第20話 二人の焦燥

 一睡も出来なかった。瞳を閉じた途端、夜に見た光景が瞼に映し出される。

 彼女のあの表情を表すなら、絶望、という言葉が一番近いのだろうか。再会に喜びを求めたわけではない。きっとあんな顔をされるのだろうと、予想はついていた。なのに、俺はひどく悲しかった。

 彼女がまた笑顔で励ましてくれるものだと、心の片隅では期待していたのかもしれない。俺はもう、彼女に裏切られているというのに。


 この息苦しく、生き苦しい想いに終焉をもたらすために。俺は、どうするべきなのだろう。どうしたらいいのだろう。


 未だ最適解は見つからない。

 だから、おそらく昨日の夜、俺は逃げたのだ。彼女は話ができる状態ではなかった。それは確かだ。

 しかし、俺はきっと本質的に逃げてしまったのだろう。


 ほとほと、情けない。いくら昔の気質を取り戻したところで、俺自身の弱さも傷も無くなるわけじゃない。




 しかし、迷いを背負ったままではいずれ大きな歪みに飲み込まれる。

 いずれ、覚悟を決めなくてはならない。俺は俺らしく、この想いに向き合って────。





♢♢♢





 翌日の昼過ぎ。大して眠れないまま、出発の時を迎えた。俺が寝ぼけ眼を擦っていると、キリカも同様に寝不足気味のようだった。

 キリカは、あの後何も言ってこなかった。俺に気を使ってくれたのか、自分自身のことで手一杯だったのか。

 定かではなかったが、俺としてはありがたかった。人の助けや言葉が必要な時もある。けど、俺が今抱えているものは、俺だけのものだ。一人で考える時間が欲しかった。

 まあ、答えは出なかったようなものだが、ある程度心の整理はできた気がする。それだけでも、睡眠を削った価値があるのかもしれない。


 俺とキリカは先に乗っていたルミナに手招きされ、馬車の中へと入っていった。


「それでは出発しますぞ」


「ええ」


 ドイルドさんの確認に、クロエが短く応える。そして、馬車は走り出した───。


 馬車の振動は心地よく、まるでゆりかごに揺られているようだった。自然と心が落ち着き、大きな欠伸が出てしまう。


「寝不足か、ユーリス?」


「ん?ああ、まあな………」


 俺が窓の外を眺めながらそう答えると、前に座っていたルミナがずいっと顔を近づけてきた。


「うおっ、なんだよ」


「なにかあったのか、ユーリス?」


「え……?」


「今日はなんだか覇気がないぞ。いつも偉そうで飄々としているのに」


「失礼な奴だな……」


「キリカもじゃ。今日はいつにも増して暗いぞ?」


「暗っ……はぁ?」


 顔を顰める俺達に、ルミナは憂わしげな瞳を向けてくる。

 俺はそれに対し、反射的に言葉を紡ごうとした。


「なんでも───」


 ……しかし、それ以上のものが出てこなかった。なんでもないと、ここで誤魔化すことは簡単だろう。実際、告げる必要はないのかもしれない。


 だが、俺は見たくもない記憶をわざわざ掘り起こし、そこで彼女達に話し始めていた。俺が裏切られた経緯を。そして、昨夜二人に会ったことを、全て。


 キリカは俺の言葉を遮ろうとはしなかった。辛そうに唇を噛んだりもしていたが、最後まで聞いていてくれた。それは、前方の二人も同様だった。ただ静かに、俺の言葉に耳を傾けてくれていたのだ。


 馬車の中に、俺の抑揚のない声が響いていく。そして、語り部の音色は内容と反してあっさりと終わりを迎えた。


「───とまあ、そういうわけだ」


 話し終えると、俺は一つ長い息を吐いた。なるべく余計な感情を込めずに語ったが、やはり胸に重くのしかかるものがある。口にすればするほど、見えもしない傷が疼くのを感じる。


