところ机上の空論であり、また、自分の言動が自分の理想に追いついていないのですが……(汗)。

    さて、「カメムシ差別」のエピソードへのご意見をいただきありがとうございます。ご意見についてですが、あじさいさんのおっしゃる通りだと思いました。
    自分にも間違いがあるからといって、客観的に見て気づけたことや、感じたことを封じてしまっては、世界は何も変わりません。世界がどんどん戦争に突き進んだときに止められなかったのも、反対意見を出せる人が少なかったからかもしれませんね(歴史に詳しくないので、的外れなことを言っていたらすみません)。
    何事も、気づいたことは意見としてどんどん発信すべきだと思います。もちろん誰かのことを批判すれば自分に返ってくることもあるでしょうし、自分自身が間違った発信をして指摘されることもあるでしょうが、それも合わせて受け止め、前進できる強さを持たないといけないと思います。

    私は弱いのでつい逃げの方向に行ってしまいます。そして線引きが難しくもあります。「◯◯人の肌の色が嫌い」と言うことと「虫の見た目が気持ち悪い」と言うことは私としては同じだと思うのですが、一般的にはなかなかそのような解釈はしません。「今から◯◯人の写真を出しますので、◯◯人が苦手な人はご注意ください」などと書けば大問題ですが、私自身配慮として「今から虫の写真を載せますので苦手な方はご注意ください」と書いたりもします。そして配慮の皮を被ったこのような行為こそ、差別ではないかと時々思ったりもします。

    「虫が苦手」など、ごく一般的な意見は強いので、一方が強い場合は反対側が配慮するべき雰囲気にあり、逆に好きな人が多い犬や猫などの可愛い動物だと、苦手な人に対しての画像・映像的な配慮はさほどされていない気がします。
    ……と、このような話は既にどこかのエピソードで書いた気がしますね……。重複していましたらすみません。

    しかし「人種差別反対」や「戦争反対」「◯◯ハラスメント」など、世界の問題について発信しやすくなってきたのは、差別や集団心理・風潮に立ち向かい、意見を言ってきた人がいるからなのですね。
    私の弱さは「自分がいじめられるのが怖いからいじめを黙認する」ようなものだと改めて思いました。荒波を乗り越えてきた平和の先駆者の方ほどは強くなれそうにないですが、もっとしっかりと意見を持てるようになりたいです。

    あじさいさんに丁寧に意見を書いていただけてすごく嬉しかったです。
    追記でのお心遣いまで、ありがとうございます。厳しい批判・怒っておられるとは感じませんでした。なかなかいただけない貴重なご意見をくださって嬉しく思います。私も意見を素直に、上手に発信できるようになりたいと思いました。
    優柔不断で進展のないエッセイではありますが、この先も読んでくださると喜びます。もちろん、つまらないと感じて読む理由がなくなってきましたら、読むのをやめていただいて構いません。自由に読んでいただけると嬉しいです。

    丁寧なコメントをいただき、本当にありがとうございました(*^-^*)

  • 『独裁者』の演説は、世の中が息苦しくなってくると、なおさら身近に感じますね。動物を見下すというよりは、人間と動物を峻別した上で、理性と言葉を手にした人間は動物と同じにはなれない存在だと認めた上で、意志的に愛を探求すべきだと、そんなふうな考えなのかな、と自分は勝手に解釈しています。

    作者からの返信

    エピソードをたくさん読んでくださってありがとうございます。
    映画のテーマは今でも色褪せないというか、現在も同じテーマである気がしますね。
    弱肉強食から外れて思考するようになった人類は、その人間らしさを追求し拡大するべきだということでしょうか。意志的に愛を探求すべき……素敵な言葉ですね。新しい解釈を教えてくださってありがとうございます。

    編集済
  • 虫は苦手ですが月澄狸さんの虫シリーズは好きです。

    今日部屋でみつけた蜘蛛をつぶさないよう一生懸命外に出しました。
    あとちょっと、のところで落としてしまいましたが最後は自分で外に出て行って一安心。

    これ読んでそういえばコメツキムシってどんなだっけ、とつい画像検索してしまって後悔。そんな夜です。

    作者からの返信

    >小鈴なお🌠さん

    虫が苦手なのに読んでいただいて嬉しいです! そして好きと言っていただけて光栄です。カクヨムでは画像が付けられないところがちょうど良いですね(?)!