「そう、だったのか……」


 ルミナは体を小刻みに震わしながら、拳を膝の上で強く握りこんでいた。彼女はひどく悲しげで、まるで自分も同様に傷を負ったかのようだった。


「ユーリスも、キリカも、辛い思いをした……。いや、しているのだな、今も」


「……まあ、そうだな」


 ルミナは俺に一瞥をくれたあと、隣のクロエに瞳を向ける。


「クロエ、なんとかならんのか?」


 クロエは先程まで俺の話しに軽く衝撃を受けていたようだが、その声ですぐに冷静さを取り戻した。


「立証は、やはり難しいでしょうね。騎士団も不明瞭で証拠の掴みづらい事件に対しては動きが鈍い。さらに冒険者間のトラブルなど日常茶飯事な上、あなた達の場合、全員が生還しているのでさらに重要度は下がります。まともに取り合ってもくれないでしょう」


「そうか……。やりきれんな」


 ルミナは表情を暗く沈ませた。しかし、すぐにこちらに向き直ったかと思えば、俺とキリカの手を強く握ってきた。


「ルミナ……?」


「なにを───」


「余は、味方じゃからな!」


 唐突な力強い言葉に、唖然としてしまう。


「困ったことがあるならいくらでも手を貸そう、助けが必要ならばいつでも手を差し伸べよう。余は何があろうとも、決してそなた達を見限ることも裏切ることも無い!」


 ルミナの瞳に、一点の曇りもない。翳りなく、ただ真っ直ぐに俺たちを見据えていた。


「どうして、会ってまだ日も浅い俺たちに、そんなことを……」


「時も確かに重要じゃ。過ごした時間が絆を育むのも事実。しかし、それだけが大事でもあるまい。信ずるべきは、己の勘じゃ!」


 そう言って、ルミナはにっしっし!と満面に喜色を湛えた。

 俺とキリカはぼんやりとしたまま互いに顔を見合わせると、思わず笑みがこぼれる。


「勘ってお前」


「超理論だね」


「む?なにかおかしいか?」


「おかしいな」


「なぬ?!」


「……けど、ありがとよ」


 俺が礼を告げると、ルミナはさらに満開の笑顔を咲かせた。


「うむ!」


 ルミナは純粋で、真っ直ぐで、素直な少女だ。しかしどこか大人びていて、人々を慈しむ人間性も時折顕にする。ほんとによくわかんない奴だ、こいつは。


 と、俺ら三人で微笑み合っているところで、クロエが僅かに首を捻る。


「それにしても、ジェイロにゴード、ですか」


「何か知ってるのか?」


「いえ、私にはわかりません。ドイルドはどうですか?」


「……いえ、存じませぬ」


「そうですか……」


「まあ、早々見つかるもんでもないでしょ」


「だな」


 などと俺達が会話を交わしている最中でも、馬車は進み続けている。馬車は街を離れてひたすら草原を駆け抜けていた。

 背の低い植物達が風に当てられ、流麗な踊りを見せている。日光は強く降り注がれ、大地を淡い黄色に染め上げていた。


 平和そのものの穏やかな道を進んでいる中、ふと窓を見ると、少し遠くに平たい岩山が見えた。他の山よりも明らかに背が低いが、規模は小さな街一つ分に相当している。

 入口らしき穴があることから、あれはおそらく洞窟の類なのだろう。と推測していると、案の定馬車はその岩山方面から迂回しようとしていた。


「やっぱり、安全を考慮してか?」


「ええ。その通りです」


「そうか───」


 と、俺が一人納得していると、その岩山の方から誰かが走ってきているのが見えた。


 あれは───。


「………!ちょっと、馬車止めてくれ!」


「え……?」


「いいから!」


 俺が声を荒らげると、ドイルドは困惑を滲ませながらも馬達の動きを止めにかかった。

 それが完全に停止する前に俺は馬車の扉を開け放ち、駆ける二人の元に歩み寄る。


「あなたは、昨日の……!」


 二人は息せき切りながら多量の汗を伝わせている。疲労もあるが、それ以上に異常なほどの焦燥が絶えず滲み出ている。

 ───ハオズとセティア。リィナとロットのパーティーメンバーの人達だ。


「何があったんだ!」


 尋ねると、ハオズは呼吸を弾ませながらもなんとか言葉を紡いだ。





「リィナとロットが、洞窟の中の大穴に、落ちてしまったんす……!」



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