    部屋で見つけた蜘蛛をつぶさないように一生懸命外に出されるとは、なんて優しい方なんでしょう(*´▽`*)
    温かいエピソードに癒されました。ありがとうございます!

  • 私も似たようなことを言われたことがあります。よく虫なんて触れるな、と。
    私は言ってやりました。
    「虫も触れないで大事が成せるか」
    冗談半分本気半分。
    好みは人それぞれではありますが、毒虫ならいざしらず、何の害もない虫を過剰に恐れる必要はないと思うのです。
    むしろ私は虫を過剰に怖がる人こそ怖いですね。

    作者からの返信

    >茨木摂津さん
    星やコメントをありがとうございます!

    「虫も触れないで大事が成せるか」
    素晴らしいお言葉ですね。それを冗談半分な雰囲気で、ちゃんと相手の方にお伝えできるのがすごいです。

    「何の害もない虫を過剰に恐れる必要はない」
    本当にそうですよね。
    私も虫の羽音にビビって逃げたり、甲虫と間違えてカメムシを触ってビックリして振り落としたりしてしまったので悪い人間なのですが(そんなんでよくこんな偉そうなエッセイが書けたなという感じです)、このままではいけないと思って虫と触れ合う活動中です。

    虫は植物や生態系にとって大事な存在なので、もっと理解して敬意を持たないといけないですね。

  • こんな繰り返しも悪くないへの応援コメント

    僕もエッセイ書き始めました!

    また読ませて頂きます!

    作者からの返信

    お久しぶりです!
    水谷一志さんもエッセイを始められたんですね!

    ありがとうございます。
    よろしくお願いします!

  • 人が普段と対象的な行動を取ると、凄く興味を持ってしまいますよね。
    それが例えマイナスな面だったとしても、見てみたい、と思う好奇心に勝てないですね(>_<)

    あと、そうやって深く考えることができる方は、決して落ちこぼれだと思いません!
    落ちこぼれのくせに、という方の方が稚拙な気がしてしまいます、、

    凄く興味深いエッセイでした!

    作者からの返信

    >白藍京さん ありがとうございます!
    このエピソードでは何かおかしなことを書いたのではないかと心配になっていたのですが、優しいコメントをいただけて安心しました(笑)
    そして「見てみたい、と思う好奇心」というお言葉になるほどと思いました! 自分ではその言葉にたどり着かなかったのですが、まさに好奇心だとしっくりきました。

    落ちこぼれだと思わないというお言葉も……ありがとうございます。
    つい自分でも落ちこぼれだなぁと思ってよくそう言ってしまうのですが、あまりネガティブにならず自分の良いところを探して伸ばすようにしたいです。

  • どっちだっけと思って手元のハイジを確認してしまいました(岩波少年文庫)。
    そもそもアニメは見たんだっけ、あれ、懐かしのアニメみたいな番組で見た気になってるだけだっけ、とか悩んでしまいました。

    自分がもし聞かれたら多分ペーターの仕業と即答していたことでしょう。

    作者からの返信

    >小鈴なお🌂さん
    昨日はレビューをいただきありがとうございました!!

    岩波少年文庫のハイジをお持ちなんですね!
    やっぱりペーターが壊したというイメージですよね。

    知っている、覚えていると思っていたのに自分の勘違いだったということが多くて焦ります。記憶って本当に曖昧なんだなと……。でも同じように思っていた人が多いということを知ると、なんだか安心します。


  • 非常に鋭い着眼点ですね。とても難しいテーマだと感じました。
    人間は他の生物より優れているから、皆で助け合い、愛し合おう。
    この前半の理由付け。これがないと助け合えないのが人間の本質なのでしょうか……。
    人間だけが特別という自尊心の上に成り立つ隣人愛は、善か偽善か悪か……。結論は出ませんが、すごく考えさせられました。

    また、『比較は差別の原点』という言葉が刺さりました。
    月澄狸さんの言葉にはハッとさせられます……!

    あと、私も「独裁者」を鑑賞したいなと思います。

    作者からの返信

    >白藍京さん
    着眼点や言葉について褒めていただけて嬉しいです。ありがとうございます!

    「動物と違って」「人間だから」
    そんな理由がないと、人は人でいられないのかもしれませんね。
    自分もつい、「~は嫌だから~がいい」と、比較するような理屈付けをしてしまいます。意見を言ったり行動したりするのに、もう一方を否定する必要はないはずですが……。

    人間とか人間じゃないとか関係なくすべての生命を尊重したいところですが、言葉で言うのは簡単でも実際難しいですね。「やらない善よりやる偽善」の精神で、ちょっとずつ全肯定の方向に近づきたいところです。

    今回のエピソードでは映画の揚げ足を取るようなことを書いてしまいましたが、「独裁者」は本当に素晴らしい映画です!
    是非是非、ご覧ください(*^-^*)


  • 編集済

    こんな繰り返しも悪くないへの応援コメント

    以前は別のサイトで執筆されていたのですね。だから文章がお上手なのですね!

    このエッセイを読み、共感を覚えました!
    私も完璧主義的思考でなかなか筆が進まないことがあり、思い切ってエッセイをはじめてました。すると、小説とは違った楽しさがあって、執筆自体が楽しくなりました。

    これからも読ませていただきます!

    作者からの返信

    >白藍京さん
    作品への評価やコメントをありがとうございます m(_ _*)m!

    別のサイトで活動した中で失敗もし、そのおかげでこちらでは気をつけられたこともありました。失敗を少しでも文章に生かせていれば嬉しいです。

    白藍京さんも筆が進まなかったことがあったんですね。他の方のエッセイを拝読していても、皆さんそれぞれエッセイを始めようと思った理由があるのだなと感じられます。本当に、エッセイだからこそ書けることもあったりして、小説とはまた違う楽しさがありますね!

    このエッセイは読んでもあまり得られるものはないかもしれませんが、これからも読んでいただけるなんて嬉しいです。気が向いたらまたお付き合いください。ありがとうございます(*^o^*)

  • かじり捨てへの応援コメント

    分かります。私も小説を執筆中だから……
    筆のノリがいい時ってあっと今に執筆が進みますが、ダメなときはいくらやってもダメ。

    現在、書いている文字は16万程度になってますが、苦手なところを飛ばして進めたので、いくらやっても駄目な箇所のみが残っており、かなり高すぎる壁を感じてます。

    おそらく、執筆をしている人なら多くの方がこの話に共感を覚えるのではと思います。そして、私も他の方もそうなんだと改めて認識をして、なんかちょっと親近感を得ました。

    作者からの返信

    共感していただけて嬉しいです! やっぱり書く人はそうなんですね……(人によって色々タイプはありそうですが)。

    なるほど、あおばさんは苦手なところを飛ばして書けるところを書いておられるんですね! 私は一旦止まるとちっとも前に進まなくなるので、他の方はどんなふうに書き進めているのだろうと気になっていました。

    苦手な箇所が残ってくるというのも大変そうですね……。書くことが好きとはいえ、やはり執筆途中で皆さんそれぞれ辛さとか複雑な思いを抱かれるようですね。小説投稿サイトでは途中で止まってしまって更新されなくなる物語も多いみたいです。

    私も話に共感していただけて、一人じゃないなぁと思えて親近感が沸きました。できれば物語の種が綺麗な花を咲かせるところまで持っていきたいですね!

    ありがとうございました。

  • 夢の海、夢の世界への応援コメント

    夢には不思議な魅力がありますねー

    作者からの返信

    そうですね。時々怖いけれど、夢を見るのは楽しいです(*^o^*)

    星や応援やフォロー、ありがとうございました m(_ _*)m

  • 価値観や考え方のちがいを見ると人は世界狭くする生き物なのかもしれません

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    そうですね。私も世界狭くしないように気をつけます(*>v<)

  • 幸せと不幸は紙一重!?への応援コメント

    なんだろう…… ものすごく優しさを感じる話だなと思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    きっと、ファミリーアニマルと一緒に暮らしている方や、人に対しての愛情が深い方、たくさんの経験をしてきた方などはもっと色々な思いを持っているんでしょうね……。
    一言では言い尽くせない中に幸せがあるのかもしれません。

  • 手放したゴミの最後への応援コメント

    物凄く共感できました。私も長年使っていたキーボードを新しく買い替えたのですが、罪悪感を感じてます。捨てるのやめてくれーという前のキーボードの悲鳴が聞こえるようです。この話を読んでより一層その感じが強まりました(笑)

    作者からの返信

    星・応援・コメントありがとうございます!
    エピソードに共感していただけて嬉しいです。長年使ったものを捨てるときは、なんとも申し訳ないような気持ちになりますよね……。そんなこんなで物の整理や買い替えは苦手です(´v`*;)